「……やっと、人里か」
陽炎がゆらめく荒野を、照りつける太陽の下、延々と歩き続けた先に、ようやく木造の簡素な塀と、その上に築かれた見張り台が見えてきた。ここが“最寄りの村”……というより、異世界に転生して初めての、文明との接触地点らしい。
「ちょっと、緊張しますね……」
俺の隣を歩くフレアが、不安げに肩をすぼめる。燃えるような赤髪を揺らしながら、きょろきょろと村の門を見上げている姿は、まるで初めての遠足に挑む子どものようだ。
「大丈夫だ。交渉ってのはな、言葉より
俺はドンと胸を叩き、自信たっぷりに告げた。
「それ、たぶん逆効果です……」
フレアの冷静なツッコミは、そよ風のように流してやる。俺たちは、いよいよ村の門の前に立つ。見張りの男が俺たちの姿に気づき、警戒するように長柄の槍を構えた。
「そこの者! 名と目的を述べよ!」
来たか。異世界警備員。やはり、どこにでもこういう役割の奴はいるものだな。
俺は一歩前に出ると、腰のホルスターに収められたコルトを、わざとらしくゆっくりと見せつける。そして、銀幕のガンマンよろしく、低い声で渋く言った。
「名はキッド。目的は一つ。“生きる”ことだ」
「……え? え?」
門番が明らかに困惑しているのが見て取れる。その隣にいた、まだ若そうな見張りが、不安げにボソッと呟いた。
「兄貴、あいつ……魔導銃持ってねぇっすか? あれ、爆裂杖とかじゃないっすよ」
「異国の武器だと!? 魔導器か!? てか“生きる”ってどういう……」
門番たちがざわつき始める中、フレアは俺の背中に隠れるように、ますます身体を小さくした。
……数分後。
俺は門の前で、丸太の上に座らされ、状況説明を強いられていた。まるで尋問のような空気だ。
「つまり、あんたは旅人で、荒野を越えてきたと。で、その娘さんは……」
「火の精霊だ」
俺はきっぱりと言い放った。
「……はぁ!?」
門番たちの困惑は、さらに深まる。
「今は小さい火だが、将来は俺の弾を燃やす、大火力になる」
「なんで“弾”とか“燃やす”とか、物騒な単語ばっかりなんすかこの人!?」
フレアは「すみません、すみません!」と、俺の代わりにぺこぺこ頭を下げている。彼女のそんな姿を見ていると、少しだけ罪悪感が湧かないでもない。
「ま、村には泊められんが……とりあえず“物見小屋”なら空いてる。寝床とまでは言えんが、雨風は凌げるぞ」
門番の兄貴分が、ため息交じりに提案してきた。
「助かる。だが俺には“聖域”がある」
「はい?」
俺はにやりと笑い、地面に手をかざして呟いた。
《亜空間ガレージ、展開》
ズォォンと空間が揺らめき、瞬く間に銀色のボックスが出現する。周囲の門番たちは、一様に目を見開いて硬直していた。
「……な、なんすかこれ!? 一瞬で小屋が!?」
「入るか?」
俺が問いかけると、若手の見張りがビクッと身体を震わせた。
「いや入らんっす! 怖ぇっす!」
こうして俺たちは、異世界での生活を「村の変人枠」としてスタートさせることとなった。
***
「つまりですね、身元保証もない旅人を、いきなり“宿屋”に泊めるのは、ちょっと難しいのです……」
村の事務係らしき、朗らかな顔のおばちゃんが、申し訳なさそうに頭を下げてきた。
まぁ、当然か。異世界のセキュリティは、意外と現代的だな。
「金なら……ない」
俺は即答した。
「即答ですね!?」
おばちゃんが驚いたように目を丸くする。
「いや、俺の主義でな。“価値”はモノで払う。銃とか、技術とか」
「もっと怪しいわね!?」
おばちゃんがさらに困惑している横で、フレアがぽそっと耳打ちしてくる。
「ねえキッド、どうするの? お金って……人間の世界だと“貨幣”ってやつだよね?」
「問題ない」
俺は胸を張ると、懐から使い込まれた革製のケースを取り出し、中から丁寧に畳まれた“銃の分解図”を数枚取り出した。
「これを使って“技術料”で稼ぐ。まずはガレージを“開く”ところからだな」
その夜。
村の空き地の端に、例の銀色のガレージが再び展開された。あたりは好奇心に満ちた視線で囲まれているが、誰も近づいてこようとはしない。
