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亡者塚②




 片腕を失ったイラーリオが云うには、血相を変え娘の行方を訊ねて来た男はクレイトン商工会の会員で、今回の移住計画を進めたのは彼なのだそうだ。シラク村評議会代表を兄に持つ彼は、今回の災厄で溢れかえった難民の移住先の斡旋もかね、兄とこの計画を進めた。


 一時、セントバに身を寄せ大量の工芸品や名産品に武具の類を多く仕入れると、アムルダルム首都マニトバを相手に兄とシラク村で商売を始めようと考えていた。

 世界情勢を見渡せば、ベルガルキー首都クルロスと太い一本道で繋がるマニトバは近い将来にキナ臭くなることは必至だ。それであるからこそ、マニトバには備蓄に勤しみ、物品を必要とする者が多くいる。


 彼らは、そこに目を付け働き手となる移住者を呼び込み、目利きの弟が仕入れてきた商売の種の売買で村を潤そうと考えたのだ。

 そして、最初の取引の日に間に合うよう急いで十字路を越えようとし、惨事に見舞われたのだった。王都フロンを抜けアムルダルム入りをするのが一番の近道であったのだが、キナ臭さを嗅ぎ分け大回りをしたのが裏目に出てしまう。



 イラーリオとの交渉に引っ張り出された商工会の彼の娘は、最後にイラーリオに声を掛けると土鬼ノームに拐われ草むらに引きずり込まれ、悲鳴と共に姿が見えなくなっていた。

 遺体も見つからず、おそらくは<亡霊塚>に連れ込まれているのだろう。

 そういった行方不明者が、やはり多数出ている。



「頼む、金なら幾らでも出す。娘を娘を……」

「おいおい待ってくれ。俺はあいつらに片腕を持っていかれたんだ。見りゃわかるだろ廃業だ廃業。王都に戻って剣術指南でもするしかない片端かたわなんだぜ? 何ができるってんだよ」


 イラーリオは、目の前で膝をつき自分の脚に縋る恰幅の良い男を見下ろしていた。

 この惨事の中、どうすればそんなに綺麗な格好でいられたのか、参考までに訊いてみたいとイラーリオは煌びやかなトーガを巻いた男に冷ややかな視線を——知らず知らずに——突き立てた。


 正直な話、非公式で隊をほぼ壊滅させてしまったイラーリオはこの場からさっさと立ち去り、どこか自分を知る者がいない土地に逃げ出したいくらいだ。「お咎めなし」とはならないと百も承知している。しかし、まさか目の前の男の責任にする訳にもいかないし、生き残った隊の奴らは<監視所>に無事に帰してやりたい。


「ならば、あの狩人達に頼んでくれないか」

 そう云うと商人は、力無く跪き項垂れるアッシュと、その仲間達に視線を送った。

 イラーリオはそれに「俺はアイツらの知り合いでも、なんでもねぇんだ」と答えると踵を返すと隊員の安否を確認にその場を離れようとする。少ない生き残りは、どうにか<監視所>に連れて帰らなければいけない。どのように身を振るにしても、それはやっておかなければ寝覚めが悪るくなるというものだ。





「アッシュさん、なんであんな無茶を」


 仄かな緑の輝きがアッシュを包み込み傷付いた身体を癒していく。アドルフはアッシュを労わるように声をかけ治療を始めていた。

 エステルはすでに多くの怪我人の為に魔力を奮い疲れ切っていた。だから今はブリタに寄りかかりながら杯に注がれた薬湯を口にし、呆然としたアッシュを心配そうに見詰めている。


