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第4話

「…嬢、美弥嬢」


晴磨に名前を呼ばれ、美弥ははっと顔を上げた。


「大事なものだというのは分かっている。少しだけでいい。勾玉を貸してくれないか」


真摯な表情で頼まれ、美弥は小さく頷くと首から紐を外して勾玉を手渡した。晴磨は左手の中に勾玉を置き、右手の人差し指と中指をその上に立て、呪文を唱えた。


「急急如律令」


バチバチッと閃光が走る。晴磨は痛みに顔を歪め、美弥は驚いてギュッと目を閉じた。


「目を開けてみろ」


晴磨に言われ、美弥がおそるおそる目を開けると、晴磨の左隣に今までいなかった少女が現われた。高い位置で黒髪を2つに結び、袖と裾にレースのフリルが施された藤色を基調にした着物を着ている。二重瞼のぱっちりした朱色の瞳と目が合い、美弥はパチパチと瞬きを繰り返した。


「クラのこと、みえてる」


晴磨の方に目を向け、凛とした高い声で少女が言った。


「美弥嬢、勾玉をありがとう」


晴磨から勾玉を受け取ると、一部が少し黒く変色している。


「色が!」


「一時的に勾玉に封印されていた美弥嬢の力を解放したせいだ。すぐ元に戻るだろう。俺の式神が見えたのもそのためだ」


「式神?」


「俺と契約を交わした使い魔だ」

少女に目を向けると、表情を変えず片手をふりふり振ってきたので、美弥は反射的に振り返した。


「晴磨殿、さっきから我々を無視して何を話しておられるのですか!」


父はイライラした口調で机をバンと強く叩いた。美弥はビクッと肩を震わして顔を伏せた。

 少女が目を吊り上げ、朱色の目を光らせる。父と桃華は何かを察したように辺りを見回し、顔を強張らせた。


「ほう。少しは気配を感じ取れるのだな」


晴磨がふっと鼻で笑うと、父は顔を赤くしてギリギリと歯を食いしばった。


「いい加減にして頂きたい。今日は桃華との顔合わせに来たのでしょう。何故さっきからそいつとばかり」


「このおっさん、きらい」


少女が父に指を突きつけると、まだ話していた途中の父の口が、縫い合わせられたように閉じられ、声を出せなくなった。


「んーっ!」


「お父様、どうされたんですか?!」


「何事ですか?!」


がっちり閉じられた上唇と下唇を引きはがそうと躍起になっている父に、桃華と佳江が慌てて問いかける。父はこめかみに血管が浮かび上がらせ、晴磨を指差して声にならない声を上げて怒りをぶつけている。美弥も何が何だか訳が分からず、クラと父を交互に見て右往左往するばかり。


「美弥嬢を婚約者とする。美弥嬢、明日から我が阿倍野邸で生活するように」


美弥だけでなく、父、佳江、桃華も目を見開いて晴磨を呆然と見つめた。


「では、これで。行くぞ」


晴磨がすっと立ち上がると少女も立ち上がった。


「んー! ん、ん!」


父も立ち上がり、晴磨に指を突きつけて地団駄を踏む。晴磨が溜め息をついて指をパチンと鳴らすと、父の口がパカッと開いた。


「はぁっ、はぁっ。よくもやってくれたな。いくら阿倍野家の後継ぎとはいえ、こんな無礼は許されないぞ。それに何の説明もなく婚約者を変えるなど言語道断!」


「説明しないと分からないのが答えだ。お前らは誰も見えていないではないか」


「な、何のことだ」


「晴磨様、説明してください。このままでは桃華が不憫ですわ」


「そうですわ。何故力が全くない姉を選ぶのですか?」


「力がない? お前たちには見えない式神が見えているのに?」


晴磨に言われ、父たちは室内を見回す。


「美弥嬢の力は勾玉に封印されている。桃華譲よりも遥かに強い力だ。弱くなった互いの家の力を強めるための婚姻だろう。美弥嬢が選ばれるのは当然のことだ」


「し、しかし、封印されているということはないのと同じではないか」


父が晴磨に食い下がると、晴磨は美弥の前に膝をつき、勾玉を握りしめている美弥の手を取り、勾玉に目を落とした。変色した部分は既になくなり、元の澄んだ翡翠色に戻っていた。


「封印は解けばいい」


「それはそうかもしれませんが、祝言を挙げる前に一緒に住むなんておかしいですわ」


怯えながら佳江が言うと、晴磨に睨まれ、父の後ろに隠れた。


「この家にいても美弥嬢は幸せには見えない。妻になる人が不幸なことを望む者はいない。それに、こちらにも事情がある。美弥嬢、明日の早朝迎えの馬車を寄こす。それに乗って来てくれ」


