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第3話:風の精霊はうるさい、そしてキレやすい

 西の森の入り口に立った瞬間、肌を撫でる空気が、これまでの荒野とは明らかに違った。

「……ピリついてるな」

 周囲は静まり返り、枝葉一本すら揺れていない。なのに、肌がざらつくような、どこか張り詰めた緊張感が全身を包む。まるで、風そのものが“怒り”を帯びているかのようだった。

「風の精霊って、みんなこんな感じなの?」

 フレアが不安げに肩をすくめて俺に尋ねる。彼女の燃えるような瞳が、森の奥を見つめている。

「さあな。俺が知ってる風ってのは……射撃場で横から狙いを邪魔してくる、厄介なやつくらいだ」

 俺は肩をすくめて答える。

「例えが偏ってる!」

 フレアの鋭いツッコミを受け流し、俺たちは西の森へと足を踏み入れた。道はあるにはあるが、それは人が通った痕跡というより、獣が踏み固めた痕跡に近い。木々は天を突くほど高く生い茂り、陽光すらろくに届かない。

「でも……感じる。たしかにいる。風の気配。すごく……尖ってて、速くて、怒ってる」

 フレアが、何かを感じ取ったように、じっと耳を澄ませている。

「ツン成分強めってことか……」

 俺の言葉に、フレアが眉をひそめた。

「キッド、精霊に向かってそんな表現……」

「大丈夫だ。俺の辞書に“空気を読む”って単語はねぇから」

「逆に不安になる!」

 森の奥深くへと進んでいくうちに、空気の密度が変わっていくのがわかる。耳元で、風の音が鳴り響く。それは、誰かの声のようでもあり、鋭い刃のようでもある。

「聞こえるか?」

「うん……“ここから先、来るな”って感じの風。結界だよ、これ」

 フレアが指さした先にあったのは、古びた石造りのアーチと、その先に広がる透明な空気の壁だった。透明なのに、確かにそこにある。熱を帯びた風が顔を押し返してくるような圧を感じる。

「歓迎されてねぇな」

 俺は腕を組み、壁を観察する。

「どうする? 無理やり入る?」

 フレアが尋ねる。俺はにやりと笑い、彼女に視線を向けた。

「フレア。あの壁に、火つけてみろ」

「え、火ぃ?」

 フレアは目を丸くした。

「火ってのはな……閉ざされた空気を焼き破る、唯一の力だ」

「……たぶん今のも“名言風”だよね?」

 またもや呆れたようなフレアのツッコミを聞き流し、フレアが手を翳すと、掌に小さな炎が生まれ、ゆらりと空間に伸びていった。

 次の瞬間、風の結界の一部が、まるでガラスが割れるように裂け、音もなく穴が開いた。

「よし、突入する」

 俺たちは裂けた結界を越える。そこから先は、かつて神殿だったと思われる空間が広がっていた。崩れた柱、ひび割れた石畳。だが、その中心には、巨大な風の渦が不気味に蠢いている。

「来たな、異物」

 その声は、空から降ってきた。硬質で、冷たく、怒りを秘めている。

 見上げると、そこには宙に浮かぶ少女がいた。白銀の髪がゆらりと風になびき、鋭い翠色の目でこちらを睨みつけている。その表情は、見るからに不機嫌だ。

「名乗れ。“撃たれたいヤツ”は、まず名前からよ」

「……俺は“キッド”。異世界を歩く、銃使いだ」

 俺は胸を張り、名乗りを上げる。

「銃? ハッ、くだらない。“風を裂ける”とでも思ってるの?」

 少女は鼻で笑った。

「いや、風も撃つ。むしろ風こそ撃ちたかった」

「……面白い」

 少女、風の精霊は、ゆっくりと地に降り立った。その身から放たれる風圧が、空気をビリビリと震わせる。

「私はストルム。“風の精霊”にして、この地の守り手」

「ずいぶんと……ツンツンしてんな」

 俺の言葉に、ストルムの眉間に深い皺が寄る。

「黙れ。すでにムカついてる。10秒で撃ち合うわよ」

「10秒あれば充分だ」

 風が唸りを上げた。

 風の精霊“ストルム”との遭遇、そして、最初の弾がすでに、俺のコルトに装填された。


「10秒、数えた?」

「いや、数えてたら撃てねぇだろ」

「もうキレたわ。撃つわよ」

 風が、弾ける。

 ストルムが手を振ると同時に、空間が目に見えない刃のように切り裂かれた。空気が引き裂かれた軌跡が地面を走り、俺の足元を鋭く削る。

「おいおい……初手で地面ごと来るか?」

 俺は横に大きく跳び、着地と同時にコルトを構える。

 バンッ!!

