……ドンッ。
鈍く、しかし確かな銃声が荒野に響き渡った、かのように感じた。いや、あれはもっと喧騒の中、響き渡ったはずだ。脳裏に焼き付いた光景が、スローモーションで再生される。
あの瞬間、俺の身体はまるで意思を持ったかのように、勝手に動き出していた。
膝を抱えて、ひたすらに震える一人の少女。
そして、黒いマスクの男が冷酷な銃口を少女に向けていた。
その間に、迷いなく飛び込んだのは他でもない、俺自身だ。
「ったく……俺ってやつは……本当に……」
胸を抉るような衝撃が、遅れて全身を襲う。世界は急速に暗転し、意識は深い闇へと沈んでいった。
だが、不思議と「死んだ」という実感が湧かなかった。むしろ、奇妙なほどに心が穏やかだった。
……静寂が、俺を包んでいた。
まるで古き良き西部劇のワンシーンのように、乾いた風が頬を撫でる。土埃の匂いが、ノスタルジーを誘った。
「……ありゃ、帽子がないな」
不意に、耳慣れない声が聞こえた。低く、渋く、しかしどこか懐かしさを感じる響き。
ゆっくりと瞼を持ち上げると、視界に飛び込んできたのは……
「クリント・イーストウッド……さん、ですか……?」
思わず、間抜けな声が出た。目の前に立っていたのは、まさに銀幕のガンマンそのもの。年季の入ったテンガロンハットが深く目元を隠し、やたらと長いコートが風になびく。腰には、歴戦を物語るリボルバーが収まっていた。その姿は、俺が敬愛してやまない「あの男」と瓜二つだ。
「おう、だいたいそんな感じの神様だ」
おじいさんは、ニヤリと口の端を吊り上げた。
「なぜ……あんたが、ここに……?」
「お前、イーストウッド好きだろ? 『許されざる者』で号泣したクチだろ?」
「ぐぬぬ……」
図星だった。この俺、生粋のガンマニアにして、ハリウッドアクション映画の金字塔を打ち立てた漢たちを教典と崇める男。特に、スタローン、シュワルツェネッガー、そしてイーストウッドの作品は、俺の人生のバイブルだ。
「ま、死んだことに悔いはないだろ。あの嬢ちゃんも無事だったし。……って言いたいとこだが、実はあれ、お前が助けなくても助かってたんだよな」
「えっ!?」
青天の霹靂とは、まさにこのこと。俺の命を懸けた行動が、無意味だったとでも言うのか?
「警察の特殊部隊が突入寸前だった。お前、完全にフライングだ。……だが、その溢れんばかりの正義感は買うぜ。だから異世界転生、特別VIPコースにご招待ってわけだ」
「転生……ですか?」
神様は、手のひらを俺に向かって差し出した。そこには、光り輝く一枚のカードが浮かんでいる。
「好きな銃、ひとつ選んで持ってっていい。ついでに“おまけスキル”も付けてやる」
まるで夢のような言葉だ。心臓が跳ねる。
神様はさらにニヤリと笑うと、言葉を続けた。
「お前、ああいうの好きだったろ。“亜空間”とか“秘密基地”とか。ほら、あの……なんだ、“ガレージ”ってやつ?」
「まさか……!」
俺の脳裏に、幼き頃の夢想が鮮やかに蘇る。人知れず、秘密裏に存在する自分だけの隠れ家。そこに集めた無数の銃器。
「そうだ。“亜空間ガレージ”。外からは決して見えない倉庫、最高の工具や機材完備。おまけに銃弾は無限に作成可能。レベルアップで拡張も可能だ。どうだ?」
全身に電流が走ったかのような衝撃。俺は、言葉を失った。
「……そ、れは……最高、です」
喉から搾り出した声は、掠れていた。
「よし。じゃあ、あとは好きに生きろ。俺は忙しいからな。西部劇100本観なきゃならん」
そして次の瞬間、俺の視界は眩い光に包まれた……。
***
ゆっくりと目を開けると、そこは一面の砂だった。
どこまでも続く乾いた大地。容赦なく照りつける太陽。パサパサの空気が喉を焼き、乾きを訴える。
「……最高のロケーションじゃねえか」
自然と口の端が吊り上がる。誰もいない。音もない。ただただ、広がる荒野。
……だが、それがいい。
「異世界ってやつか……ふっ」
背中に背負っていた黒いホルスターを下ろし、慎重に愛銃を取り出す。