「わかりません。ただ——」

「ええ」

「この光景に頭の中がグチャグチャになって——気が付いたら土鬼ノームの只中にいました。聞こえたんです。なんで私を助けてくれないのかって囁く女の声を」

「女の声——ですか?」

「はい。どこか聞き覚えのある懐かしい声だった気がします」

「そうですか——何にせよ無茶は感心しませんね。エステルさんが酷く心配していましたよ」


 アッシュはその言葉にかぶりを縦に振ると、こちらを見つめるエステルに視線を絡ませ「すみませんでした、エステル。心配をかけて」と力無く口にした。


 エステルはそれに微笑み「本当よ、まったく」と口を尖らせた。

 いつの頃からだろう。

 アッシュとエステルは、皆から番い鳥のように扱われるようになった。

 それは自分にとっても極めて自然なもので、いつの間にか何をするにしてもアッシュはエステルの意見を聞き、それを尊重し、そして共に何でもするようになっていた。


 自分は記憶を失っている。それが戻ってくる保証はどこにもない。だから、過去の自分がどうであったとしても、それが置き去りにしてきたもうなのだとしても、今はそれを振り返ろうとは思わなかった。目の前の大切なものを必死に護る。それが今のアッシュの在り方だった。


 <宵闇の鴉>でも英雄でもなく。





「助かったぜ。恩に着る」


 ひとしきり数少なくなってしまった隊員の安否を確認したイラーリオは、最後にアッシュ達の元へやってくると、かぶりを深く下げた。「幾ら払えばいい?」とイラーリオはアドルフへ続け様に訊ねたが、アドルフはそれに「いいえ、偶然に出会しただけですから」とその申し出を丁重に断った。


「そういう訳にもいかないぜ。恥を偲んで頼みたいこともあるんだ」

 そろそろ燃え上がった馬車の火の手が収まってくると、浅黒いイラーリオの顔はいっそうに黒く感じられ、浮かんだ双眸の金色の瞳は小さな小さな双子の月のように見える。そしてそれは、申し訳なさそうに目尻を下げたことを窺わせた。


「というと?」とアドルフが続く言葉を促す。

「ああ、この先の——といっても目と鼻の先だけれども<監視所>まで生き残りを連れていくのを手伝ってくれないか。ああ、いや、運んでくれって話じゃなくな。土鬼ノームの襲撃が心配なんだ。この通りだ」


 イラーリオは再び、深くかぶりを下げた。

 それに反応したのはアドルフではなく、エステルを抱えたブリタだった。


「私達は先を急いでいます。それに私達があなた方を助ける理由が無いのは、そこの野伏が云った通りです」

 毅然とした態度で、珍しくブリタが鋭く言葉を刺したのだ。

 これには、一同は目を丸くし顔を見合わせた。

 館で過ごす彼女は、子供達の悪戯に声を荒げることはあっても、それでも今のように鋭い眼差しをすることはなく、いつでも優しく微笑んでいた。その姿はおそらく一同にとって初めて目の当たりにするものだった。


 アドルフはそんなブリタを——目を細め一瞥すると押し黙った。

 イラーリオは失った腕が痛むのか——エステルの術で止血された、右肘をさすりながら「それはわかっている。だから恥を偲んでだ。金でも俺の命でもなんでも持っていってくれ」と、かぶりをあげようとはしなかった。


「あなた達の命がなんだって云うのですか? 私達は——」

「ブリタさん!」


 冷たく耳を覆いたくなる言葉を突き刺すブリタを強く制止したのはアッシュだった。

 ブリタの突然の豹変ぶりに呆然としていたアッシュであったが、被害を受け意気消沈する者が多くいるこの場で、それを看過できなかったのだ。

 アッシュは立ち上がりイラーリオへ「頭をあげてください」と優しく言葉をかけた。そして、どこかムスっとしたブリタに一瞥したアッシュは「手伝って良いですかね?」と、気を遣ってなのか、はたまたは声を荒げたことへの謝罪なのか、静かに伺いを立てた。