 一発、ストルムに向けて放ったが、銃声の先にある彼女の姿が、まるで蜃気楼のように揺らめいた。

「風で……弾を逸らした?」

「当然でしょ。私は“空気”を支配してるの。あなたの弾、届かないわよ」

 ストルムが冷笑する。

「ふっ……でもな、“空気読まない銃”ってのもあるんだぜ」

 ババンッ!

 間髪入れずに二連射。片方は真っ直ぐ、もう一発はあえて角度をズラした“風読みショット”。だがストルムは片手をかざし、スッと風をねじって弾道を完璧に切った。

「無駄。風を相手に、風無しで戦おうなんて、舐めてるの?」

「舐めてるんじゃねぇ……試してるだけだ。お前が“本当に速い”かどうかをな」

 俺の挑発的な言葉に、ストルムの目が細くなる。その翠色の瞳に、僅かな苛立ちが宿る。

「いいわ。速さが欲しいなら、見せてあげる“ストーム・ステップ”」

 風が爆ぜた。

 その瞬間、彼女の姿が視界から完全に消滅した。どこから来る!?

 右から風の刃が迫る!

 俺はとっさにガレージの陰に滑り込み、弾をリロード。金属がぶつかる小気味良い音が響く。

 同時に、声を飛ばす。

「フレア、加熱弾。いや、今は“小火力”だ。狙いは空間だ」

「了解!」

 俺の銃口から、フレアの小さな炎がふわりと灯る。小さな熱が、冷たい風の流れを逆流させる。

「風ってのはな、“温度差”で乱れるんだよ……」

 俺は照準を定める。次に彼女が“出てくる瞬間”、空間の“ゆらぎ”を狙って。

 バンッ!!

