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第13話 対峙と退治

 戸の向こうから聞こえたのは、優しくて高い声だった。

 けれど、それは明らかに母山羊の声とは違っていて、昨日の狼の低く濁った声でもない。

 どこか作られたような声だった。


 小屋の中にいた全員の身体に、緊張が走る。

 空気が、びりびりと揺れるようだった。


 幸人が、小声で呟く。


ゆきと「……確認してくる」


 息を殺すようにして立ち上がり、足音を立てずに戸の前へ向かう。


 戸の隙間から、そっと外を覗く。


 視線の先には──昨日と同じ、異様な“それ”がいた。


ゆきと(……やっぱり……)

ゆきと「…狼だ。」


 昨日、扉越しに覗いたときの影と同じ

 毛並みは濃い黒、目は爛々と光り、口元には笑みのようなものが張り付いていた。


 だが、何もしてこない。立っているだけで、動かない。


 幸人はゆっくりと戸の前から戻り、皆に向き直った。


ゆきと「……いる。昨日の狼だ。……道後、神威、すぐ動けるようにしてくれ」


どうご「おう、任せろ」


 道後は片腕を軽く回しながら頷く。


神威「…………」


 神威も無言のまま頷き、立ち上がった。

 目にはいつも以上の鋭さと静かな気迫が宿っている。


 再び、戸の向こうからあの声が聞こえる。


狼「──おかあさんだよ。戸を開けておくれ」


 優しい声。その声に対して──


ゆきと「…あぁ、開けてやるよ」


 幸人は静かに鍵に手を伸ばすと、戸の鍵を外し、音を立てずに押し開けた。


 その瞬間、道後が右手を前に出した。


どうご(守れ、《守護輪廻(ガーディアンリレー)》──!)


 道後の声とともに、幸人と神威の身体に淡い光の防壁が瞬時に展開された。


 神威は一歩前に出ると、両足を開いて構える。全身から静かに湧き上がる覇気に、空気がわずかに震えた。


 開かれた戸の先、逆光でシルエットしか見えなかった狼の姿が、やがて陽光の中に浮かび上がる。


 想像していたよりも──大きい。


 獣とは思えぬほど整った四肢、鋭利すぎる爪、そして目の奥に宿る“人のような知性”。

 まるで化け物と、人間の境目が曖昧になったような存在だった。


 小屋の真ん中にいた子ヤギたちは、その姿を見て一斉に道後の背後に逃げ込んだ。

 小さな体を震わせ、ぴたりと彼の足元に身を寄せる。


どうご「大丈夫だ。……何があっても守ってやる」


 その言葉は、咄嗟に出たものではなかった。


 自分でも驚くほど自然と口をついて出た言葉だった。


どうご「おめえらのパパは世界一つえぇんだ。だから安心してそこで見てな……!」


 顔を真っ赤にしてそう言いながら、道後は狼と向き合った。

 子ヤギたちはその背中を見上げて──安心したように息を吐いた。


子ヤギ(桃色)「……パパ、かっこいい……!」

子ヤギ(黄色)「お、おまえなんか、こわくないぞ!」

子ヤギ(水色)「かえれ!バケモノー!」


どうご「おいっ!?バカっ!やめろっ!!」


 道後が振り向いて止めようとするが、子ヤギたちの叫びは止まらない。


おとは「ちょ、ちょっと!ダメ!危ないからっ!」

りこ「落ち着いて!子ヤギちゃんたちっ!」


 必死に止めようとする二人をよそに、子ヤギたちは道後の背後から顔を覗かせ、狼を睨みつけながら言葉を放ち続けた。


子ヤギ(水色)「おまえなんかだいっきらいだ!こわくなんかないぞ!」


 れいは、言葉を発せず、その場に立ち尽くしていた。


れい(……襲ってこないのか……?)


 するとすぐ、れいは何かに気づいた。


れい(…な、なんで……)


 戸の向こうの狼は、動かず、ただ立っていた。


 威圧感は確かにある。だが、牙を剥くわけでもない。ただ、笑っているような口元のまま、動かない。


ゆきと(……なぜ……なにもしない……?)


 誰もが動揺していた。


 その時だった。


 狼の口が、ゆっくりと開いた。


狼「──ただいま」


 にやりと笑ったその瞬間。

 小屋の奥の古時計の方で──カタンッ、と、小さく乾いた音が鳴った。

 それに気づいたのは神威だけだった。


神威「……!」


 神威の視線が、一瞬、音のした方へ向かう。


 それは──古時計の下。ほんのわずかな隙間から、白く小さな顔がのぞいていた。

 赤ちゃんだ。小さな瞳がじっと戸の方を見つめていた。


 狼が、再び一歩、足を踏み出した。


神威「……待て」


 神威の声が、低く響く。


神威「それ以上は…前に進むな。進むというのなら──斬る」


 沈黙が落ちる。


神威「…死にたくなければ、そのまま帰れ」


 狼の動きが止まった。


 張りつめた静寂。その中で、再び声を上げたのは──子ヤギたちだった。


子ヤギ(水色)「くるな!バケモノ!」

子ヤギ(黄色)「おまえなんかきらいだ!」

子ヤギ(桃色)「帰れ!帰れ!」


どうご「…だからやめろってお前らっ!!」

りこ「やめて!お願いだから!」

おとは「ほんとに危険ですわ!」


 止めようと叫ぶ道後や莉子たちの声も届かない。


 しかし──狼は不思議な動きを見せた。


 ゆっくりと体を回し、背を向けると、


狼「……また、きます」


 その言葉を残し、森の奥へと消えていった。


れい(………)



 * * * 



 狼の姿が見えなくなった瞬間、張り詰めていた空気が切れたように、

 莉子は膝から崩れ落ちた。


りこ「っ、はぁ……っ……」


 音羽も腰を落とし、息を整える。


おとは「……無事で……よかったですわ……」


 幸人は無言のまま戸を閉じ、鍵を静かにかけた。


 小屋の中に再び、静けさが戻ってきた。


どうご「……おい。お前らなぁ……」


 道後が、後ろにいた子ヤギたちを睨んだ。子ヤギたちはシュンとして、下を向いた。


子ヤギ(桃色)「……ごめんなさい……」


 泣きそうな顔を見て、道後はふぅっと息をついた。


 そして──子ヤギの頭に手を置き、ぽんと撫でた。


どうご「…まぁ…でも、かっこよかったぞ」


子ヤギたち「へへ……!」


 すぐに笑いながら足にすり寄ってくる子ヤギたち。道後は顔をしかめながらも、どこか嬉しそうだった。


どうご「……ほんとにわかってんだろうな!?もう二度とすんなよ!」


 その声すらも、いつもの見慣れた日常のように響いた。


 神威は無言で古時計の方へと歩いていくと、そっと昼食の木の実をその隙間の近くに置いた。


かむい「……お腹、空いているだろう。しっかり……お食べ」


 そう小声で呟くと、彼は誰にも気づかれないように戻っていった。


 れいは、ずっと戸の方を見つめていた。


れい(…やっぱり…いや、でもまだ…)


 言葉にならない感覚が、心の奥底でざわついている。


りこ「……で、なんかわかったの?」


 莉子の問いに、幸人はじっと考え込んでいたが──口を開くことはなかった。


 その時──


 ──トントン。


 再び、戸がノックされる。


???「おかあさんですよ。戸を開けておくれ」


 聞き慣れた……優しい声だった。

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