藤原遥はこめかみを押さえ、頭を悩ませていた。どうしてこんなに言うことを聞かないのだろう。怪我をしているのに、佐藤と一緒にあちこち動き回るなんて。佐藤なら十分に対応できるはずなのに、わざわざ自分で危険を冒す必要はないはずだ。
いや、何かおかしい……。
「佐藤さん、知世は佐藤と一緒に出かけたんですか?」
「佐藤は先に出発しましたから、二人は別々に行動していると思います。」
「つまり、知世は佐藤の同行なしで一人で外に出たの?」
「はい。ただ、知世様のそばには自前で育てた影武者が十人ほどついていますので……。」
「本気で狙われたら、影武者が十人いようと意味がない!」遥の声は一気に冷たくなり、いつもの柔らかさが消え、厳しい表情を見せた。ここ数日、予想外の出来事が多すぎて、疑い深くなるのも仕方がない。
「止めましたが、聞き入れてもらえませんでした。知世様は、佐藤の方が危険な場所へ行くから心配ないと言って、千代田ビルに書類を取りに行くだけだと……」佐藤は説明した。遥に心配をかけたくなくて話す気はなかったが、遥の鋭い視線と迫力に、つい答えてしまった。言い終えてから、足が震えているのに気づく。どうして遥様はすべてを見抜いているような態度なんだろう。つい最近帰ってきたばかりで、ご両親から何も教わっていないはずなのに。
「分かりました。」遥はそう言った。
佐藤が部屋を出ていくと、遥はしばし黙考した。今さら父や母に知らせても間に合わない。以前も大事な用事を邪魔してしまったし、また空騒ぎだったら……。
自分で“言うことを聞かない”知世を“捕まえに”行くしかない。
そう考えていると、携帯が鳴った。画面を確認し、すぐに通話ボタンを押す。
「リーダー、大変です!知世がさらわれました!」
遥の顔色が一変した。「すぐに東京にいる全員を集めて。正確な位置情報を送って。」彼女はすぐに部屋へ戻り、武器を二つ手に取り、大股で廊下を進んだ。
廊下の先で佐藤と鉢合わせた。遥のただならぬ気迫に、佐藤と数人の使用人は思わず息を呑む。あの優しく品のあるお嬢様が、まるで別人のようだった。ご夫人以上の威圧感がある。どこへ行くつもりなのか?
「お嬢様、どちらへ……」佐藤は反射的に前に出て遥の行く手を塞ぐ。知世様が出かけた今、遥様まで何かあったら取り返しがつかない。
「どきなさい。何かあっても、責任は私が取る。」遥の声は冷ややかだった。
「でも……」佐藤も事の重大さに気づいていた。遥を一人で行かせて大丈夫なのか?
「知世だけがあなたの主人なの?」遥の一言に、佐藤たちは息を飲んだ。
「何があっても、私が責任を取る。」そう言い残し、遥はすばやくその場を離れた。
その数分後、彼女はガレージから限定モデルのスポーツカーを飛ばして出ていった。エンジン音が唸り、タイヤが路面を激しく削り、たちまち皆の視界から消えた。
佐藤は呆然とつぶやく。「まさか……いつの間に鍵を?それに、あんなに運転がうまかったなんて……」
気がつけば、車の排気だけが残っていた。いったいどこへそんなに急いで?何か緊急な連絡が入ったのか?東京に戻ってきたばかりで土地勘もないはずなのに、どうやって知世様を見つけるつもりなのか。止めずに一緒についていけばよかった、と後悔がよぎる。
「急いで!お嬢様を追いかけて護衛しなさい!」佐藤は焦りながら指示を飛ばした。
だが、すぐに物陰から出てきた数人の部下が困ったように言った。「ほとんどの人手は佐藤が連れて行ってしまい、残りは藤原邸の警備を離れられません。ここには重要な機密があるので……」
佐藤は歯がゆい思いで電話をかけ続けたが、ご夫人も佐藤もつかまらない。このまま何事も起こらないことを祈るしかなかった。