ガレージの中では、すでに銃の部品と、この異世界の未知の金属パーツが整然と並べられている。
「これって……弾を作る装置?」
フレアが目を輝かせながら、興味津々に覗き込んできた。
「そうだ。リロード装置と素材抽出台。異世界の素材でも試してみたくてな……」
俺は工具を手に取りながら、興奮を隠せずに説明する。
「……たまに思うけど、キッドって、本当に旅人? なんかこう……村の人より、むしろ文明レベルが高い気がするんだけど」
フレアは呆れたように肩をすくめた。
「ふ、旅人ってのは“どこから来たか”じゃなく、“どこへ行くか”だ」
「意味わかんないけど、ちょっとカッコいい……気もする……ような」
フレアは苦笑いしながら、ガレージの中でフカフカのソファに沈み込んだ。
翌朝。村の入り口で見張りをしていた青年が、なんとも言えない複雑な顔で俺を呼びに来た。
「……あんた、夜な夜な光ってる箱にこもって、金属いじってるって噂になってますよ」
「それがどうした」
「変人って噂が定着してきてますよ! でもまぁ、ちょうどいいかも。仕事、あります」
「仕事?」
思いがけない言葉に、俺は少し眉を上げた。
「畑を荒らす“グロウラー”って魔物がいて、村人が困ってるんです。害獣駆除、できるなら報酬出ます」
「依頼……か。悪くねぇ」
俺は腰のホルスターを軽く叩く。相棒のコルトが、まるで応えるように微かに震えた気がした。
「畑を荒らす獣か……ふ。俺にとっちゃ“狩り”ってやつだな」
「いや、あんたサバイバルじゃなくてメカニックでしょ!? なんかジャンル違わない!?」
青年が必死にツッコミを入れてくる。
「ジャンルってのはな……越えるためにあるんだよ」
「もうそのセリフ集、どこかにまとめておいたほうがいいよ……」
こうして俺は、異世界での記念すべき“初仕事”に向かうこととなった。
畑仕事の下見をしていると、どこからともなく子どもの無邪気な声がした。
「おーい、おじちゃん、それ鉄の杖?」
「ちがーうよ、あれ“バンってするやつ”だって!」
「え、それって魔導銃!? わたし見たことある!」
俺は静かに振り向くと、少しだけ帽子を下げて、クールに言った。
「子どもたちよ。これを“銃”と呼ぶには、まだ早ぇ……これは、魂を撃ち出す器だ」
「なに言ってんのこのおじちゃん」
「よくわかんないけど、かっこつけてるー!」
くそっ、ハードボイルドの壁、ここにもあり。純粋無垢な子どもの前では、俺の美学も霞むのか……!
フレアはガレージの影で、必死に笑いを堪えているのか、ぷるぷると震えていた。
「ねぇキッド、いま“ピカピカ銃おじさん”って呼ばれてるよ」
「やめろ、そのあだ名はやめてくれ……!」
子どもたちは、飽きもせずガレージを指さして、さらに騒ぎ立てた。
「また見に来てもいいー? あのおうち、すっごいかっこよかったー!」
「……“おうち”じゃねぇ、“
俺のささやかな尊厳は、今日もまた、異世界の風に飛ばされていくのだった。
夜。空には三つの月が不気味に浮かび、畑の地面には奇妙なうねりが走っていた。
「フレア、位置は?」
「地面の下……たぶん、音と熱を追って動いてる……!」
俺は静かに、足音を殺してガレージの裏に身を潜めた。
……グロウラー。地を這う巨大なモグラのような魔物。
その体表は硬いウロコで覆われ、鋭い牙は鋼鉄をも噛み砕くという。
「こいつは……“フロント・アーマー型”か。正面から撃っても意味がねぇな」
「……撃たないの?」
俺の隣で、フレアが不安そうに問いかける。
「回り込む。狩りの基本だ」
俺はそう告げると、一瞬で物陰から飛び出し、流れるような動作でコルトを構える。
「さて、炎の支援……頼めるか?」
「うんっ!」
フレアの瞳が赤く輝いた瞬間、銃の弾丸にふわりと小さな火が灯る。それはまるで、コルトに新たな魂が宿ったかのようだった。
バンッ!!
火を纏った弾丸が、グロウラーの脚部に正確に突き刺さる。炎がまき散らされ、魔物が苦悶の咆哮を上げて、跳ね上がった。
「まだだ……!」
間髪入れずに二発目。奴の腹の隙間を狙って。
バンッ!!
