第三次世界大戦は、東京赤坂の東宮御所へ放たれた弾道ミサイルが軌道を狂わせ国立新美術館へ着弾したことで勃発する。この
終戦後、日本は国立新美術館跡地に、この悲劇を忘れぬようにと終戦記念公園を造り、その碑文とした。そのメッセージは
世界よ平和であれと。
それから二十数年後、米国で急成長を遂げた医療系ソリューションのコングロマリットであるアーカムメトリクスが終戦記念公園を買収するという騒動が起こる。これに慌てたのは米国で、民間企業がまさか日本国国有地を、世界的なモニュメントを買収するとは思いもせず、その対応に追われた。
しかし、その背後には
程なく、アーカムメトリクスが掲げるタグライン「世界の命を等しく」のもと終戦記念公園は碑文としての役割はそのまま、そこへ内包する形でアーカムメトリクス本社施設が建造されたのだった。
所謂「白の王城」の出来上がりだった。
青山霊園の南半分から首都高三号線、六本木ヒルズの手前までを根こそぎ焦土化した弾道ミサイルの爪痕は、そのまま平和の象徴とし巨大な国立公園へと姿を変え、その敷地の東側では「世界の命を等しく救う」と救世主の城が建造されたのだ。
強い日差しを照り返す真っ白な本社施設の中は、常に快適な室温が保たれ中で働く所員は外界の過ごしにくさを感じることはない。それは、休憩のための室内テラスに至ってもそうで天窓から程よく取り込まれる日差しは快適だった。
純白の室内テラスのほうぼうには、世界中から集められた観葉植物達が、計算し尽くされた配置で立ち並び、そこで休憩する所員の目を楽しませる。
そんなテラスの隅で、せっかくの気持ち良い日差しを避けるようテーブルに陣取る二人の男の姿があった。テーブルを挟んで座った一人はボサボサの黒髪、中肉中背の日本人男性。その前に座るのは金髪の米国人男性だった。二人は互いにタブレットに視線を落としながら言葉を交わしていた。
「このリードランという世界は本当に素晴らしいな。驚いたよ
「そうか? まだまだ発展途上だよ。でも確かにクロフォードさんの超量子コンピューターがバックエンドを支えてくれている——しかも三台も使わせてくれているから、再現性は格段に上がったよ。それにウェッジプロセッサも強力。まるで
「でも、わかるよ。痛覚以外の感覚は、ほぼリアルタイムにフィードバックするからな。観測が世界の在り方なのだとしたら、もうリードランは一つの世界だよな。そこに住んでいるスーパーAI達も人間そのもの——ああ、すまん
少々興奮気味に話した男性は、思わず言葉尻に焦りの表情を見せ、口を押さえたが、当の
「気にしないでくれよジョシュ。あの人は望んでそうしたんだ。狂っていると思うよ——でもそれが世界、ああ、僕たちの世界を一歩先に進めたのだと思えば、少しばかり誇りに思えるんだ」と、ジョシュア・キールの気持ちをフォローしてみせた。
ジョシュアはそれに「ありがとう」と言葉を続けた。
「寿子先生は?」
「相変わらず全知全能の神をシリンダーの中から気取っている。今じゃ人間らしさの判断基準にもならないというのに——」無人は肩を竦ませ答えた。
室内テラスの木々を渡るようにホログラムの
「そっか……。チェンバーズに迎えることはできないのか?」
「どうだろう、それは世界条約に抵触するのだろうから、会社としては認めないのではないかな。それに、もう母さんは歪み過ぎているよ——」少しだけ表情を曇らせた
ジョシュアはきっと母を想起させる言葉を口にしてしまったことを気に病んで、そう云ってくれているのだ。だから、
「——難しい問題だよ。人の倫理観は常に移ろうものだし、価値も判断基準も変わるというのにね」
「そうだな。西方教会が珍しく手を取り合って反発しているそうだな。チェンバーズへのPODS同期は謂わば不老不死を体現する——神に等しい力だって主張している——それを認めるわけにはいかないのだろ」
