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第7話 圧倒的な妻への庇護

九条莉子があまりにも落ち着いているので、佐々木部長はますます後ろめたい思いに駆られた。結局、CCのプロジェクトは田中美雨に任されることになった。彼女の提案は九条莉子ほど斬新ではなかったが、無難さが評価され、小林理恵も渋々承諾した。一方、小林理恵が担当していた、厄介で有名なコムデギャルソンの案件は、誰も引き受けたがらず、最終的に九条莉子の元へ回ってきた。


退社前、田中美雨が得意げに書類を抱えて九条莉子のオフィスに入ってきた。


「さすが外様は違うわね。クライアントにダメ出しされたばかりなのに、余裕でお茶なんか飲んでて?」書類をデスクに叩きつけ、「ほら、コムデギャルソンの案件よ! そんなに“できる”なら、一週間で仕上げてみせて?あなたの“力作”、楽しみにしてるわ」と意地悪く言葉を強調した。


九条莉子は田中美雨を一瞥もせず、書類をバッグにしまい込む。「心配しないで。コムデギャルソンが納得する提案を必ず出すわ。だって――」顔を上げてにっこり微笑む。「私の価値は、“キャリアの長さ”だけじゃないから。」


「なっ…!」田中美雨は核心を突かれ、顔を青ざめさせた。だが、九条莉子はすでに立ち上がり、振り返りもせずにオフィスを後にする。田中美雨はその場で足を踏み鳴らした。「いつまで調子に乗っていられるかしら!」


退社後、九条莉子はショッピングモールに立ち寄った。家にもう一人増えたことを思い出し、洗面用具やバスローブ二着、控えめなパジャマ二組を選び、店員の勧めでメンズのシェーバーも購入した。買い物袋を愛用の電動自転車に下げて、鼻歌交じりで帰路についた。


夕方のラッシュで人混みができていた。カーブに差し掛かったとき、後ろから派手な赤いスポーツカーが急にスピードを上げて進路を塞ぎ、九条莉子は自転車ごと弾き飛ばされてしまった。


「ドン!」左脚に自転車がのしかかり、激痛に思わず息を呑む。なんとか起き上がろうとしたが、足首に鋭い痛み――捻挫してしまったようだ。


「チッ!どこ見てんだよ、てめぇ!俺の車にぶつかりやがって!」スポーツカーから金髪でサングラスの若い男が降りてきて、怒鳴りつける。「新車なんだぞ、二千万したんだ!傷つけやがって!二百万払え、払えないなら帰れると思うなよ!」


助手席からはミニスカートの女性が降りてきて、嫌そうに顔をしかめる。「最悪、私のスパが台無しじゃない!」


九条莉子は呆れたように笑った。「スピードを落とさずにぶつかってきたのはあなたなのに、なんで私が払うの?警察を呼んで、監視カメラを確認してもらいましょう。」


「警察だって?」金髪は大笑いしながら、急に彼女のスマホを奪おうとした。「横浜で俺に逆らう奴はいねぇんだよ!じゃあ百万円でいい、俺の損だと思ってやるよ!」


九条莉子はスマホをしっかり掴んだまま離さない。「一円も払わない。あそこにカメラがあるし、どちらが悪いか一目瞭然よ!」野次馬も増え、皆がスマホを構え始めた。


少し離れた場所に、ゆっくりとマイバッハが停車した。


「前で何かあったのか?」後部座席でパソコンを見ていた九条直樹が顔を上げる。


「社長……たぶん、奥様です」中山優樹が窓を下ろして覗き込む。言い終わるや否や、後部ドアが勢いよく開き、九条直樹が大股で現場へ歩み寄った。


金髪は野次馬の多さと九条莉子の強気に苛立ち、スマホを投げ返して悪態をつく。「チッ、運が悪かったな。どけ、貧乏人!」と捨て台詞を吐いて車に戻ろうとした。


九条莉子は痛みに耐えながら男の袖を掴む。「スマホを壊しておいて、そのまま逃げるつもり?」


「安物なんてどうでもいいだろ!離せ!」金髪が強く振り払うと、九条莉子はバランスを崩して後ろに倒れそうになった――が、その背中をしっかりとした腕が受け止めた。


「大丈夫か?」九条直樹の低い声が頭上から響く。彼は地面に倒れた電動自転車と散らかった荷物、そして彼女の腫れた足首と膝の傷に目を落とした。「たまたま通りかかった。」


「私は大丈夫……」彼の顔を見ると、九条莉子の目頭がじんわり熱くなった。


九条直樹は何も言わず、彼女をそっと抱き上げ、マイバッハの後部座席に座らせた。「水を飲んで、待っててくれ。」ドアを閉め、振り返った彼の目は氷のように冷たくなっていた。


