少年とグリフォンが睨み合う。
(困ったことになったわね)
その少年の背後から、白衣の少女、セーラは独白する。
セーラの見たところ、このグリフォンは極度の興奮状態にある。
まず、左右の瞳孔が非対称になっている。これは一部の猛禽類に見られる焦点喪失現象と思われる。優れた角膜と水晶体による調節機構を持つ彼らだが、極度の興奮状態ではその調整が狂い、このような見た目になってしまうことがある。
続いて、羽ばたき音が爆音に近い事が挙げられる。本来なら静音飛行が可能なグリフィンでこの羽ばたき音は異常だが、これは怒りと混乱を伝える所謂「威嚇」の手段だ。
そして何より、その鳴き声はまるで破裂音のようだ。
(理性が失われている……? 一体何をすればこれほどの興奮状態になるの?)
困惑するセーラ。グリフォンは本来気高く、神聖であったり、王建を示すのに用いられたりほどの幻想生物だ。
そのグリフォンが、理性を失うほどに興奮し、目の前のただ二人の人間に対し、地上に降り立ち、過剰ともいうべき威嚇行動に出ている。
セーラは、かつて自身が記述し、学術雑誌『幻想生物学紀要』に掲載してもらった『《論文》空と地を統べる獣:グリフォン(Gryphus altivolans)の生態と象徴性』の内容を思い返す。
グリフォンが一度興奮状態に陥ると、それを宥めるのは難しい。
興奮状態に陥ったグリフォンを宥める方法としては、歌や印といった思い出に纏わる何かを用いる方法が知られている。
音に敏感な性質を持つグリフォンは歌に反応することが知られ、特定の歌や笛の音に反応するとされる。
また、記憶共鳴体質を持つグリフォンは特定の印など、思い出の象徴に反応するらしい。
だが、どちらも「人と馴染んだグリフォンを宥める場合」に用いる方法に過ぎない。
あるいは、もし、セーラが目の前にいるグリフォンの思い出の声——つがいや母親の鳴き声とか——を知っていればまた別だが、現実にはそうではない。
つまり、今、ここで興奮状態にあるグリフォンを宥め、テイムするのは、不可能に近い。
「やるしかないか」
僅かに一秒も満たない間にここまでの思考を終えて、そう結論付けると、セーラは簡易システム端末を構える。
先手を取ったのはグリフォン。
興奮して翼を強くはためかせながら、上半身を持ち上げ、鋭い爪で少年に襲いかかる。
「くっ」
少年は青銅の剣でそれを受け止めるが、強烈なグリフォンの膂力に少年はよろめくばかりだ。
「デバッグコマンド! パラライズ・ターゲット・ラインオブサイト!」
セーラが叫ぶと、グリフォンが麻痺して、動きを止める。
攻撃のチャンスであるはずだが、少年はなんとかグリフォンからののしかかりを受け流して、距離を取るのに必死で、反撃するには至らない。
態勢を立て直した少年が武器を構え直すのと、グリフォンの麻痺が解除され、少年に向き直るのは同時だった。
再び破裂音の如き強烈な鳴き声が響く。
「これでも、頭は冷えないか。本当に、この子に何があったの……」
何度も麻痺させられ、動きを封じている。高い理性を持つグリフォンであれば、もうそろそろ頭が冷えていてもおかしくないはずだ。
「魔法使い様、もっと攻撃的な魔法は使えませんか?」
「攻撃的な魔法って言われても……」
今、セーラが使っているのは厳密には魔法ではなくデバッグコマンドだ。適度に敵にダメージを与えるような攻撃手段はない。そもそも戦闘用を想定したものではないからだ。
もちろん、デバッグコマンドの中には、一撃で目の前の
だが、少年の前でそれを使うのは憚られた。
ただでさえ、「魔法使い様」などと呼ばれて困っているのだ。さらに上位の存在と勘違いされても困るし、それが元でトラブルになればもっと困る。
また、セーラは今のグリフォンの状況に興味があった、それを分析するには、一撃で消し去るわけにはいかない。
(嘘に乗るしかないか……)
「デバッグコマンド! ジェネレート・イージーウッドロッド・エンチャント・モディファー……」