「きゃうぅううっ!!」
グロウラーがひときわ大きく悲鳴を上げ、地面をのたうつ。その巨大な体が、痙攣するように暴れ狂う。
「これで……終わりだ」
三発目を放つと、炎の刃のような閃光が走り、魔物は、静かに沈黙した。
夜風が、血の匂いを乗せて静かに吹いた。
俺は銃をホルスターに戻し、夜空に浮かぶ三つの月を見上げる。
「ま、こんなもんだな。畑と火と……あと、お前の涙は守ったぞ」
「……な、なんで今ちょっとキザったの?」
フレアが、呆れたような、それでいて少しだけ嬉しそうな顔で俺を見上げた。
「“夜の戦い”には“夜のセリフ”が必要なんだ」
彼女は呆れながらも、それでもどこか楽しそうに笑っていた。
魔物退治を終え、ガレージの中でフレアは静かに座っていた。
ソファに膝を抱え、小さな炎が灯る自分の指先を、じっと見つめている。
「……ねえ、キッド」
「ん?」
コルトを分解しながら、俺は短く答える。
「私、ほんとうに“火の精霊”として、役に立ってるのかな」
「何言ってんだ。さっきの戦い、お前の火がなきゃ、奴の脚も抜けなかった」
俺は手を止めず、冷たく言い放つ。だが、彼女の不安は拭えないようだった。
「でも……まだ怖いの。自分の炎が、暴れ出すんじゃないかって」
その瞳には、ほんの少しの震えがあった。過去の“村を焼いた記憶”が、未だに彼女を縛り付けているのだろう。
俺は無言で作業台の椅子に座り、手元のコルトをゆっくりと分解しはじめた。カチャ、カチャ。静かな工具の音だけが、ガレージに響き渡る。その音は、まるで俺の言葉を待つかのように、空間を埋めていく。
「火ってのはな……小さいからこそ、近くに置けるんだ」
「……え?」
フレアが顔を上げて、まっすぐに俺を見た。
「暴れる火は怖い。だが、小さくまとまった火は、人を温め、道を照らす。料理だってできるし、俺の弾に力を宿すこともできる」
「……」
「お前の炎は、今のままでいい。必要なときは、俺が撃つ。お前は、そこに灯ってりゃ、それでいい」
フレアの目に、静かに、そしてゆっくりと涙が浮かんでいた。それは悲しみの涙ではなく、どこか安堵したような、温かい輝きを宿していた。
「……うん。ありがとう、キッド」
その夜、ガレージの中は、いつもより少しだけ暖かかった。
翌朝。
村の広場では、昨夜の騒動の話題で持ちきりだった。
「ほんとに撃ったのか!? 一撃でグロウラーを沈めたって!?」
「しかも炎がついたって!? 魔法も使えるのかあの銃!?」
「やべぇよ、あの銀の箱……なんか祈りの対象になってね!?」
俺とフレアが村に入ると、子どもたちが一斉に集まってきた。
「おじちゃん! 昨日の戦い、かっこよかった!」
「また銃見せてー!」
ああ、もう“ピカピカ銃おじさん”で定着してるのか。俺のハードボイルドなイメージが、完全に崩壊している。
「ちっ……ハードボイルドってのはな、群れるもんじゃないんだが……」
「めちゃくちゃ群がられてるけどね、キッド」
フレアが横で、クスクスと笑いをこらえている。
そこへ、昨日の門番の青年がやって来た。彼はどこか小走りで、興奮した顔をしている。
「キッドさん。村長が会いたがってます。“銃使いのあんた”に、礼と次の依頼があるそうで」
「“さん”付けされたな……」
「そりゃ、畑と命、救ったヒーローっすから。あと、子どもたちからめっちゃ人気っす」
俺は少しだけ帽子を下げて、小さく呟いた。
「……悪くねぇ呼び方だな、“銃使い”」
そのときだった。
ヒュッ、と、どこからともなく冷たい風が吹いた。
空気の中に、かすかに違う“気配”を感じる。それは、肌を撫でる風とは異なる、もっと深淵な、何かだ。
フレアが小さく、怯えるように呟いた。
「……キッド。何か来る。精霊の……気配がする」
「次は……“風”か?」
俺は、どこまでも広がる青い空を見上げた。その瞬間、村の端にあるガレージの扉が、カチャリと静かに揺れたように見えた。
そして、風は西の森から吹いてきた。