コルト・パイソン。4インチ。ニッケル仕上げ。
神様が施したというカスタムらしく、グリップには精巧な銀細工で「ガレージの紋章」が彫り込まれている。引き金は羽のように軽く、バレルは新品のような冷たい輝きを放っていた。
「こいつが、俺の相棒か……」
ゆっくりと、まるで愛おしむようにシリンダーを回しながら、俺は呟いた。
「……ま、口数は少ない方が信用できるってな」
「よし。まずはテストだ」
俺は足元に手をかざし、神様にもらったスキル名を脳裏に描く。
《亜空間ガレージ、展開》
ズォォン、と低く唸るような音と共に、目の前の空間が波紋のように歪み始めた。
次の瞬間、空中にガシャンと鈍い金属音を響かせ、現れたのはまるで旧式の輸送用コンテナ。車一台分ほどのサイズの銀色のボックスが、砂漠に鎮座していた。
「これは……イイ!」
吸い込まれるようにコンテナの中へ足を踏み入れる。そこには、見慣れた工具棚、広々とした作業台、グリスやオイルの匂い、手入れ用の柔らかな布、さらには疲れた体を休めるための小さなソファまで完備されていた。
「空調完備か……さすが神様、仕事が細けぇ」
思わず鼻で笑ってしまった。工具棚の奥には、ありとあらゆる銃の分解図が収められ、試作品のスコープまで転がっている。
「こういうのをな……“
俺はゆっくりと、作業台にコルトを置いた。
手元のライトを灯し、銃身にオイルを数滴。愛用のドライバーを手に取り、分解を開始する。
カチャ、カチャ。
静謐なガレージの中に、ネジの軋む音だけが、心地よく響き渡る。
「銃ってのはな……こうやって、整備してる時間が一番、そいつの魂と話せるんだ」
そう呟いた俺の表情は……きっと、最高にニヤけていただろう。
「ふぅ……完璧な分解整備だったな」
至福の時間を終え、ガレージの扉を開けて外に出ようとした、その刹那だった。
遠く、地平線の彼方から、急速に迫り来る砂煙が見えた。その中に、微かに誰かのシルエットが揺れている。
「……人間、か?」
次の瞬間、風に乗って、悲痛な叫び声が鼓膜を打った。
「た、たすけてぇええええっ!!」
真っ赤な髪の少女が、文字通り泣き叫びながら、俺の方へと一心不乱に走ってくる。ボロボロの服を身につけ、膝からは血が滲んでいた。そして、その背後を追うのは、二足歩行のトカゲのような、おぞましい魔物だ。
「バ、バジリスクだと……ッ!」
いや、名前は知らんけど。いかにも“異世界的な魔物”ってやつだ。
「入れ、ガレージに!」
俺は即座にコンテナの扉を大きく開き、少女を乱暴に中に引っ張り込んだ。
「え、でも、こんなところに……!」
「文句言うな、俺の後ろに立っててくれりゃそれでいいんだ!」
バンッ! と音を立てて扉を閉じた瞬間、外から魔物の鋭い爪がガリガリとコンテナを引っかく音が響いた。だが、ガレージはまるで揺るがない。
「ふぅ……やれやれだぜ」
少女は、息を切らしながら全身を震わせていた。
燃えるような真っ赤な髪に、炎の色をした瞳。まるで、小さな炎の塊のようだ。
「君……名前は?」
「フ……フレア……。私、火の精霊、です……けど……」
「精霊、だと?」
少女フレアは、怯えながら自分の手のひらを俺に見せた。そこには、かろうじてわかる程度の、微かな炎が灯っていた。
「でも、全然力が出ないし……怖くて……」
「……なるほどな」
俺はゆっくりと、作業台に置いたコルトを手に取った。冷たい金属の感触が、掌に馴染む。
「俺の名は……“キッド”だ。銃と共に生き、銃と共に死ぬ……自称ガンマン」
「え、じしょう……?」
フレアが困惑したように首を傾げる。
「悪くねぇタイミングだ。ちょっと……撃ってくるわ」
再びガレージの扉を開くと、あのトカゲ野郎はまだそこにいた。涎を垂らしながら、鋭い爪をカシャカシャと不気味に鳴らしている。
俺はゆっくりと歩み出て、足を開き、腰だめにコルトを構えた。
カチリ。シリンダーを回す乾いた音が、静かな荒野の風に溶けていく。
「銃を撃つときはな……カッコつけすぎると外すんだよ」
バンッ!!
