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異世界釣りバカ
異世界釣りバカ
いもきち
異世界ファンタジー冒険・バトル
2025年07月17日
公開日
1.4万字
連載中
釣りをしていると暴れて転移。 異世界でも釣りで魔物を釣る

プロローグ 第1話

 土曜の早朝、まだ漆黒の闇が空に溶けきらない、しんと静まり返った渓流のほとり。ひんやりと肌を撫でる初夏の空気に、ひとり佇む男がいた。

 彼の名は、岸井 守(きしい まもる)。自他ともに認める、生粋の“釣りバカ”である。普段は都会の喧騒にもまれるごくごく平凡なサラリーマン。けれど、休日とあらば一転、まるで水を得た魚のように活き活きと、愛用の釣り竿とタックルボックスを抱えて自然の中に身を投じるのが、何よりの至福なのだ。

「よ〜し……今日こそは、一発大物狙うぞぉ〜! 川魚のあの力強い引き込み……考えるだけでたまらねぇ! ここには、まだ誰も釣り上げたことのない、とんでもないサイズが眠ってるはずなんだよな〜!」

 守は、まるで獲物を前にしたハンターのように、にやりと笑みを浮かべる。淀みなく流れる渓流の中で、最も流れの速いポイントを鋭い眼差しで見定め、迷いなく釣り竿を構えた。これまで何度も何度も通い詰めた慣れ親しんだ渓流。それでも、まだ見ぬ“大物”との対峙を夢見て、彼のテンションは早くも最高潮へと突き抜けていた。

 その刹那……

「おっ、アタリだ! かかったかッ!?」

 竿先をへし折らんばかりの、とてつもない強い引き込みが来た。守はすかさず渾身の力で合わせを入れると、しなやかなはずの竿が、まるで弓のように大きくしなり、ギギギ……と甲高い唸り声を上げる。

 あまりの激しい引きに、興奮冷めやらぬ守は、足元にあった苔むした岩に足を取られてしまった。バランスを崩した身体は、次の瞬間、容赦なく冷たい水流へと叩きつけられる。

「うわっ、やっべ、流れ強っ……ごぼっ、ごぼっ!」

 もがく間もなく、激流は守の全身を呑み込んだ。視界は泡で覆い尽くされ、水温は心臓を凍らせるほどに低い。呼吸もままならず、全身から力が抜けていく。意識が深い闇へと沈みかけようとした、その時……。頭の奥で、何かがプツン、と唐突に途切れるような音が響いた。


 次に意識が戻った時、守はゆっくりと瞼を開いた。視界いっぱいに広がるのは、やけに鮮烈な光と、深い緑の色彩。さっきまで渓流の中にいたはずなのに、周囲は鬱蒼とした    森……? いや、なんだかこの景色、日本の山林とは明らかに違う気がする。

「なんだ、ここ……? さっきまで川の中で溺れてたはずなのに……まさか俺、生きてるのか?」

 身体を起こそうとすると、すぐ隣に倒れていたのは見慣れた愛用のタックルボックスと、大事な釣り竿だった。まるで壊れないように、誰かが丁寧に運んでくれたかのように、奇跡的に両方とも無事だ。

 だが、その時、守は小さな違和感を覚える。ふと視線を落とすと、釣り竿の形が、さっきまで使っていたものより、ほんの少しだけ長くなっているような……?

「……気のせい、か? それにしても、ここ、一体どこなんだ?」

 自然と声に焦りが混じる。その時、すぐ目の前の茂みがガサリ、と音を立てて揺れた。そして、弓矢を構えた一人の女性が、ひょい、と姿を現す。

「やっと目を覚ましたのね。大丈夫? 私、リーリア・ドローシアっていうの。あなた、川の下流で流されてきたみたいだけど……怪我してない?」

 声をかけてきたのは、月光のように美しい銀髪に、若草色に輝く瞳を持つ女性だった。森での狩りに慣れたような軽装に見えるが、その手にした弓と腰の矢筒は、まさに本物の冒険者然としている。

「いや……平気、だと思う。えっと、俺は岸井守。日本人……あ、いきなり言ってもわからないか……。と、とにかく、助けてくれてありがとう」

 戸惑いつつも頭を下げて礼を言うと、彼女は「いいのよ」と優しく微笑んだ。

「それにしても、やっぱり見たことのない服装ね。その持っている変わった釣り道具……まるで魔法の道具みたいだわ」

「まほう? いや、これ単なる釣り竿だよ。まあ、普段から俺はこれで魚を……って、なんだ、この竿……」

 リーリアの言葉に釣られて、思わず手に取った釣り竿をしげしげと見つめる。確かに、渓流で使っていたのは短めのロッドだったはず。それが、さっきより若干、いや、明らかに長い。しかも、手元のタックルボックスを開けると、使ったはずの仕掛けがなぜか元通りに揃っているのだ。