コマンドの宣言中に、セーラは一瞬悩んでしまう。
杖を召喚したいのだが、このゲームの杖は杖単体では効果がなく、属性効果を
果たして、グリフォンにどのような属性が有効なのか。
この世界の属性は火、水、雷、氷、土、風、闇、光などがある。惑星シミュレータとして作られた世界なので、属性はこれ以外にも様々に複合して使えるようになっているが、基本的に設定されているのはこの八つだ。
ただ、この世界は惑星シミュレータであることに重点が置かれているため、多くのゲームで見られるような「この魔物にはこの属性が有効」というような設定は少ない。
恐らく目の前の幻想生物・グリフォンにもそのような考え方は有効ではないだろう。
では、どの属性を使うべきか。
まず大前提として、風は効かないだろう。グリフォンは空を支配する存在だ。風はむしろ彼らの味方と考えるのが妥当だ。
となると、最初に考えられるのは火だろう。多くの動物、哺乳類も鳥類も、火を避ける。羽毛は物理的によく燃えるはずだ。一方で、グリフォンは太陽と結びつけられることもある神聖な存在だ。火への耐性は備えている可能性が高い。
神聖な存在という点で光属性も効かない可能性が高そうだ。
神聖な存在、という点で闇も有効かもしれないが、確証がない。そもそも、セーラは闇属性というものをきちんとイメージできないので、あまり自信を持って使いにくい。
ならば、氷はどうだろう。多くの動物は寒冷地に適応していない場合、関節や筋肉を冷却すればその動きを阻害出来る筈だ。悪くはないが、特別有効とは考えにくい。
相手が飛翔しているなら、水や雷も有効だろう。グリフォンが気象操作を行うという説もあるが、このグリフォンは錯乱のためか、してきていない。有効打を与える可能性は高い。
(あれ、そう言えば、この子、飛ばないのね)
グリフォンと言えば、空の王者である。セーラが自身の論文でつけた学名である「Gryphus altivolans」のaltivolansも、ラテン語で「高い」を意味する「altus」と「飛翔する」を意味する「volans」を複合した「高く飛ぶもの」という意味でつけた。
にも拘らず、このグリフォンは飛んでいない。
違和感を覚えつつも、セーラは思考を戻す。
地を這うなら、有効なのは土属性である可能性が高い。
結論は出た。この間はやはり僅か一秒に満たない。
「アース・エレメント!」
セーラの左手に土をイメージしたアイコンが先端についた木の棒が出現する。
簡易システム端末を白衣のポケットにしまい、右手で杖を構える。
視線の先に
そして、杖に装備された十字キーを操作して、視界右下にリスト表示されている魔法一覧から使用する魔法を選択する。
(イージーウッドロッドにしたから使える魔法は少ないな)
この世界において、使える魔法は、杖の質と杖に付与した属性によって決まる。セーラは世界のバランスに配慮し、あえて質の低い杖を召喚したため——実は剣もそうだ——、使える魔法のバリエーションが少なかった。
(とりあえず動きを封じましょう)
狙うはグリフォンの前脚。振り下ろしたタイミングを見逃さず、セーラは杖を振る。
土くれが杖の先端から射出され、地面に命中すると同時に、地面が陥没し、グリフォンがそのまま穴に前足を突っ込んでしまい、バランスを崩す。《イージートンネル》という初期の穴掘り魔法である。
「今だ!」
その隙を逃さず、少年が剣の持ち手に取り付けられたトリガーを引く。
武器に取り付けられたトリガーを引くと、ウェポンスキルが発動する。このゲームでは常識である。
剣が青く輝き、少年が地面を蹴る。
素早く突撃して切るだけのシンプルなウェポンスキル《ソニックスラッシュ》を前に、グリフォンの首が空中に飛ぶ。
「……終わった、の?」
セーラがそっと杖を下げると、レティクルが消える。消えたレティクルの先で、胴体だけになったグリフォンが数回跳ねて、やがて動かなくなった。