「は、はい」


美しい顔を前に、美弥は心臓が飛び跳ね、思わず返事をしていた。晴磨は少女を伴って部屋から出て行った。



「大丈夫かい?」 


「っ! ちょっと痛いけど、大丈夫です」


自室でおまつから、頭にできたこぶに薬をぬってもらった美弥は痛みに顔をしかめた。


「まさかあんたが嫁ぐことになるなんて驚いたけどさ、茶碗投げつけたり、扇子で叩いたり、旦那様たちひどいじゃないか。あんたが自分で決めたことじゃないのに」


おまつは眉を寄せてふんと鼻息を荒くした。


「私もまだよく分かっていなくて。本当に桃華さんより強い霊力があるんでしょうか」


「そんなのあたしも分からないよ。阿倍野家の若様が言うならそうなんだろ。自信持ちな」


「ありがとうございます。お父様たちは大丈夫でしょうか」


晴麿が帰った後、髪を振り乱して金切り声を上げた桃華から扇子で何度も叩かれた。父と佳江も憤り、茶碗を投げつけられ、恨み言を言われた。騒ぎを聞き付けて駆けてきたおまつに助けられ、額や腕、背中にできた痣とみみず腫れになった患部に薬を塗ってもらったのだった。


「そんなのあんたは気にしなくていいんだよ」


おまつに明るい声で言われ、美弥は胸が少し軽くなった。おまつは畳の上に置かれている小物入れに目を向けた。


「これ、まだ持ってたんだね」


「はい。大事な物ですから」


「悪かったね」


「え?」


「昔、忘れろ、執着するなって言っちまっただろ。あんたに強く生きて欲しかったんだよ」


目を伏せるおまつの声が少し震えている。美弥は微笑を浮かべておまつを見た。


「今までやってこれたのは、おまつさんのおかげです。何も知らない私に根気強くたくさんのことを教えてくれて、たくさん助けてもらいました。感謝しています。本当にお世話になりました」


顔を上げたおまつは、鼻をすすって目の端を拭うと、大きな口を横に開いて笑顔を見せた。


「何言ってんだい。あー、阿倍野家でも叱られないか心配だよ」


「あちらのお屋敷でも叱られちゃいますかね」


「叱られないよう頑張りな。若様と夫婦になって、幸せになるんだよ」


「…‥はい」


明日、本当にこの家を出て行く。送り出してくれるおまつの言葉でようやく実感できた美弥は、おまつの笑顔に寂しさを覚え、胸が熱くなった。


 翌朝、朝食の支度で女中達が忙しなくしているなか、風呂敷を一つ抱えた美弥は1人で門の外に出て、東の空に昇り始めた朝日を見つめた。深呼吸をして朝の清々しい空気を肺に取り入れる。ふーっと息を吐きだすと、いつの間にか門の外に来ていたおまつに呼び止められた。


「美弥」


「おまつさん!」


「あたし1人ぐらいは見送りしてあげようと思ってね」


「おまつさん……」


美弥は込み上げてくる思いを呑み込み、唇を噛みしめた。


「そんな顔で嫁ぐもんじゃないよ」


「おまつさんの顔見たら寂しくなっちゃって」


目の端に溢れてきた涙を、おまつが鼻をすすりながら前かけで拭った。


「泣くんじゃないよ。ほら、迎えの馬車が来たんじゃないかい」


蹄の音が聞こえて来て、屋根付きの立派な馬車が門の前に止まった。


「わっ、凄い立派な馬車」


「さすが阿倍野様だねえ」


黒い外套に身を包み、つばの広い背高帽子を被った御者が下りてきて、美弥の前で恭しく頭を下げ、扉を開けた。


「ほら、お行き」


「おまつさん、本当にお世話になりました」


「幸せになるんだよ」


涙声のおまつに頭を下げ、美弥は馬車に乗り込んだ。扉が閉められ、窓からおまつに手を振ると、おまつは涙を堪えながら手を振り返した。ビシッと馬に鞭を打つ音が聞こえ、馬車はゆっくりと動き出す。おまつが見えなくなるまで美弥は手を振り続けた。

 窓から顔を離して前を向き、ふうと息を吐き、胸元の勾玉を取り出して掌の上に乗せた。


「本当にこの中に、私の霊力が封じられているのかしら」


つるんとした滑らかな触り心地の表面を撫でる。


「そういえば、阿倍野様のお屋敷は西にあるのよね。どのぐらい時間がかかるのかしら」


再び窓の外に目を向けると、さっきまで明るかったはずなのに今は新月の闇夜のような暗がりが広がっている。


「えっ? どうして? ここ、どこ?」


(本当に阿倍野様のお屋敷に向かっているのかしら。やっぱり昨日のこと怒っていらした? でも、怒っているからって私を婚約者にするなんてさすがにおかしいわ。でも、じゃあ、何でこんな真っ暗な所を走っているの? 私、どうなっちゃうの?!)


美弥の不安をよそに、馬車は止まることなく暗闇の中を疾走していった。


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