「う〜ん……状況が全然わかんねぇけど、俺は釣りしてて溺れただけなんだけどなぁ。気がついたらこんな場所に流れ着いてるし、竿まで変だ……」

「ふむ。どうやら、随分と訳ありさんって感じだな」

 不意に、低く響く男の声がした。守が振り向けば、そこに仁王立ちしていたのは、大柄な剣士。彼の名はガーラン・オールブレイド。リーリアの連れらしく、見るからに荒々しい外見とは裏腹に、どこか心配そうな眼差しで守を見下ろしている。

「おい、大丈夫か? 浮かない顔してんぞ。それにしても、その竿……なんだか妙に存在感があるじゃねえか。なんか隠してんじゃねえの?」

「いやいや、ただのロッドなんだよ。俺は釣り人で……」

「釣り? この辺りじゃ、釣りなんて暇人か物好きがやる程度の趣味だぜ。オレも魚は好きだが、魔物だらけの川で釣りなんかしてられっかって話だ」

 ガーランはまるで信じられないとでも言うように、鼻で笑う。だが、守はそんな彼の言葉にまったくひるまなかった。むしろ“釣り”という単語が出た瞬間、さっきまで落ち込んでいた表情に、みるみるうちに活気が戻っていく。

「なんだと……? 釣りが……暇人……? いやいやいや、釣りってのは奥が深いんだぞ! 狙う獲物やポイント、天候や水温によって仕掛けを変えるのは基本中の基本! そこからさらにルアーのアクションを工夫して、誘いをかけて……」

「ま、待って待って。落ち着いて……」とリーリアが慌てて割って入るが、ガーランは呆れ顔で「こいつ、相当イカれてんな……」と小声でぼやく。

 そう、岸井 守は釣りに関しては、たとえどんな相手だろうと一歩も譲らない、正真正銘の“釣りバカ”だった。たとえここが見知らぬ異世界だろうと、彼の釣りへの熱意は、決して止まることはないのだ。

 だが、彼はまだ知らない。この奇妙な世界で、彼の“釣りバカ魂”と、そして愛用の釣り道具が、とてつもない“チート能力”を秘めていることを。そして、それがやがて世界の運命さえをも左右する、壮大な物語の幕開けとなることを。

 ここから始まるのは、「渓流で溺れたはずが、なぜか異世界に流れ着いた男」と、「釣りなんて大したことない」と豪語していた異世界の冒険者たちが巻き起こす、とびきり奇妙で、どこかエキサイティングな物語。

 手にした釣り竿は、なぜかその形状を自在に変え、タックルボックスの中の道具は、使っても使っても不思議と補充されていく。

 果たして釣りバカ・岸井守は、この未知なる世界で、一体どんな“大物”を釣り上げてしまうのか。

すべてはここ……異世界の川辺から始まる。


第1話:魔狼を釣る


 守がゆっくりと身体を起こすのを待っていたかのように、リーリアがそっと腕を貸してくれた。ガーランは「やれやれ」とばかりに渋い顔で首を振りながらも、守がちゃんと歩けるか、その足元を気遣うように確認している。

「一応、足も大丈夫そうね。かなり流されてたみたいだけど、無事で本当に良かったわ」

「おう、なら早く街に戻るぞ。俺たちは近くの冒険者ギルドに用があるんだが……おまえ、どうするんだ?」

 ガーランの問いかけに、守は軽く肩をすくめた。

「どうするって言われても……ここがどこかもわからないし、このまま釣りなんかしてても危険なんだろ? だったらまずは街に行って、情報を集めたいかな」

「そうだな。行き先がないなら、一緒に来るといい。後でギルドの面々に挨拶しときな」

 呆れ半分とはいえ、ガーランは案外面倒見がいいようだ。リーリアも「ええ、大歓迎よ!」と花が綻ぶような笑顔を見せる。守は愛用の釣り竿とタックルボックスをまるで宝物のようにしっかりと握りしめ、二人に続いて薄暗い森の奥へと足を踏み入れた。

 森の中は昼間だというのに薄暗く、どこからともなく奇妙な鳴き声が響いてくる。見たことのない奇妙な形をした木々や、見慣れない植物がそこかしこに生い茂り、どこか神秘的で、同時に得体の知れない空気が漂っていた。日本の山林とは明らかに違う、その異質な光景に、守は軽い緊張を覚える。

