冷たいドリンクが喉を通り過ぎると、凛子の混濁した思考が少しずつ現実へと引き戻された。
ゆっくりと顔を上げ、彼女は見慣れた顔ぶれをぼんやりと見渡す。
そのとき、拓真の鋭い問いかけが耳の奥で何度もこだまし、まるで噛み合わない歯車のように、凛子はその意味を理解するのに数分を要した。
――私は、和樹を好きになった?
その疑問は彼女の中で何度も巡り、ぶつかり合い、やがて一つの答えに行き着く。
……私は、和樹を好きになっていた。
もしそうでなければ、「別れ」というたった二文字が、あの胸の奥を裂くような痛みをもたらすはずがない。
重い沈黙が空間を支配し、誰もが言葉を失っていた。
息を詰めるような時間の中、ついにその静寂を破るように、凛子が口を開いた。
その声ははっきりとしており、迷いのない力を宿していた。
「……うん。私は和樹のことが、好き」
その一言は、導火線に火がついた爆弾のようだった。
拓真が瞬時に感情を爆発させ、怒りのままに彼女へと詰め寄る。
風を切る音と共に、彼の手が彼女の頬を打った。
「ふざけるなよ!あんな奴のどこがいいって言うんだよ!?」
ビリビリと痛む頬が、凛子の意識を一層はっきりとさせた。
ゆっくりと目を閉じ、再び開いたときには、そこにあったのはただ静かな悲しみの色だった。
「三年間、一緒に過ごしてきた。彼はいつも優しかった。
悪いのは私……ちゃんと向き合わなかった、私のほうなの」
その静かな言葉に、拓真は声を荒げた。
「でも、もう終わったんだろ!?二人の関係は!」
凛子の表情には、さらに深い陰りが差した。
「うん、終わった。でも……私は諦めない。五日後、パリへ行く。
……彼を、もう一度取り戻しに行く」
彼女の一言に、空気が凍りついた。
拓真も、言葉を失った。
かつて皆が囁いていた、「凛子は拓真に夢中だ」と。
だが、彼が四年間フランスにいたあいだ、彼女は一度も彼を訪ねてこなかった。
それが、今回――和樹が去ってわずか数日で、彼女はパリへ飛び、振られてもなお、再び彼を追おうとしている。
そこまでできる相手が彼なら、では自分は……?
――この数年、自分は一体なんだったんだ?
羞恥と悔しさで、拓真の顔がみるみる赤くなった。
凛子を最後に睨みつけると、彼は怒りに任せて部屋を飛び出した。
扉が勢いよく閉まる音が、部屋に響き渡った。
残された友人たちは顔を見合わせ、やがてその視線は皆、凛子に集まった。
「凛子……本当にフランスに行くつもりなの?」
最初に口を開いたのは田中舞だった。
その声には心配の色がにじんでいた。
凛子は小さく頷くと、テーブルの上の新しい酒瓶を手に取り、自分のグラスに酒を注いだ。
「もし……いや、“もし”の話なんだけど……」
もう一人の友人が恐る恐る口を開く。
「もし和樹が復縁を拒み続けたら……どうするの?」
グラスを持つ彼女の指先に、ぎゅっと力がこもる。
その声は、決意に満ちていた。
「それでも諦めない。彼が一度でも向き合ってくれるなら、私は……いつまでも待つ」
しばし、沈黙が流れた。
誰かが、ついに核心を突いた質問を口にする。
「……じゃあ、拓真は?もう……好きじゃないの?」
凛子は静かに息を吸い、整理した考えを落ち着いて語った。
「昔は、彼のことが好きだった。でも……カズキと一緒にいたこの数年で、その気持ちは少しずつ薄れていったの。
……ただ、それを認めたくなかっただけ。
今は、彼を“大切な友達”、それも“弟みたいな存在”としか思えない。
拓真が言ったように、私たちは……友達のままでいいと思う。
私は、前に進む」
その言葉を聞き、皆ため息を漏らした。
長年の関係が、こうして終わりを迎えることに、どこか寂しさを覚えずにはいられなかった。
けれど――凛子の決意は固い。
友人たちはそれを感じ取り、何も言わず、そっと彼女の肩に手を置いた。
支えと励ましに包まれ、凛子の沈んだ心はようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
彼女は最後の一口を飲み干し、グラスをテーブルに置くと、すっと立ち上がった。
そして、迷いのない足取りで部屋を後にした。