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第11話 彼女は温室育ちの薔薇ではない

星野美友紀は大きく息を吸い込み、校長の目をまっすぐ見つめた。「私が個人的な理由で勉強をおろそかにしていたことは認めます。でも、これからは心を入れ替えて頑張ります。」


彼女は周囲の生徒たちに顔を向け、「皆さんにも見守ってほしいんです。これからは全力で勉強しますから。」


真昼の強い日差しが窓から差し込み、少女の凛とした横顔を鮮やかに照らしていた。


「道を踏み外しても戻ってくる生徒は、いつでも歓迎しますよ。」校長は机に置いた手を静かに引き、穏やかな口調で言った。「言葉どおり、しっかりやりなさい。」


集まっていた生徒たちは、もう見ものは終わったとばかりに散ろうとしたが、そのとき、いつからそこにいたのか気づかれなかった中島陽介の姿に驚いた。


「中島……中島さん……」


誰かが恐る恐る声をかけたが、彼の放つ重い雰囲気に圧倒され、すぐにうつむいて黙り込んでしまった。


その空気を和ませるように、加瀬敦司が中島の肩を軽く叩いた。


「気にすんなよ。男だって、いろいろあるさ。」


人がいなくなった瞬間、チャイムが鳴り響いた。


しばらく様子を見ていた担任が眼鏡を押し上げ、冷たい声で言った。「星野美友紀、鈴木詩織、職員室まで来なさい。」


職員室の空気は重苦しかった。


担任は教科書を机に強く叩きつけ、鋭い視線を鈴木詩織に向けた。「どういうつもりで、こんなことを校長にまで伝えたの?」


鈴木詩織は顔色を失い、震えながらも必死に答えた。「先生と星野さんが裏で何かしてるんじゃないかと思ったからです!」


「教師をそんな風にしか見られないのか?」担任は机を強く叩いた。「そういうことなら、うちのクラスに君の居場所はない。」


そう言うと、転校届を取り出して鈴木詩織の前に突き出した。


「先生、私は……」


鈴木詩織は弁解しようとしたが、担任の厳しい声にさえぎられた。


「自分で書いた方がまだ体裁がいい。私が校長に報告すれば——」


言い終わる前に、鈴木詩織は転校届をつかみ、そのまま逃げるように出て行った。


部屋に二人だけになると、担任はもう一枚の紙を取り出した。


それは大会合宿の参加許可証だった。


「今回は一ヶ月の合宿になる予定だ。」担任はサインをして、美友紀に手渡した。「学校のために頑張るのはいいことだし、君なら推薦も間違いないだろう。ただ、勉強の方は……」


「先生、大丈夫です。」美友紀は許可証を握りしめ、指先が白くなるほど力が入っていた。彼女の表情には今までにない覚悟があった。「絶対に、誰の期待も裏切りません。」


許可証を返すとき、彼女はドアの前でふと立ち止まって振り返った。


「先生、この合宿のことは、しばらく内緒にしてもらえますか?」


担任は少し不思議そうに眉をひそめたが、うなずいてくれた。


美友紀自身も、なぜ隠したいのか理由はうまく説明できなかった。ただ、このまま学校を離れると知られれば、何かが変わってしまう気がしたのだ。


教室に戻ると、最後の授業はすでに終わっていて、数人が残っているだけだった。


屋上でのあのやりとり以来、中島陽介の姿は見当たらなかった。


美友紀はさっと荷物をまとめ、教室を出た。


夕陽が黄金色に輝き、彼女の影を長く伸ばしていた。


「みゆきー!」


遠くから呼ぶ声がした。美友紀が振り向くと、小林茉里が大きく手を振っていた。


その隣には、まっすぐ立つ安西陽太の姿もあった。


美友紀は思わず微笑んだ。


彼女は二人に向かって駆け出し、手を高く挙げて応えた。


それは、彼女が「青春」という言葉を実感できた、数少ない瞬間のひとつだった。


自分の人生が、いま静かに動き出していると感じた。


……


そして、美友紀と陽太は茉里の車に乗ることになった。


茉里が美友紀が一人暮らしだと知っていたからだ。


もう中島陽介の車に乗ることもなく、タクシーを呼んで桜ヶ丘まで行き、そこから歩いて家に帰ると聞き、茉里は「それなら今夜はうちで一緒に過ごそう!」と強引に誘った。


美友紀はもちろん了承したが、まさか陽太まで付き合ってくれるとは思わなかった。


家族に連絡した後、三人は美友紀が仮住まいしている別荘の前で車を降りた。


不思議なことに、桜ヶ丘のゲートを入るとき、警備員にしばらく止められ、身分証を見せてようやく通された。


そのとき、美友紀はふと昨夜、渡辺雅彦がどうやって自分を中に連れてきたのか思い出した。


「みゆき、こんなに大きい家に一人で住んでるの?」茉里は驚いた様子で訊いた。


美友紀は周囲を見回した。三階建ての別荘には、地下に二つの娯楽室があり、独立したガレージの横には屋外プールもある。


「見ての通り、本当に私だけ。」美友紀は苦笑した。「お掃除の方が三日に一度来てくれるけど、それ以外は誰も来ないよ。」


「じゃあ、夕飯は……」


「自分で作るの。」


美友紀は、決して温室育ちの薔薇ではなかった。


幼い頃はまだ恵まれていたが、父親がギャンブルに溺れてから生活は一変した。


借金取りが毎日のように押しかけ、酔った父親はしょっちゅう母子に暴力を振るった。


母の玲子は働きに出るしかなく、もし美友紀が早くから料理を覚えていなければ、きっと飢え死にしていただろう。


一瞬、彼女の目が翳る。


本来なら、幸せな家庭があったはずなのに。


両親の庇護のもと、穏やかに育つはずだった人生が、どうしてこうなってしまったのだろう。


あんなに自分を愛してくれた父が、どうして自分を金で売ろうとしたのか——


「すごいね!」茉里は感心して言った。「じゃあ、今夜はみゆきの手料理を食べさせて!」


「もちろん、いいよ。」


もし前の人生だったら、美友紀は迷っていたかもしれない。


その頃は簡単な家庭料理しかできず、誰かに食べてもらうのが怖かった。


でも今は違う。


前世、中島陽介の心をつかもうと、料理を必死に練習したのだ。


豪華なコース料理とまではいかなくても、八品一汁くらいはお手のものだった。


「じゃあ、私も野菜洗うの手伝う!」


「僕もやるよ。」

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