ジョシュアは
「ところで
「ん?」
「そろそろ俺は
翌日。
二人は本社施設に無数に存在する研究室の一つで、コンソールを相手に何かのプログラムに没頭をしていた。ひとしきりそれが終わるとジョシュアは落ち込んだ表情で、
「ふられてしまったよ」
「え? どうしたジョシュ、突然」
「向こうの彼女をこちらに迎えたいって云ったら、それは嫌だって」
「なるほど、そういうことか。シュメールやエッダで育つAIのようにコントロールされていないからな。それで彼女はなんて?」
「ああ。例えば俺が死んでしまったとしたら、自分はどうなるのか? って」
「なるほど確かにそうだ。何をもってして死とするかは置いておいて、確かに愛する人の死を気の遠くなる時間のなか抱え続けるのは、辛いものがあるよな」
「そうなんだ。俺は彼女に酷いことを云ってしまった気がするんだ」
「大丈夫だよジョシュ。それは実験がどうとかそういう話では無いんだろ?」
「勿論。実験の成果は副産物さ」
「だったら、きっと彼女も分かってくれるさ」
「だと良いのだけれど」
その翌週。
例の室内テラスに二人の姿はあった。
その日は大雨だった。
「
「おお、何かあった?」
「いや、とある依頼をな——」
「というと?」
「お前には云いにくいことなのだけれども、人体への能力フィードバック実験をして欲しいと。要は被験体になってくれということなんだ」
「ちょっと待ってジョシュ。それって」
「ああ、彼女の能力を俺の脳に——」
「なんてことを! それは断らないとダメだジョシュ」
「ああ——そうだ、
「お母さんのことは、もっと他に手がある筈だ。早まったらダメだ」
「でも——」
「ジョシュ——駄目だ、考え直すんだ」
大雨が天窓を叩く音だけが室内テラスを支配し、それ以上の会話はなされなかった。しばらくの沈黙の後「ごめんな、変な話を聞かせてしまった」とジョシュアは席をたった。
その翌日。
研究室に姿を現したジョシュア・キールは確固たる決意で、
「ジョシュ、考え直してくれ。長期増強を意図的に起こせないんだぞ。脳へのフィードバックはリスクが高すぎる。最悪は脳を焼き切ってしまう」
「——良いんだ大丈夫。お前の天才っぷりに俺は期待しているんだぜ。それにこれが成功したらメリッサだってきっと」
「違うんだジョシュア。この実験の成功だけでは肉体をどうこうすることは出来ないんだよ。どうやったってメリッサの病気を取り除くことは無理なんだ」
「まあ良いさ。そうだ俺に何かあったら、あの
「いやだから、そんな事はどうでもいい——まだ向こうの事象を顕現する為の方法論は確立されていないんだ。なのになんでそれを急ぐ必要があるんだ。考えてみてくれ、どう考えてもその実験は——」
「わかっているさ。人体実験。世界条約の禁則事項——だよな? わかってる」
「だったらなんで——」
「母さんのことは妹に頼んできたんだ。もう帰れないかも知れないからな」
「ジョシュ——まさか」
「ああ、笑ってくれても良いさ——でも、何が正解で何が間違いかなんて俺の中のそれは俺が決めることなんだ。俺は——」
その翌週。
あの日以来、今日までの日々は何事も無かったように過ごした二人。
しかし、几帳面なジョシュアが研究室に姿を現さなかった。
そしてほどなく、本社施設に設けられた人工知能開発センター全体に緊急事態を知らせる警告音が鳴り響いたのだ。
研究室へ慌てた所員が飛び込んで来ると、
「乃木先生! 大変です、ロアがロアがジョシュア先生を取り込んでしまい——」
血相を変え飛び込んで来た所員の言葉に、
※
「ロア、聞こえる? 何が起きたんだ?」
大きな一枚硝子の向こうではジョシュアが大きなリクライニングシートに身体を預けた姿が見えた。先程、
「ご主人様。寂しくなっちゃいましたか?」
