眩しい。
目を開けた瞬間、燦々と降り注ぐ陽光に視界が白く染まった。まぶたの裏に残る残像は、いつもの見慣れた自室の天井ではなく、あまりにも鮮やかで、そしてどこまでも広がる“青”だった。心地よい風が肌を優しく撫で、鼻腔には甘く爽やかな草花の香りが満ちている。
ゆっくりと視線を巡らせると、広がる景色はどこまでも青々とした草原と、遠くそびえる白銀の山々。視界の全てが、まるでファンタジー世界の絵画のような、信じられない光景で埋め尽くされていた。
「……は?」
呆けたような声が、乾いた唇から零れ落ちる。俺は確か、昨日の夜、自室のベッドでスマホをいじりながら、お気に入りのゲームアプリを起動したまま寝落ちしたはずだ。それなのに、なぜ今、こんなにも現実離れした場所にいるのだろうか。
これは、最近流行りの異世界転生……いや、突然巻き込まれるタイプの異世界転移というやつか? しかし、トラックに轢かれた覚えもないし、神を名乗る謎の光に包まれた記憶もない。あまりにも唐突すぎて、理解が追いつかない。
混乱しながらも、まずは自分の体を確認しようと、ゆっくりと立ち上がった。視界の端で揺れる自分の手を見て、俺はさらに「は?」と声を上げた。そこにあるのは、間違いなく見慣れた自分の手。つまり、俺の姿は何も変わっていない。
……いや、ちょっと待て。異世界転生したなら、普通はチート能力を持った貴族の息子になっていたり、あるいは世界を脅かす最強の魔王に転生していたりするもんじゃないのか? こんな、何の変哲もない普段着のまま放り出されるなんて、聞いたことがない。
そこまで考えたところで、足元にちょこんとした、見覚えのある小さな影が目に入った。
「チュ……」
と、甲高い鳴き声が聞こえた。見覚えのあるモフモフの生き物が、上目遣いに俺を見上げていた。小さな丸い体に、つぶらな黒い瞳。ピンと立った小さな耳に、ふわふわの金色の毛並み。それは、紛れもなく俺の愛すべきペット、ゴールデンハムスターのポンタだった。
「え? ポンタ?」
俺が信じられないといった様子で声をかけると、ポンタはまるで人間の子供のように得意げに胸を張り、そして、信じられないことに、小さな口を開いた。
「違うぞ、人間。我こそが、神々に選ばれし『真の転生者』なり!」
……は?????
俺の思考は完全に停止した。頭の中が真っ白になり、目の前の光景が信じられないまま、ただ茫然と立ち尽くす。
「お、お前……喋った……?」
ようやく絞り出した声は、ひどく掠れていた。
「うむ! そして汝は巻き込まれ転生の余波でこの世界へ来たに過ぎぬ!」
ポンタは、さも当然といった様子で言い放った。その小さな体からは、まるで王様のような尊大な雰囲気が漂っている。
「いや、意味がわからん!」
慌てふためく俺をよそに、ポンタは小さな前足を腰に当てるような仕草をして、大上段から話し始めた。その姿は、まるでどこぞの偉大な将軍が演説をしているかのようだ。
「神のミスでな、我が転生の際に汝を巻き込んでしまったのだ。本来ならば我のみが、この世界の勇者として転生するはずであったが……まあ、余計な荷物がついてきたわけだな!」
「余計な荷物って俺のことかよ!」
あまりの理不尽さに、思わずツッコミを入れてしまう。俺の人生、ここまで波乱に満ちたことは一度もなかったというのに。
「案ずるな。汝にも役割はある。なにせ、我の『従者』としてこの世界を導く運命にあるのだからな!」
どの口が言うんだ、この毛玉! 俺の頭の中では、ツッコミの嵐が吹き荒れている。この状況をどう受け止めればいいのか、全く見当もつかない。
「つまり、お前が本来の勇者で、俺はお前の付き人か何かってこと?」
「その通り!」
ポンタはドヤ顔で頷く。……あれ、俺、異世界転生したはずなのに、まさかの「勇者のペットの世話係」スタート? そんなの聞いてないぞ!? チート能力もなければ、特別な使命もない。ただのハムスターの付き人だと? これが、俺の異世界での役割なのか……?
「では行くぞ、人間よ! まずは伝説の聖剣を求め、この世界を救う旅に出るのだ!」
ポンタは、まるで重力など存在しないかのように、ふわっと俺の頭の上に飛び乗り、そのまま俺の髪に小さな爪を立ててしがみついた。その姿は、まるで俺の頭が最高の見晴らし台だとでも言いたげだった。こいつ、本当に勇者なのか? 俺の役割って、結局、この生意気なハムスターのお世話係じゃねぇか……!