中山優樹は素早く金髪の男の手を背中で組ませ、ボンネットに押さえつける。「口の利き方に気をつけろ。」


「ふざけんな、てめぇ誰だよ!俺は佐藤家の人間だぞ!痛い目に遭いたいのか!」金髪が喚き散らす。


「佐藤家?」九条直樹は鼻で笑い、すぐに警察へ通報した。「高橋、警察署まで同行を。最高レベルで“対応”してくれ。」


最後の言葉が重く響く。中山優樹はすぐに連絡を取った。


交通警察がすぐに到着し、九条直樹の一言で手際よく現場処理を進めた。車は押収され、男も連行される。金髪の男はすっかり勢いを失い、警察車両に押し込まれる時には声も震えていた。


九条直樹は車に戻り、氷嚢を取り出した。「少し我慢して。」腫れた足首にそっと当てると、九条莉子は思わず顔をしかめた。


診断は靭帯の部分断裂と大きな打撲。医師からは安静にして歩かないようにと告げられる。


「彼氏さんに家まで送ってもらってくださいね。数日は安静に。」医師は隣で強い存在感を放つ九条直樹を見て言った。


「ありがとうございます。」九条直樹はしっかりと返事をし、医師を見送った後、九条莉子の前に膝をついた。「次は、何かあったらすぐに俺に連絡すること。」指先がそっと傷に触れる。


「……うん。」九条莉子は小さく頷き、優しさに包まれた。


九条直樹は再び彼女をしっかりと抱き上げた。九条莉子は恥ずかしさに顔を彼の胸に埋め、周囲の羨望や好奇の視線を感じながら身を任せた。


病院の入口で、早坂清佳がふと足を止めて人だかりの方を見た。


「どうしたの?」一緒に診察に来ていた西尾夏樹が尋ねる。


「今、莉子の姿を見かけた気がして……」早坂清佳は目線を戻し、ふと不安そうな表情になる。「両親も連絡が取れないって心配してたし。あの九条直樹……正直、条件が悪すぎる。莉子は大丈夫かしら。」


「心心、君は優しすぎるよ!」西尾夏樹は彼女を抱きしめながら慰める。「九条莉子は冷酷な女さ。四年前、君を誘拐事件に巻き込み、結婚式でも薬を盛ったんだ。心配する必要なんてない。むしろ、もう二度と現れてほしくないよ。」


早坂清佳は彼に寄り添いながら、目の奥に一瞬だけ冷たい光を宿した。「そんなこと言わないで。何だかんだ言っても、彼女は私の妹だから……」


一瞬不安がよぎったが、すぐに気を取り直した。自分はもう西尾家の奥様なのだ。おじい様が残したものも、いずれは自分のものになる――そう思うと、不安など消え去った。


グランドハイツ霞が関に戻ると、九条莉子は買ってきた品を九条直樹に手渡した。「帰りにデパート寄ったから、使えそうなものを選んでみたの。」


九条直樹は新品のシェーバーやバスローブ、パジャマを見て、少し目を細めた。誰かにこうして選んでもらうのは初めてだった。「ありがとう。すごく嬉しい。」彼女の足を見下ろし、もし買い物なんてしなければ……と複雑な表情を浮かべた。


「明日からは、俺が会社への送迎をする。」その口調は断固としていた。


九条莉子は反射的に断ろうとしたが、腫れた足首を見て納得せざるを得なかった。「……じゃあ、お言葉に甘えます。」


「夫婦なんだから、遠慮は不要だろう?」九条直樹は自然にキッチンへ進む。「夕飯は何が食べたい?」


「夫婦」という言葉に、九条莉子の胸が小さく波打った。ふと思い出し、「そういえば、私たち……まだ連絡先を交換してなかったね」と慌ててスマホを取り出す。


九条直樹がスマホを差し出すと、九条莉子はすぐに友達追加をし、100万円を送金した。


九条直樹は送金通知を見て、珍しく驚いた表情を浮かべた。


九条莉子は咳払いして説明した。「今は……お仕事が落ち着いてないかもしれないし、焦らなくていいから。送迎も大変だろうし、このお金使って。」プレゼントは迷ったが、現金が一番確実だと思ったのだ。


彼ほどの人が、適当な仕事に就くのはもったいない。


九条家の跡取りが、人生で初めて「養われる」立場になった瞬間だった。


「誰が仕事してないって言った?」九条直樹は受け取りをせず、ゆっくりと彼女を見つめた。


九条莉子は戸惑いながら答えた。「両親がそう言ってて……違うの?」


九条直樹はわずかに微笑み、送金を返金した。「俺は仕事をしている。自宅でのリモートワークだ。」


「あ、そうなんだ……。じゃあ、これはお詫びってことで。だって、結婚のことで……早坂家があなたに迷惑をかけたから。」唇を噛みしめる。彼なら本来、愛されていた清佳と結婚して早坂家の後ろ盾も得られたはずなのに、自分のような“孤児”と一緒になったのだから。


九条直樹は真っ直ぐに彼女を見つめ、低くはっきりと言った。


「早坂清佳より、君と結婚できて、俺はずっと嬉しいよ。」

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