 ブリタはそれに呆れたような顔をしたのだが、軽く溜息をつき「ごめんなさい、云い過ぎました。イラーリオさんも、ごめんなさい」と軽くかぶりを下げた。


「じゃあ——」

 イラーリオはそのやり取りの行方に不安を感じていたが、顔を明るくすると「お願いできるのか?」と安堵の表情を浮かべ、かぶりを上げた。

「仕方ありませんね。乗りかけた船ですし、行きましょう」

 アドルフは肩を竦めると、エステルに視線を送り軽くかぶりを縦に振っていた。

 それに気がついたエステルも「ええ」と云うと、ブリタにも微笑みかけ「行きましょう」と優しく声をかけた。





 結局のところ<監視所>までの道程に土鬼ノームが現れることは無かった。


 しかし街道脇の茂みに捨てられた衣服を見つけたアッシュは、先ほどイラーリオが商人と話していた娘の話が耳に入っていたのか、商人へ「これは娘さんのものですか?」と訊ねると、まさに娘が着ていたチュニックであることがわかった。

 それが発見された周囲には数多くの衣服に、剣や弓、鞄、鎧といったものが打ち捨てられていた。おそらく土鬼ノーム達が<亡霊塚>に運び込む前へ邪魔なものを剥ぎ取ったのだろうと、イラーリオは顔を歪めた。


 イラーリオはしかし、それ以上のことは口にせず何かを呑み込むようだった。

 無事に<監視所>まで生き残りを連れてこれただけでも上々であるのに、これ以上を——対価を払うとは云ったものの、願うのは筋違いであろうと、そう思ったのだ。

 だから「隊員を捕らわれた人々を——助けてくれ」という言葉を呑み込んだ。

 それは自分達の仕事なのだ。




 <監視所>がにわかに騒ぎ出した。

 イラーリオは事の顛末を誤魔化すことも隠すこともせず大隊長に報告すると、<亡霊塚>への捜索隊を出すことが決定したからだ。


 イラーリオは土鬼ノームの恐ろしさ、狡猾さ、忌々しさを包み隠さずに伝えた。

 だから捜索隊ではなく本隊を向かわせて欲しいと具申をするが、それは叶わなかった。まずは捜索隊を向かわせ斥候する。それで適切な部隊を送り込むのだと云うのだ。それでは無駄死にが出るであろうこと、それでは遅いということ、それを必死に口にし喰い下がったが駄目だったのだ。




「それでは僕達はこれで」

 アッシュは務めるように冷ややかにイラーリオに云うと、振り返りもせずに<監視所>の大門をくぐり街道に戻っていった。


「アッシュさん、良かったのですか?」

 アドルフは怪訝な表情で横に並び手綱を握るアッシュに声をかけた。

 アッシュはそれに「はい」と短く答え、街道に出るまでの道すがら一言も発することはなかった。一同はそれに顔を見合わせたのだが、どこか強い意志でアッシュがそうしているようにも見え、黙ってそれに従った。



「アッシュ、そっちじゃないでしょ?」

 街道までの緩やかな下り坂を降り切った四人。

 アドルフ、ブリタ、エステルは馬を南に進めようと左に手綱を切ったのだが、アッシュは一人右に切ったのだ。エステルはそれに目を丸くし、アッシュに訊ねたのだ。


「<亡霊塚>はこっちでしょ?」とアッシュ。

「え?」と云ったのは三人ほぼ同時にだった。

「だって王都に急ぐんじゃないの?」

「このまま、放っておけないですよ。だから行きましょう<亡霊塚>」

「じゃあなんでさっき、イラーリオさんにそう云ってあげなかったの?」

「だってあそこで申し出たらイラーリオさん、命令違反をしてでもついてきちゃうじゃないですか。それに、大隊長の面目もあるかなって。囚われた人が勝手に帰ってきたなら、なんの問題もないですもんね」