「こっちの森は魔物が多いのよ。だから普通の人は滅多に近寄らないわ。でも、私とガーランが通る道なら比較的安全だから安心して。何かあっても対処できるわ」

 リーリアが前を歩きながら、柔らかな声で説明してくれる。一方のガーランは、常に後方を警戒するように、腰の剣に手をかけていた。

「それにしても、おまえの釣竿……さっきは短めだったと思ったが、今は少し長くなってやがる。手品か何かか?」

「いや、それがよくわからないんだ。俺だって普通はこんな風に変化するなんて思わないし……」

守は不思議に思いながらロッドを振ってみる。しなやかな弧を描くその竿は、確かにほんの少しだけ先端が長い。自分の記憶にある渓流用のロッドとは、まるで別物になっていた。

「形が変わるなんて、やっぱり魔法の道具って感じだね。でも、あなたが言う“ただの釣竿”っていうのが、何かの拍子に魔力を帯びたのかもしれないわ。異世界からの転移なら、そんな不思議なことが起こっても不思議じゃないもの……」

「異世界、かぁ。やっぱり、ここって日本じゃないんだな……」

 言いながらも、いまだに現実味が湧かない。だが、溺れかけた時の鮮明な記憶と、今いる場所のあまりにもかけ離れた光景を考えれば、否定する術はなかった。

「ま、落ち込むなよ。俺はあんたみたいな変わった奴には慣れてる方だ。冒険者稼業をやってりゃ、いろんな“珍事”にも遭遇するもんだ。それが異世界人だろうが、構いやしねぇさ」

「珍事って……。いや、俺はただのサラリーマンで、釣りが好きなだけなんだけどな……」

 ガーランが豪快な笑い声を上げ、リーリアもくすっと楽しそうに笑う。二人と話しているうちに、守の緊張した心も少しずつ、しかし確実に解けていった。

 そんな他愛ないやり取りを続けながらしばらく歩いていると、不意にガーランがピタリと立ち止まった。鼻をひくつかせ、周囲を鋭く警戒する。

「……こりゃ、面倒なのが近くにいるかもしれねぇな」

「どうしたの?」

「茂みの奥から、嫌な臭いがする。魔物の血の臭いか、それとも獲物を食った後の臭いか……」

 ガーランは迷わず剣を抜き放ち、リーリアも素早く弓を構える。その緊迫した様子に守は息を呑み、思わず手に持つロッドを強く握りしめた。

「たぶん小物だとは思うが、油断はできねぇ。おい、釣りバカ、後ろに下がってろ。マジで危なくなるかもしれんぞ」

「え、釣りバカって……まぁいいけど。俺にできることは?」

 守は慌てながらも、チラリと竿先を見る。まさかとは思うが、この釣り竿で魔物を相手にするなんて……。だが、その時、不意に彼の脳裏に一筋の閃きが走った。

(そういえば、タックルボックスが変化してるなら、中のルアーや仕掛けはどうなってるんだろう? 何か、使えるものがあるかもしれない……!)

 恐る恐るタックルボックスを開けてみる。すると、そこには渓流釣りで使っていたスプーンやミノーだけでなく、見たことのない光沢や紋様を持つルアーがいくつも混じっている。まるで魔力を帯びているかのような、不思議な輝きを放っていた。

「へえ……何それ、綺麗ね」

「リーリア、今は見とれてる場合じゃ……」

 ガーランが遮ろうとした、まさにその時。茂みの奥から、どす黒い体毛をまとった獣のような魔物が姿を現した。四つ足で地面を蹴り、素早く走り回るその姿は狼に似ているが、目つきは鋭く、喉の奥から低く唸り声を上げている。

「グルルルル……!」

「ウルフ系の魔物か。しかも一匹じゃないな……」

「やれやれ、これだから森の中は嫌なんだ。おい、リーリア、囲まれないように動くぞ。後ろの釣りバカ、おまえは……って、おい!」

 ガーランが振り返ると、守は少し離れた場所で、すでにロッドを構えていた。ただの棒きれにしか見えない釣り竿だが、その先端はふわりと揺れている。彼の目は、真剣そのものだ。

「何やってんだ! 魔物は釣れないぞ!」

「いや、だって俺、武器らしい武器はこれしかないし……それに、もしかして……釣れるかも……?」

 そう言って、守はニヤリと笑った。その表情には、いつもの“釣りバカ”が獲物を前にした時のような、抑えきれない興奮が満ちている。リーリアとガーランは目を見合わせて、思わず呆気に取られた。

「え……嘘でしょう? 魔物を……釣るの?」

 守はタックルボックスから先ほどの不思議な輝きを放つルアーを取り出すと、手際よくラインに結びつけた。キラリと虹色に光るルアーを一瞬だけ見つめ、意を決するように深く頷く。

