男は車からもう一脚の椅子を持って来て、女の向かいに座った。
よほど空腹だったのか、女はすごい勢いで次々とバーガーを喰らっていく。
その喰いっぷりを見ていた男は、
――まるでフードファイターだな。
と思った。
女はやがて、出された五つのバーガー全てを平らげ、口の周りにぐるりと舌を這わせてソースを舐め取ると、乞うような目で男を見つめた。
「……」
「足らないか?」
女はこくこくと頷いた。
男は空になった皿を持ってキッチンカーの中へ入ると、今度はありったけの残り物のバーガーを温めて戻って来た。
ゆうに十個はある。バーガーマウンテンだ。
それとコーラを一杯。やはりバーガーには炭酸飲料が似合う。
「これで在庫は全部だ。好きなだけ食えよ」
「済まない」
そう言いつつ、新しいバーガーに手を伸ばす女。
女ががつがつと食らう横で、男は女に尋ねた。
「なあ、ここ、どこなんだ? 東京じゃなさそうだが」
「ト……キョ? どこだそれは。
ここは、ロドス王国の北の国境付近。ティロッサ地方だが……」
「……へ? どこそこ。日本じゃねえの?
はー……。俺、とうとうイカレちまったんか」
「なんだと? ニポンと言ったか」
「知ってるのかよ、俺の国だよ。日本」
「ああ、知っているとも。それは――異界のことだ」
「異界……だと????」
男は頭がくらくらしてきた。
「まさか……ありえねえ」
男は目眩がしてきた。
ここが異世界だなんて理解し難い、と。
おまけに時差で眠い。
そもそも男が東京を出てきた時には深夜だったのだ。
男は思った。
『俺は疲れている。休息が必要だ』と。
「ふわあ……ダメだ寝ないと。頭壊れっちまう。
俺、疲れたからちょっと寝るわ。
それ食ったら好きな時に帰っていいぞ」
男は車の中から寝袋を取り出すと、車のわきで眠り始めた。
寝て起きたら、東京の自分の部屋でありますようにと願いながら。
「ちょっと……お前……、そんなに疲れていたのか、すまない。
異界からの長旅で疲れているのだな、ゆっくり休め。私が見ていてやろう」
女の言葉を全て聞かぬうちに、男は寝息を立てていた。
「でも、どうしよう…………。ま、いっか」
女はとりあえず考えるのを後回しにして、のこり半分のバーガーの山を片付けることにした。旨くて旨くて食べる手が止まらない。
「美味いなあ……なんなんだ、このサンドイッチは」
カラフルな薄紙に包まれたバーガーを見て、女は自分がいつのまにか幸せな気分になっているのに気付いた。
やがて、ある程度胃の腑が満ちて落ち着いた女は、新しい包みを広げ、バーガーをまじまじと見てから、匂いを楽しみ、確信に満ちた表情でかじりついた。
『これは絶対旨いやつだ』と。
「ん~~~~~~、やっぱひ、おいひいい~~」
満ち足りた顔で口いっぱいにバーガーを頬張る女。
女はあまりの幸福感で、今にも昇天してしまいそうだった。
もりもりと咀嚼しながら、女は一部を齧り取られたバーガーをまじまじと見る。
すこしつぶれた丸いパンで挟んだ、なにかを揚げたものと刻んだ青菜。
いままで食べたことのない、それでいてどこか懐かしさを感じるその具材は、ねっとりしたシチューのようでありながら、サクサクした衣をその身に纏っている。
青菜の方は若干他の具材の熱でしんなりしてはいても、未だ瑞々しい歯ごたえを残し、油を多く含んだ口腔内をさっぱりさせつつ、噛み応えもまた楽しい。
女は不思議に思っていた。
――これは一体どのようにして調理したのだろうか?
中身はトロトロなのだから、衣を着けることは不可能だ。
まさかこの男は魔法使いか錬金術師なのか?
いやそんなことより、見れば見るほど女はあらゆることが気になってきた。
目の前のテーブルに置かれた物品を。
キッチンカーを。
地面に転がる見慣れない種族の男を。
女はまじまじと見た。
バーガーを包んでいる、極彩色で美しい模様の描かれた薄紙。
ただ食べ物を包むだけのために使い捨てられるという贅沢の極みのような紙だ。
嗅いだことのない、香ばしい薫りを放つお茶に似た液体が注がれた、丈夫な紙製のカップと、そこに刺しこまれた、やわらかい象牙で出来た葦のような短い中空の棒。この棒を使ってお茶を飲むという発想が信じられない。
いま己が使用している、ホウロウ引きの白くて美しい、組み立て式の調度品。絨毯も敷かずに地面に直接置かれている。贅沢にも程がある。
そして男が使用している、絹のようでありながら厚手で丈夫な布で出来たふわふわの寝具。これも、汚れなど気にする様子もなく直接地面に敷かれている。
どれを取っても、信じられないほどの高級品ばかりだ。
いかなる貴族や王族が引き立てている店なのか、皆目見当がつかない。
……というよりも、
このようなものが、この世界にあるはずか――ない。
「これが伝説のニポン……異界の店なのか?」
異界には、考えも及ばないほど贅沢な品物が数多く存在している、などというウワサを聞いたことはないが、有り得ない話ではない、と女は思った。
――しかし……。
もしかして、これは異界の食べ物なのでは?
そんなものを食べて自分は大丈夫なのか?
ちょっと冷静になってきた女は、急にそんなことを考えはじめた。だが。
「異界の料理……。
もっと食べたい」
命令系統は胃袋の方が上位だった。
女は残ったバーガーや、出された水、ドリンク、コーヒーの全てを胃の腑に収めると、満足そうに男を眺めた。
「当分起きそうにないし……私も寝るか。
こいつが起きたら、また何か作らせよう」
女は、男の寝袋の隣にマントを敷いて、ごろりと寝転んだ。
私が見ていてやろう、と言ったことも忘れて。