「もう。先に云っておいてよね、そういう大事な話は——そんなに都合の良い話にはならないと思うけれども、私達が行った方が確実よねきっと」


「すみません——なんだかイラーリオさんの顔を見ていたら——」


「それで? 土鬼ノームの巣に突入ってことで良いのですね?」

 話に割って入ったアドルフは二人の顔を見ると「王都に着いたら遅れた理由を先生に、ちゃんと説明してくださいね」と笑いながら続けた。


 これにブリタは呆れた顔をしたのだが、小さく笑うと肩を竦め「私はあくまでも薬師ですからね、ちゃんと護ってくださいよ」と目を細めアッシュを一瞥した。

 おそらく捜索隊が<監視所>を出るのは明け方のはずだ。

 そんな悠長なことをしていれば、その捜索隊が探すものは生き残りではなく、ただの屍か、もっと悪いものだ。


 アッシュ達一行は仄かな緑色の光を纏わせると、北へ馬を走らせた。







「酷い臭いですね」


 そう云って顔をしかめるとアッシュは一同の気持ちを代弁した。

 亡霊塚の中はこの季節だからなのか、蒸し暑く埃臭く、そして生臭い。一同はその空気を直に吸うコトを避け思い思いに顔に布を巻きつけると外套の襟を出来るだけ立てた。


 それでも漂う異臭は強く鼻を刺激する。

 気を緩めれば吐き気をもよおしてしまいそうだ。

 魔術師が居れば外気を遮断する術式で防げたのだろうが、今はそれを望む事はお互いに口へすることなく、布を出来るだけ厚く巻きつけ我慢をする。


 アッシュは魔導に長けているが、何故か特定の魔術を使える。恐らくはそれは以前のアッシュが使えたものは自然と今でも使えるようになっているようだ。だから、エレメンタリオを展開し仄かな光の玉を浮かべ、塚の暗く細く曲がりくねった道を照らした。

 時折、通路の先に光を先行させ、道筋を確かめるのも忘れない。

 塚とはいえ中は岩が剥き出しになった洞窟と云ってよかった。湿気に濡れ、光が通れば奇妙に輝きを映し出し、曲がり角に差し掛かれば、それはヒョイと姿を消す。


 エステルはそんな劣悪な環境に身震いし、先を歩くアッシュの外套を摘んで離さなかった。時間の感覚が麻痺する程に塚の中は暗い。

 途中途中に生える光ゴケと、光の玉の光源でなんとか一同は道に迷うような事はなかったが、ただそれは入り口に戻れるだけの話しであり、捜索の手掛かりを察知するには心許ない。


 しかしだ。

 優秀な野伏であるアドルフは劣悪な環境を最大限に利用し一行を的確に導いた。

 道すがら幾つかの下り階段——というには、乱暴でお粗末なそれを見かけたのだが、そこには目もくれずに先を行くと、しっかりと手の入った下り階段を見つけ立ち止まった。


「この塚は全部で三階層に別れていますが、最深部に土鬼ノームの女王が居ると考えられています。そこは餌場であり眷属が産まれ落ちる場所でもあります。地熱が酷く蒸し暑く、立ち昇る臭気を上の階層に運ぶのだそうです」


 階下から吹き上がる生温い風を感じながら、アドルフへ階段を指差した。

 そして腐臭に顔を歪める。


「主食が人肉なのでしょ? だから喰い散らかされた遺体が腐乱して……」

 ブリタが意外にもそんな知識を披露してみせるとアドルフは黙って、かぶりを縦に振りアッシュとエステルは驚きの表情をしてみせた。


「ええ、そういう風にいわれていますね。正確なところは分かりませんが」


 光源の具合なのか、そこはかとなくアドルフの表情が暗い気もしたのだが、兎も角この優秀な野伏は誤解のないよう土鬼ノームの生態を手短に伝えた。


「狩人でもわからない事が?」とエステル。

「それは勿論。世界を造った者のみぞ知る。と、いう話しですよ。ねぇ、ブリタさん」


 得にブリタへ顔を向ける訳でもなくアドルフは小さな木槌を出すと、階段の壁を叩いたり階段そのものを叩いたりをしながらエステルに答え、そしてブリタに話題を振った。

 それに面食らった薬師は「ええ、そうですね。知らない事の方が多いですよ、きっと」と、顔をしかめ、肩を竦ませた。

 アドルフはひとしきり辺りを調べると「行きましょう。アッシュさん明かりを前にもお願いします」と云うと、慎重に階段を降り始め、残された一行もそれに続いた。


 光の玉はゆっくりと一行を先行し、行先を照らし出すが、その階段は随分と長い螺旋階段のようで光の玉の輝きでは、底を照らすことは難しい。





 <亡霊塚>の縦穴を下っていく四人。

 その深さは驚くべきもので暫く降りて行っても底が見えてくる気配がない。縦穴の壁面はやはり岩が剥き出しで、到底手入れのされた塚と呼べるような物ではなかった。途中途中に横穴が走り、まるで巨大な蟻の巣の中に迷い込んだような錯覚を覚える。