 火弾が放たれた瞬間、風の中から現れたストルムの輪郭が、わずかにぶれた。その一瞬の“誤差”を突いて、二発目を重ね撃つ。

「……ッ!」

 ストルムが空中で体勢を崩す。風を纏ったマントが音を立てて裂け、軽く地面に着地した。

「やるわね……風の流れを、逆手に取った?」

 ストルムの表情に、僅かな驚きが浮かぶ。

「俺は風を殺したんじゃない。風の“スキ”を撃っただけだ」

「……クッソムカつくセリフ」

 ストルムは俺を睨みつけてくるが、俺の銃口はすでに彼女の心臓を正確に捉えていた。

「決着だ」

 風が止んだ。木々が静まり返り、ただ、重い空気だけがその場に残った。


 決着から数十分後。

 森の奥、静かに展開された俺のガレージの中。

「……で、なんでお前が勝手にソファに座ってんだ?」

 ソファに足を組み、ふんぞり返るストルムは、まるでこのガレージが最初から自分のものであるかのような堂々たる態度だった。

「風通しが悪かったのよ。涼みに来てやったの。感謝しなさい」

「……無許可入居ってやつだな」

「ちゃんと“風の意志”に従っただけよ。これは循環。“自然の流れ”ってやつ」

「都合のいい自然だな……」

 俺は呆れてため息をついた。フレアはというと、ガレージの隅で毛布を抱きながら、このピリピリした空気に困り顔だ。

「この空気……なんかピリピリする……」

「それ、たぶん“気圧”ってより“気圧けおし”だな」

「うるさい」

 ピシッと音を立ててガレージの窓が揺れる。まさかの“風圧ツッコミ”。この精霊、本当にキレやすい。

「それにしても……」

 俺はガレージの隅に目をやる。

 そこにあったのは、ストルムが持っていた古びた金属板と、水晶のように透き通った石だった。

「さっきお前が守ってた場所、神殿跡っぽかったが……あれ、なんだ?」

「……風を封じる“封印装置”。この森に流れる“自然の風”を抑えて、精霊の力を干渉する遺物よ」

 ストルムは、僅かに顔を曇らせて説明した。

「つまり、お前がキレてたのって、ただの性格じゃなくて環境のせいってわけか」

「性格もあるけどね!」

 フレアが横から小声で突っ込みを入れた。本当に空気を読まない精霊だ。

「……封印装置、壊せばいいのか?」

「できるならね。あれは“神代の術式”が使われてる。普通の魔法や物理攻撃じゃ壊れない。けど……」

 ストルムがちらりと俺に視線を向けた。その瞳に、僅かな期待の色が宿っているように見えた。

「“魂の通った弾丸”なら、あるいは……ってところね」

「悪くねぇ。撃ち甲斐がありそうだ」

 俺はニヤリと笑った。

「……調子乗るなよ」

 ストルムは立ち上がり、そっと空気を撫でた。

「今のは“仮滞在”。まだ、あんたの仲間になったわけじゃないから」

「了解。だがそのソファ、フレアの指定席だったけどな」

「えっ!? ……そ、そうだったの!?」

 フレアが慌てて立ち上がる。

「いや、今決めた」

「……死ね」

「風、強っ!?」

 再び、ガレージの窓がビリビリと音を立てる。この精霊との付き合いは、一筋縄ではいかなそうだ。


 翌日、俺たちは再び森の神殿跡に戻っていた。

 中央の石碑の奥にある、巨大な円盤……それが“封印装置”だった。

 見た目はただの古びた石の板だが、近づくほどに空気が重くなる。風が抑圧されているのが、肌で感じるほどだ。

「フレア、位置取りを」

「うん、ストルムの風流を遮らない位置に……ここでいい?」

 フレアが指示された位置に移動する。ストルムは、俺をじっと見つめていた。

「ストルム。弾に乗ってくれるか?」

「仕方ないわね。“風に乗せて撃つ”なんて、変態的な芸当……やってみせなさい」

 その言葉に、俺はニヤリと笑う。銃口を上げ、照準を精密に定める。

 銃の中に、風が満ちる。気流を読む。圧を見極める。

 ストルムの力が弾丸に宿り、“風撃弾”が完成する。それは、風の精霊の魂が込められた、特別な一発だった。

「……封印ってのはな、“閉じるため”にあるんじゃねぇ。“撃ち破るため”にあるんだよ」

 バンッ!!

 風を纏った弾丸が、空気を切り裂く轟音と共に、石盤のど真ん中に突き刺さる。

 次の瞬間、空気が反転した。

 抑圧されていた風が一気に吹き抜け、封印の魔法陣が砕けるような音を立てて崩壊していく。

「やった……!」

 ストルムが目を見開いた。その顔には、傲慢さの裏に隠されていた、ほんの少しの安堵と解放感が浮かんでいた。

「これで……この森の風は、また自由に流れる。私も……ようやく落ち着ける」

「そっか。……じゃあ、ガレージに帰ろうぜ」

「……ああ。風の通りは、あっちの方がマシだし」

 そう言って、彼女は風のように先に歩き出した。その背中には、以前のような刺々しさはなく、どこか軽やかさが宿っていた。

 そして、残された俺はつぶやく。

「ツンキレ精霊ってのは……扱い、むずかしいな」

「でも、ちょっと楽しそうだったよ?」

 フレアが、俺の言葉に笑顔で応える。

「そういうのは……たまにでいい」

 風が吹いた。

 ガレージの扉が、また一つ、新しい風を迎え入れる音を立てた。


 数日後。

 ガレージの中では、いつものように俺が銃を分解し、フレアが火を灯し、そしてストルムが文句を言っていた。

「……この換気扇、どう考えても効率悪すぎ。風の流れをまるで考えてない設計だわ」

「異世界での再現度に限界があるんだよ。そもそも……」

「うるさい。見てなさい。いま改造するから」

 ストルムは俺の言葉を遮ると、ガレージの天井部に手を翳し、風の術式を描き始めた。すると、見る見るうちに小さな竜巻のような気流が生まれ、ガレージ内の空気を循環させ始めた。

 換気力、約10倍。湿気ゼロ。空気は澄み切り、フレアの火のゆらぎも安定している。

「……なんか住環境として急激にレベルアップしてる気がする」

 フレアがぽかんと天井を見上げる。

「風の流れを制する者は、空間を制す。常識でしょ」

 ストルムは得意げに胸を張る。

「で、お前はいつまで“仮滞在”って言い張るんだ?」

「うるさい。別に、あんたの仲間になった覚えは……」

 そう言いかけて、ストルムはふと黙った。一瞬の沈黙。

「……いや。訂正する」

 俺も、工具を持つ手を止めて振り返る。

「……あんたの銃、ほんの少しだけ、悪くなかったわよ」

 ストルムが、僅かに頬を赤らめて呟いた。

「それはつまり?」

「ほんの少し、撃ってもいいかなって思える程度には“認定”ってこと」

 その言葉に、俺は満足げに頷いた。

「そっか。なら、正式に歓迎する。“風の弾”」

 ストルムはちょっとだけ目を逸らした。けれどその横顔には、ツンとした表情の裏に、ほんのわずかに、風に乗った“微笑”があった。


 その夜。

 ガレージには新たな風のルートが張り巡らされ、空気は爽快そのもの。どこか居心地の良さすら感じさせる。

 フレアがストーブの火を調節しながら、満足した様子でつぶやく。

「……また、ガレージが進化したね」

「ああ。火と風。まだ二つ。だが、いい“風通し”になってきた」

 俺は丁寧に手入れを終えたコルトを眺めながら、呟いた。

「さあて……次は“地”か、“水”か……」


 その言葉に、ガレージの扉がゆらりと鳴った。

 まるで、新しい来訪者の気配を、この“聖域”が感じ取ったかのように。

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