一点集中された弾丸が、魔物の肩を正確に抉った。苦悶の咆哮が荒野に響き渡る。
だが、倒れない。奴の皮膚は、想像以上に硬いのか?
「仕上げだ」
二発目を放とうとした、その瞬間
「キッド……!」
背後から、フレアの切羽詰まった声が飛んできた。
振り向くと、彼女の手のひらから、まばゆいばかりの赤い光が漏れていた。
「その弾……私が、力を……!」
次の瞬間、コルトのシリンダーに装填された弾丸が、見る見るうちに炎に包まれた。
「ほぉ……“炎属性弾丸”ってわけか……気に入ったぜ」
バンッ!!
火を纏った弾丸が、正確に魔物の額を貫いた。
爆ぜるような炎が頭部を包み込み、巨大なトカゲの魔物は、呻き声一つ上げずに地面に崩れ落ちた。
再び、静寂が戻る。
「……ふっ」
俺は慣れた手つきで銃をクルッと回し、ホルスターに納めた。
「悪くねぇ、火力だったぜ。相棒」
「え、あ、はい……!」
フレアは戸惑いながらも、どこか嬉しそうに、小さな笑みを浮かべていた。
戦いが終わり、俺はガレージの中でようやく一息ついていた。
コルトを丁寧にオイルで拭き上げながら、ちらりと隅のソファを見る。
そこには、毛布をかぶってちょこんと小さく座るフレアの姿があった。
「火の精霊ってのは……あんなに弱気なもんか?」
「うぅ……あの、すみません……。精霊って、普通は強くて、偉そうで……でも私、ずっと怖くて……。力も暴走しちゃって……」
「暴走、だと?」
「前に、一度だけ……村を焼いちゃって……それ以来、誰にも近づかないようにしてたんです……」
なるほど。強すぎるがゆえの孤独、ってやつか。その力を持て余し、恐れている。
俺はコルトのシリンダーを静かに閉じ、そしてゆっくりと呟いた。
「銃ってのはな……誰かが正しく使ってやらなきゃ、ただの危険物なんだよ」
「え……?」
フレアが、凍てついた心を溶かすかのように、ゆっくりと俺を見上げた。
「暴れる火を“力”に変えるのが、俺の役目だ」
フレアの瞳が、驚きに見開かれる。まるで、心の奥深くに宿る氷が、わずかに解けたような、そんな表情だった。
「……じゃあ、私の炎、使ってもらって……いいんですか?」
「使うんじゃねぇ。“撃つ”んだ」
俺はゆっくりと、不敵な笑みを浮かべた。
「お前の炎は……俺の弾になる」
その夜、ガレージの中には、まるで薪ストーブを焚いているかのような、温かい赤い炎が灯っていた。
フレアがガレージの片隅に手を翳すと、自然に火がつき、二人の体を優しく包み込む。
「ガレージ……けっこう快適ですね」
「そうだろ。俺の聖域だ」
「ここに……住んで、いいですか?」
「好きにしな。ここは“亜空間”だ。誰に気兼ねすることもない」
フレアは小さく笑った。その顔には、長年の孤独から解放されたような、安堵の色が浮かんでいた。
翌朝。
俺たちはガレージを収納し、広大な荒野を後にした。
「次はどこへ?」
フレアが、どこか楽しそうに問いかける。
「村を探す。補給も情報も、まずは人のいるところだ」
「ふふ、じゃあ旅ですね。……ガンマンと、その弾丸」
フレアの言葉に、俺は少し照れくさそうに鼻を鳴らした。
「ハードボイルド風に言うとだな。相棒と歩く荒野ってのは、悪くねぇ」
俺は太陽が昇る方角へと、力強く歩き出す。
乾いた風が、再び吹いた。
砂塵が、舞い上がった。
そして銃声は、この異世界で、再び鳴り響くことになる。