 南のフォルダール連邦サルダールに横たわる大砂漠に巣食う<お化け蟻>の巣はきっとこんな感じなのだ。そんな風にアッシュは考えると思わず「蟻の巣みたいですね」と横穴を指差し、エステルに話しかけていた。エステルは「ええ」と云うのだが、ろくにそちらを見ることはなく、必死に前を歩くアッシュの背中を凝視している。


 そんなやりとりを後ろから眺めてたブリタは、誰にその感情を伝える訳でもないが、呆れた顔をし「仲が良いのね」と肩を大きく竦ませた。まるで観光名所をめぐる恋人同士のやり取りを見せつけられている。そんな風に感じていたのかも知れない。

 と、その時だった。アドルフが「静かに」と振り返ったのだ。続けて「アッシュさん光を落としてください」と云うとアッシュは「はい」と光の玉を解放した。


 霧散した光が姿を消す狭間の向こう、どこかの横穴で何かが動いた気がした。


土鬼ノームの斥候です」アドルフが囁いた。

 自分達の頭上の幾つかの横穴に小さな緑色の輝きが無数に蠢いた。しかし、それはこちらが気が付いたのを察知したのか、横穴の奥に引っ込み姿を現すことはなかった。

 緊迫した空気が流れた。

 エステルはそれに慄き、アッシュの外套を強く掴んだ。

「大丈夫です」とアッシュはエステルの手を握り安心させる。




 その後は壁にへばりついた光ゴケの灯りを頼りに階段を暫く下って行った一行は、ようやく第二階層に辿り着いたようだった。

 階段の終わりは永遠と思える程に続く大きな横穴で、見上げても天井が見えないほどに高く大きい。道幅は第一階層とは比べ物にならない程広く、壁から壁まで大股で歩いて二十歩程はあるようだ。そして奥から流れてくる気流は上の階に比べると酷く臭いが濃い。


「ここが第二階層ですね。僕はここまで来たことは無いので、この先は手探りになりますが——」

「どうやら一本道のようだから大丈夫じゃないですか?」と、ブリタがアドルフの言葉を遮った。それにアドルフは「ええ、おそらくは」と相槌を打つ。


「光を出します」

 アッシュはそう云うと先程よりも少し大きめな光の玉を幾つか展開すると、横穴の先、上にそれを移動すると視界を確保した。

 照らし出された横穴はまるで坑道のようで、一際太い横穴——今、立っている横穴の脇には幾つもの小さな横穴が穿たれており、いよいよ蟻の巣のような構造をしているのではないかと想像させる。


 警戒をしながら暫く横穴を歩いた四人が遠くから人の悲鳴を聞いたように感じたのは、丁度、小さな横穴を十数えたあたりだった。


「聞こえましたか?」とアッシュ。それにアドルフも「ええ」と強く答えた。

 その時だった、奥の横穴から何か黒いものが飛び出してきたのだ。

 アッシュはそれと同時に右腕を真っ直ぐ振りかざすと、光の玉を幾つかそちらに向かわせた。果たしてそこには、全裸の女が二人——地面に這いつくばる姿があったのだ。

 そこへ直ぐさま追いかけるように横穴から無数の矮小な影がわらわらと飛び出してくると、その二人に飛びかかろうとした。

 アッシュとアドルフはそれを見るや否や、その場を飛び出すと同時に右脚を右手で叩くと術式を展開し電光石火の如くその場へ飛び込んでいったのだ。


「アッシュさん!」とアドルフが牽制するように言葉をかけると、アッシュは「わかっています!」とそれに答えた。大十字路のことを忘れるなとアドルフは暗に伝えていた。アッシュもそれは重々承知している。だから今は、しっかりと敵を見据え呼吸を整えた。