「よし……いっちょ、やってみるか。たとえ相手が魔物だろうと、俺が相手にしたいのは“大物”だからな!」

 そう言った瞬間、魔物のウルフたちが一斉に地面を蹴り、駆け出した。リーリアが弓を引き絞り、ガーランが刀身を閃かせる。だが、それよりも早く、守は流れるような動作でキャストに入った。

 風を切る鋭い音……そして、放たれた虹色のルアーは、するすると空気を切り裂き、魔物の群れの手前へ、寸分の狂いもなく着地する。

 次の瞬間。

 ルアーがまばゆい閃光を放ち、魔物たちがまるで吸い寄せられるかのように、一斉にそれへ反応した。

「な、何だ、あれは……!」

 ガーランが思わず視線を奪われる中、守は口元に不敵な笑みを浮かべていた。釣り糸を巧みに操作し、ルアーを踊らせ、魔物を引きつける。その動きは、まるで猛獣を誘い込む熟練のハンターのよう。リーリアは、その鮮やかな手並みに目を瞠る。

「嘘……どうして、そんなにうまく操れるの……?」

「ふふん、魚と魔物の違いはあれど、捕食行動を誘うのは基本同じ……ってか、すげぇ手応えだ!」

 ルアーにウルフが勢いよく噛みついた瞬間、守はそれを待っていたかのようにロッドを大きく煽り、強引に糸を張り詰める。普段の釣りでは到底ありえないほどの衝撃と負荷がロッドに伝わっているはずなのに、まるで折れそうにない。むしろ、ギシリと唸りながらも、しなやかにその衝撃に耐えているのがわかる。

「ちょ、お前、怪我すんぞ!」

「ふっ……こいつは、バラさねぇ……!」

 魔物のウルフは、予想外の出来事に混乱し、必死に抵抗する。しかし、守のテクニックとロッドの未知なるパワーによって、じわじわと引き寄せられていく。

 その横で、残りのウルフたちがリーリアとガーランに襲いかかるが、ガーランの研ぎ澄まされた剣捌きと、リーリアの正確無比な射撃によって次々と倒されていく。

「くっ……だいぶ数は減ったけど、そっちはどう……?」リーリアが声をかけると、守は額に汗を浮かべながらも、満面の笑みで答えた。

「あとちょっと……!」

 最後の力を振り絞るように、守はロッドを大きく煽った。ピンと張り詰めた糸が、あれほど暴れ回っていたウルフを完全に制圧する形で、一気に宙へと引き抜く。尻尾を振り乱しながら狼狽する魔物が、不格好に宙を舞う。

「……ったく、信じられねえ。釣り竿で魔物を“抜き上げ”るなんて……」

 ガーランが呆然と立ち尽くして見つめる中、守は華麗にウルフを地面に落とし、そのまま軽く蹴りを入れて気絶させた。

「ふぅ……なんとか、やった……けど、息が上がるな……」

大きく息を吐く守の背中を、リーリアが「お疲れ様!」と労わるようにぽんぽんと叩く。

「すごい……本当に釣っちゃったわね。こんなの、初めて見たわ!」

「いやぁ、俺も初めてだよ。魚を釣るのとは勝手が違うけど、何とかなった……」

 なぜかロッドも折れず、ラインも切れず、ルアーも無傷。さすがに現実の釣りではあり得ない光景だが、ここは異世界。しかも、チートじみた力を持った釣り道具だ。

 守は少しだけ興奮を抑えながら、改めて釣り竿を眺める。

「やっぱり……この竿、何か変だよ。前よりまたほんの少し、太くなってる気がする」

「まさか、今のファイトでさらに性能が上がったとか……? いや、そんな馬鹿な」とガーランは首を振る。

「何にせよ、あなたの釣竿、ただものじゃないわね。今後の戦闘で大いに役立ちそうだわ!」リーリアは目を輝かせている。

 こうして守は、初の“魔物釣り”を鮮やかに成功させてしまった。衝撃と興奮の余韻が冷めないまま、三人は再び森の道へと足を進める。

 彼らはまだ知らない。この出来事をきっかけに、守の“釣りバカ魂”と、そしてチートじみた釣り道具が、次々に想像を絶する大事件を引き寄せることになることを。

 だがそれは、彼の“釣り人生”をさらに面白く、深くする、輝かしい一歩となるのかもしれない。ひょっとしたら、ここは日本の渓流なんかより、ずっと多彩な“大物”が潜む、釣り人にとって夢のようなフィールドなのだから。

 冒険者たちの世界に、一本のロッドが投げ込まれた。それが今、想像を超えた、とびきり愉快な物語を始動させようとしている。


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