まさか、銀座のクラブで藤原優美という女狐に出くわすなんて、夢にも思わなかった。
本当は、午後に下見と準備だけのつもりだった。高橋啓介に本気で身体を預けるつもりなんて、初めからなかったのだ。
あの男とは半年前、インテリアデザインの仕事で一度顔を合わせただけなのに、それ以来しつこく言い寄られ、挙句の果てには薬まで盛ろうとした。何度かは運よく逃げ切ることができた。
クラブの最上階、VIPルームの前を通りかかった時、中からはしたない吐息と声が漏れてきた。
「啓介さん、すごい……」
この媚びた声、間違いなく優美だ。
「こんなにやってやったら、今夜は晴子の番だな。」
この声も聞き覚えがある、高橋啓介だ。二人がこんな関係だったなんて…いやらしさに思わず息を呑む。
「啓介さん、今夜は思いきり楽しんでね。」
「へぇ、まさかお前ら姉妹だったとはな。姉妹揃ってどうだ?今夜は二人まとめて楽しませてもらおうか。」
「ふざけないで!」優美の声が急に鋭くなった。「啓介さん、これで最後よ。私、もうすぐ結婚するの。」
胸が細い針で刺されたように痛み、息が詰まる。やっぱり二人は結婚するんだ。そう、彼女はすでに妊娠している。
啓介のねっとりした声が続く。「へえ、瀬川達也のような女に興味なさそうな奴が、本当にお前なんかと結婚するのか?助けたからってか?」
優美が達也を助けた?いつの話だ?納得がいかない。どうして達也は彼女にだけ特別なんだ。思い返せば、私こそ彼を救ったはずなのに、彼の態度はまるで別人に対するものだった。
「啓介さん、もう行くわ。二度と会わない。どうせ…あなたにも新しいおもちゃができたんでしょ。」優美の声はどこか含みを持っていた。
「今さら何だよ?もう俺の金はいらねえってか?それなら今夜はしっかり元を取らせてもらうぜ。」
「やめて!痛い!」優美の悲鳴がドアの隙間から聞こえてくる。
どれくらい時間が経ったのか、ようやくドアが開いた。私は物陰から、涙に濡れた優美が苦しそうにお腹を押さえて出てくるのを見ていた。彼女は慌ててティッシュを取り出し、何度も身体を拭きながら「変態め、瀬川の奥さんになったら絶対に仕返ししてやる」と呪いの言葉を呟いた。
優美が去った後、私は今夜どうやってここから逃げるかを必死に考えていた。
その時、ポケットの中の携帯が静かに震えた。しゃがみ込み、そっと通話ボタンを押す。
「藤原さん、お父様の医療費はすでに支払われています。今後の治療も予定通りです。」
思わず「誰が払ったんですか?」と聞いてしまう。
「分かりません。匿名の口座からです。」
「そうですか。」電話を切ると、不安が頭をよぎる。立ち上がろうとした瞬間、背後からいやらしい声が聞こえた。
「おや、誰かと思えば……」
心臓が止まりそうになった。高橋啓介だ!彼は私の腕を乱暴につかみ、引き起こした。鼻をつく甘ったるい体臭に思わず顔を背け、吐き気がこみ上げる。
「お嬢ちゃん、待ちきれなかったのか?わざわざ会いに来たのか?」
彼はいやらしく笑いながら、私を暗い個室へと引きずり込んだ。
全身が恐怖に飲み込まれる。どうしよう、後悔しても遅い。瀬川達也の前で強がるんじゃなかった。同じ“襲われる”でも、こんなに状況が違うなんて。
「高橋啓介!」声が震えて止まらない。「やっぱりお金はいりません。お願い、放して!」
啓介の顔は欲望に歪み、異様な光を放っている。「俺を馬鹿にして遊ぶつもりか?今日はもう逃がさないぞ。金?一円もやるか!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、「ビリッ」という音とともに上着が引き裂かれた。
彼は興奮した様子で私に覆いかぶさろうとした。私は必死で抵抗し、渾身の力で彼の肩に噛みついた。
啓介は思わず叫び、怒り狂って私の頬を平手で強打した。
唇の端から熱い血が流れ落ちる。
「このアマ!俺に噛みつくとはな。すぐに泣きついてくるくせに!」とにやりと笑い、無理やり錠剤を口に押し込んできた。口に入れた瞬間、すぐに溶けて吐き出す暇もない。そのまま、手足を乱暴にベッドの脚に縛り付けられてしまった。
絶望が氷のように体を包み込む。
体の奥底から、得体の知れない熱が湧き上がってくる。
身動きもできず、私はただ高橋啓介のあの醜く重い体が、嫌悪感とともに私の上に覆いかぶさるのを、目を見開いて見つめるしかなかった……