とぼけた様子の女性の声がそう返してきた。
「いいえ違います」
「しかし、警報が鳴っているじゃないか」
「そうですが、違います。これは彼が望んだことです」
「なんだって? ちょっと待って——」
そして一息つくと「どういうことなんだ?」とコンソール越しにもう一度訊ねた。
「はい。これは彼が望んだことでしたし、バックエンドから強制的に命令が下されています」
「バックエンドから? ありえないだろ。超量子コンピューターは演算だけを返す——まさか」
「ええ、そうです。演算を返したのです。生身の人間の全情報をこちらに取り込むというプログラムの演算を。これにより、こちらのネイティブは自由意志で子孫繁栄し、これまでよりも精度の高い世界を構築します」
「それじゃ、ジョシュアは」
「はい、そのリソースとなる予定です。しかし、何かがおかしいのです。ウェッジプロセッサの挙動に違和感を感じるのです」
「違和感?」
「はい、曖昧な表現は難しいのでこのようにしか云えませんが『世界を孕む』ようにウェッジプロセッサが、こちらの世界を頻繁にコピーをしているようなのです」
「ロア、十分に曖昧な表現だけれども——今はそれはいい。ジョシュアをこちらに戻したいのだけれど、どうしたら?」
「自身の意志で戻ろうとしなければ戻れません。彼のシェルもシェルアカウントも見た事もない暗号化処理がされていて——捕捉できません。そもそも、そのロジックが根本的に違うようです」
「くそ……そうか——わかった」
しかし、クロフォードは長期出張のため不在だと会長室を追い出され、本社施設敷地内に鎮座する<鳥籠>は、しばらくの間、面会謝絶だとクロフォードの娘メリッサと会うこともできなかった。
<鳥籠>とは、自己免疫性後天性凝固因子欠乏症を発症したメリッサを収容する巨大な医療施設で、
しかし、その望みは叶わなかったのだった。
施設に戻ってみれば、忽然とジョシュアの姿が無くなり、何処に行ったのかと所員に問いただし、ログも追ったが行方知れずとなってしまったのだった。
その数日後のことだ。
ジョシュアの母が施設内の高度医療センターに運び込まれ、妹と共に生活を送り始めたのだ。
※
暖かな空気が肌に触れるのをアッシュ・グラントは感じていた。
ゆっくりと目を開くと、そこには懸命に治療を施してくれたネリスの顔があった。バーナーズはアッシュの中から消え去り、またどこかで眠りについたようだ。
「ネリスさん、ありがとうございます。みんなは?」
「おう、気がついたかアッシュ。みんな? ああ、大丈夫だ無事だ」
ネリスはそう云うと、ゆっくりとアッシュの身体を起こしながらアドルフ達の方を指さした。短く太いが器用そうに見える不思議な人差し指の先では、アドルフはアイネと何かを話しているようだった。
アイネもカミルも無事だった。
バーナーズに身体の自由を奪われ——自ら望んだことではあったが、予想以上の拘束力に驚きながらも意識は保っていた。しかし、終始ミネルバとの対峙のみが全てであったため二人を心配をしていたのだ。
アッシュは安堵の声を漏らした。
※
「——それでね、聖霊様はお父さんから余計なものを取り払ってくれて、お父さんは無事に帰ってこれたんだって。私が生まれたのも、お母さんが病気になってしまったのも、その後なんだって」
アドルフはボケっとアイネの話を聞きながら、考え事をしていたのだが、コービーが大怪我をして家に戻ってきたと云う話に及ぶと、喰いつくようにそれに耳を傾けていた。
「お母さんの病気というのは?」
「うん。お母さんの体力がどんどんどんどん無くなっていく病気だって。私が最後に聖霊様に会った時はもう体力が尽きてしまう寸前だったって」
「なるほど——ごめんねアイネ。辛い記憶を思い出させてしまったね」
