校長の顔から笑みが消えた。「本当なのか?」
勢いよく立ち上がると、そのまま足早に職員室を出ていった。
集まっていた生徒たちは一気にざわめき出す。
「やった!やっぱり告発して正解だったね!」
「星野美友紀、もう誤魔化せないよ。中島くんの気を引こうとして、あんなことまでしてさ!」
「早く、見に行こう!」
生徒たちはぞろぞろと校長の後ろに続き、何人もがスマホを取り出しては学校の掲示板にリアルタイムで書き込んでいた。
その実況のおかげで、校長が星野美友紀のいる教室に到着する前から、教室の前には人だかりができていた。
「美友紀……」小林茉里は不安そうに彼女の袖を引こうとしたが、そっとかわされた。
「えっ……」と目を見開く茉里に、星野美友紀は小さな声で耳打ちする。「茉里、今は少し離れていて。」
「でも……」と言いかけた茉里だったが、その時、別の手が星野美友紀の制服の裾を軽く引っ張った。
「この問題、教えてもらえるかな?」
顔を上げると、そこには安西陽太がいた。
普段、小林茉里や中島陽介以外とはあまり話さない星野美友紀でも、クラス委員長であり成績優秀な安西のことはよく知っていた。彼は常に中島陽介に次ぐ学年二位の実力者だった。
「いいけど、今じゃなくて……」
「今じゃダメかな?」安西は彼女の言葉を遮り、窓の外をちらりと見て状況を悟ったようだ。「周りは気にしないよ。」
ここまで言われ、星野美友紀も断るのをやめた。要点をまとめ、問題の解き方を分かりやすく説明する。
「分かった?」
安西はすぐには答えず、問題を見つめてぶつぶつと考え込む。やがて、顔を上げてにっこり笑う。「ありがとう。こんな解き方、思いつかなかったよ。」
「思いつかなくて当然だよ。」
安西が去ろうとした時、星野美友紀がふと口を開く。
「どうして?」
「え?」
「私の解き方、大学レベルの知識を使っちゃったから……ちょっと難しかったかも。」星野美友紀は少し恥ずかしそうに髪をいじった。
その時、教室のざわめきが一気に静まり返る。校長が教室に入ってきたのだ。茉里も言葉を飲み込み、緊張した空気が広がる。
「星野美友紀、正直に話しなさい。」校長は普段の穏やかな表情を一変させ、鋭い視線を向ける。
窓の外の人だかりも騒然となる。
「校長がこんなに怒るの、初めて見た!」
「普段はあんなに優しいのに……よっぽどのことだな。」
「美友紀、どうするんだろう?」
校長は試験用紙の束を机に叩きつけ、眼鏡の奥から鋭い目つきで問い詰める。
「入学時は学年二位、物理オリンピックでも優勝していた。それが、なぜ急に成績が落ちた? 物理研究会も辞めたそうだな?」
一番上の満点の答案用紙を指で叩きながら続ける。「この最後の難問、全校で解けたのは君だけだった。しかも大学レベルの知識まで使って……」
「理由を聞かせてもらおう。」
教室内外がざわつき、どよめきが止まらない。
「学年二位だったの?いつの話?」
「入学試験の時じゃない?」
「物理の賞まで取ってたのか……」
「物理研究会にいたけど、最近ディベート部やめてまた戻ったんだよね?」
星野美友紀は深く息を吸い、目を閉じた。どう答えればいいのか分からない。
まさか、誰かのために人生を曲げたなんて言えない。
校長の迫力に、もし正直に話したらどんなに叱られるか想像するだけで身がすくむ。
「それは……」
言いかけたその時、人混みの中から声が飛んだ。
「理由なんて一つでしょ。中島くんを追いかけてただけじゃん!」
「そうだよ、入学してからずっと中島くんの後ばっかり。見え見えだよね。」
星野美友紀は言葉を失った。中島陽介への思いは、みんなに知られている。何を言っても言い訳にしか聞こえない。
「物理研究会をやめる前は、模試の成績も常にトップクラスだった。なのに、会をやめてから急に成績が下がった……」校長は意味深に彼女を見つめる。「たかが恋で、自分の才能を無駄にするのか?」
その言葉は心に鈍い痛みを残した。顔が熱くなり、うつむいて表情を隠すしかなかった。
たとえ中島陽介を追いかけて馬鹿にされた時でさえ、こんなに惨めな気持ちにはならなかった。
「校長先生。」
その沈黙を破ったのは、安西陽太だった。試験用紙とノートを抱えて、きちんと立っている。
「さっきも星野さんは僕に難問の解説をしてくれました。大学レベルの知識を使いこなせるのは、彼女がずっと努力を続けている証拠じゃないでしょうか。」
「もしかしたら、星野さんは“学年トップでいること”に疲れて、ちょっと他の道を試してみたかっただけかもしれません。」
教室は静まり返った。
——何その中二病みたいな言い方……。
「それに、僕は思います。どんなに輝いて努力している人でも、誰かを好きになったからって色褪せることはありません。」
その言葉は、なぜか星野美友紀の心の奥底に響いた。
自分は、確かに努力してきた。
決めたことには、全力で取り組んできた。
物理研究会をやめて、居心地の良い場所から離れたとしても、前世では自分の力で東京大学に合格した。
ディベート部は合わなかったけれど、あの経験が話し方を鍛え、社交の場でも大きな助けになった。
中島陽介と結婚して幸せな結末は得られなかったけれど、ビジネスの決断力は身についた。
そして今、前世の記憶を持ってやり直す人生。
きっと、もっと輝けるはずだ。
それは、努力してきた証そのものだった。