こうして、俺とハムスター勇者の奇妙な異世界転生が、燦々と陽光降り注ぐ草原で、唐突に幕を開けたのだった。
「まずは聖剣を手に入れるぞ、人間よ!」
俺の頭の上で、ポンタが小さな胸を張って高らかに宣言する。その姿は、どこからどう見てもただのハムスターにしか見えない。勇者というにはあまりにも頼りない。いや、そもそも聖剣を手に入れたとして、どうやって握るつもりなんだ、この毛玉は。小さな前足で、剣を構える姿を想像するだけで、なんともシュールな絵面が脳裏に浮かぶ。
「いや待て、そもそも俺たち、どこに向かえばいいんだ?」
俺は、我ながら冷静なツッコミを入れた。聖剣を手に入れると言われても、この広大な草原のどこにあるのか、皆目見当もつかない。
「むっ……確かに、世界の地図すら持たぬな。我が神から授かった知識によれば、まずはこの草原を越えた先にある街へ行くのが定石だ!」
ポンタは顎に小さな前足を当てて、少しだけ思案するような仕草をした。その知識が神から授かったものだというのなら、少しは信憑性があるのかもしれない。
「おお、それっぽい!」
「うむ、何事も冒険はまず拠点作りからよ!」
ポンタは得意げに胸を張る。なんかそれっぽいこと言ってるけど、要するにアテもなく適当に歩くしかないってことだな。仕方なく、俺はポンタを頭に乗せたまま、どこまでも広がる青々とした草原を、ただひたすらに歩き始めた。足元には、柔らかい草が心地よい感触を与えてくれる。こんなにも美しい場所なのに、俺の心には不安と、そしてかすかな期待が入り混じっていた。
どれくらい歩いただろうか。日差しは高く昇り、俺のTシャツにはうっすらと汗が滲んでいた。ポンタは俺の頭の上で、時折きょろきょろと周囲を見回している。やがて、地平線の向こうに、石造りの城壁に囲まれた街が見えてきた。その城壁は高く、堅固で、まるで要塞のようだ。城壁の上では鎧を着た兵士たちが定期的に見張りをしており、街道には行商人や冒険者らしき人々が賑やかに行き交っている。まさに、RPGの世界にそのまま飛び込んだかのような光景だった。
「おお、いかにもな異世界の城塞都市って感じだな」
俺は思わず感嘆の声を上げた。ゲームでしか見たことのない景色が、今、目の前に広がっている。
「む、これはなかなかの発展度だな! 食べ物の調達もできそうだ!」
ポンタが小さな鼻をヒクヒクさせながら言う。絶対に一番の目的は食い物だろ、お前。その小さな体で、一体どれだけ食べれば満足するんだか。
街の入り口には、木と鉄でできた大きな門があり、そこには厳つい顔をした門番の兵士が二人、微動だにせずに立っていた。彼らの眼光は鋭く、まるで侵入者を決して許さないとでも言いたげだった。
「おい、見ろよ。あの男、頭に妙な生き物を乗せてるぞ」
一人の兵士が、俺を指差して同僚に話しかける。
「……まさか、珍獣商人か?」
もう一人の兵士が、訝しげな表情で俺とポンタを見ている。
「誰が珍獣だ!」
ポンタがいきなり甲高い声で抗議した。その声は、小さくも響き渡り、兵士たちの耳にはっきりと届いたようだ。
「うおっ!? しゃ、喋ったぞ!?」
兵士たちは驚愕し、目を見開いた。
「くっ……まさか『高位魔獣』なのか!?」
もう一人の兵士が、顔を青ざめさせながら腰の剣に手をかけた。剣の柄を握る手が小刻みに震えているのが見える。やばい、このままだと俺たち、危険な存在として排除されかねない。
「ちょ、待て待て! こいつは俺のペット……じゃなくて、仲間なんだ! 旅の冒険者で、街に入れてもらいたいんだけど!」
俺は慌てて弁解した。ポンタが「ペット」という言葉に不満げな声を上げたが、今はそれどころではない。
「むぅ……お前たちは冒険者か? なら、冒険者ギルドで登録してからにしてもらおうか」
兵士の一人が、警戒を緩めないまま答えた。
「ギルド!? マジであるのか!?」
俺は思わず声を上げた。異世界ものの定番、冒険者ギルド! ここでランク制度やらクエスト掲示板やらがあるってわけだな!? つまり、ここが冒険の拠点になるってことだ。なんだか、ようやく異世界に来た実感が湧いてきた。
「よし、人間よ、まずはギルドへ向かうぞ!」
ポンタは俺の頭の上で得意げに胸を張る。
「だから、なんでお前が主導権握ってるんだよ!」
俺はツッコミを入れたが、ポンタは聞く耳を持たない。しかし、この小さな毛玉が、本当にこの世界の勇者だというのなら、もしかしたら面白いことになりそうだ。
こうして、俺とハムスター勇者は、異世界での最初の一歩を、城壁に囲まれた街へと踏み出したのだった。
次なる冒険は、この街の冒険者ギルドから。果たして、俺とポンタはどんな騒動を巻き起こすことになるのだろうか?