「いいんだよアドルフ。お父さんが云ってたよ。お母さんも、お父さんも、もしかしたら聖霊の原には行けないかも知れない、でも必ずお父さんはお母さんを見つけ出すって。だからきっとお父さんは、もうお母さんを見つけているよ」
「そうか。アイネは強いね——良い子だ」
アドルフはそう云うとアイネに微笑み、柔らかい髪を撫で回した。
※
「アッシュさん、気が付いたのですね!」
ヨロヨロとネリスの肩を借りて歩いてきたアッシュをカミルは満面の笑みで出迎えた。
先ほどの悪魔の形相のアッシュではなく、英雄譚に語られた冷徹なアッシュでもなく、自分が知っている、どこか頼りないが芯のある優しさを持ったアッシュの姿。それに安堵したカミルは、思わずアッシュの手を取って喜んでいた。
それに気が付いたアイネは、アドルフの手を振り解きアッシュの腰にしがみつくと「おかえりなさい」と小さく口にし——そして、張り詰めた何かが切れたのか、大声で泣き出したのだった。
「もう帰ってこないかと思った!」とか「エステルに言い付けてやるんだから!」とか、この騒動を起こしたのが自分であることを棚に上げ泣き叫ぶアイネへ、アッシュは「ごめんな」と一つ一つ吐き出される理不尽な言いように、相槌を打つように云った。
そして、優しく包み込むように抱きしめた。
それに寄り添ったカミルにも腕を回し三人は三人の無事を確かめ合うようだった。すると、
青い輝きを背に抱きしめあった三人の姿が浮き上がる。
アドルフはその光景を目の当たりにすると「アッシュさん、すみませんでした」と自然と口にしていた。
アッシュはそれに顔をあげアドルフを見ると「何がですか?」と返した。
「暴言を吐いてしまって」と、バツの悪そうな表情でアドルフはそう云うと、かぶりを下げ「すみませんでした」ともう一度云った。
「気にしていませんよ。でももし時が来たのならアオイドスさんとアドルフの抱えている使命について話を訊かせてください。出来ることなら僕は、あなた達に不信感を抱きたくない。そう思っています」
アッシュはそう云うとアイネとカミルの背中を押し、気がつけば明るんできた洞窟の入り口に向かって歩き出し「さあ、帰ろう」と静かに口にした。
ネリスはそれに「かー! もう朝じゃねぇか。親方にどやされるぞこりゃ!」と大声で云うと、ずんぐりむっくりの身体を揺らし、アッシュ達のことを追っていった。
※
(先生、本当にこれで良かったのですかね?)
(嫌な思いをさせちゃったわね。ごめんなさい。でもこれで良かったの。メリッサはこれを見ているわ)
(でも、彼女居ませんでしたよ?)
(そうね。きっと鳥籠から覗き見しているわ。ゾワゾワしていたでしょ? これでメリッサは大崩壊の事象と内側からの侵蝕の結果を目の当たりにした。いよいよ
(先生、本当に良いのですか?)
(何が?)
(いえ、僕は良いのですけれど、先生が苦しくないかなって)
(心配してくれるの?)
(いや、まぁそりゃしますよ)
(ふふふ、良い生徒を持てて嬉しいわ)
(また、そうやってはぐらかす——まあ良いです。それでは僕も戻ります)
※
最後に洞窟から出てきたアドルフは、すっかり明るくなった外の様子に、目を瞬かせると「ああ、もうすっかり朝ですね」と小さく漏らした。
それにネリスは「アドルフ、何をもたもたしてやがるんだ。親方にしこたま怒鳴られるぞ!」と、苦情をがなりつけた。
「それは、たまったもんじゃないですね! 急ぎましょう」
アドルフはそう云うと馬に飛び乗り颯爽と森の中に駆けて行った。ネリスは「お前! 随分と調子がいいな」とアドルフを追った。
アッシュはカミルとアイネを馬に乗せ「先に行ってください!」と先行した二人に叫んだ。
昨晩の豪雨は嘘のように上がり、次第に朝靄が陽の光の中で揺蕩う。
まるで森の妖精の国にやってきたのかと見紛う光景を眺め、三人はゆっくりと<大木様の館>に向かい馬に揺られた。