 両手を打ち据え野伏の短剣を呼び出したアドルフ。

 腰の裏の鞘から狩猟短剣を引き抜いたアッシュ。


 二人はそれぞれが<言の音>を紡ぐと緑色に身体を縁取らせ軌跡を伸ばしながら、土鬼ノームの矮小で醜い体躯を幾つも斬り飛ばしていった。

 二人は腰を抜かして動けない女の前に立ちはだかると、外套を脱ぎ捨て女にかけると「安全な場所に」とブリタとエステルに声をかけた。


「安全な場所ってどこよ!」と、尤もな叫びをあげたエステルだったが「もう!」と咄嗟に腰を抜かした女の元へ駆け寄ると<言の音>を紡ぎ二人をひっぱり上げた。


 ブリタはそれに駆け寄り女の一人を貰い受けると同時に、掌を地面に叩きつけた。


 薬師は大きく二つに分類され、ブリタはその中でも薬草学に秀でている。

 その彼女は山に入り薬草を採取することも仕事の一つ。だから多くの薬草学の博士は魔術を学び、この<障壁>の術式を覚えるのだ。薬草を採取している間に魔物や害獣に襲われても逃げられるようにだ。

 ブリタの掌を中心に展開された青く輝く術式は、光を強くすると人の背よりも遥かに高い半球状の壁を造り上げ、襲いくる土鬼ノームを弾き返したのだ。


「ブリタさん、凄い!」とエステルは顔をパッと明るくしてブリタに羨望の眼差しを向けた。当のブリタは「こ、こんなの常識ですから」と何故だか顔を赤くしゆっくりと抱えた女をその場に座らせた。


「エステルさん、ここは任せてください。アッシュさん達の援護を」と鞄からガサゴソと薬草を煎じた薬液の入った小瓶を取り出した。

「わかりました!」とエステルは、その薬液を女に飲ませ始めたブリタへ答え<障壁>の外に駆け出した。


 アッシュとアドルフの二人は横穴から、これでもかと湧き出てくる土鬼ノームの頸を無数に斬り飛ばしていくと、次第にその横穴の方へとジリジリと足を進めていた。

 多くの土鬼ノームが太横穴にバラけてしまうと厄介だとアドルフが云ったのにアッシュは、黙ってかぶりを縦に振ると、それに従った。


 兎に角、背後を取られないよう二人は立ち回った。

 エステルは、そうやって確保された安全な区域に立つと咄嗟に二人の背中に回り、ルトの液で<言の音>を書き殴る。そして目を瞑り<言の音>を紡ぎ始めた。


 軽やかな言葉の数々は次第にそれ自体が旋律となり横穴に響いていく。

 それが鼓膜を震わせる頃にはアッシュもアドルフも、胸の奥から沸々と湧き上がってくる闘志の姿を覚え鼓舞されていくのを感じる。四肢は力にみなぎり頭は澄み渡ったように晴れ晴れとした。


 エステルは目を瞑りその<言の音>を紡ぎ続けた。

 綺麗な赤髪はその旋律に合わせ毛先を躍らせ、外套の裾がわずかばかりか、ふわりと膨らむ。

 豊穣幻装の魔導師はこうやって大地の恵を願い三日三晩、唄い続け土壌を穢す一切の害を取り除くこともするが、戦場においては勇敢な戦士の無事を祈り、唄い紡ぎ、そして鼓舞をする。


 それは戦士にとって最高で、最強で、最良の祈りの唄なのだ。

 エステルはアウルクス神派の中でも司祭級とされる、アウルクスの魔導書グリモワールの使徒であり豊穣幻装の使い手でもある。かつてのアウルクスがそうであったように。



 治療を進めるブリタはその姿に目をやりながら「エステル・アムネリス・フォン・ベーン」と小さくエステルの名前を呟いていた。




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