近藤弘一の脳内は、真っ白だった。
目の前の雪菜は、ほんのりと頬を染めている。
恥じらいの色を浮かべながら、こちらの反応をうかがうように見つめていた。
「ちょっ……ま、待て雪菜……今、なんて……?」
声がうわずる。
「ふふ……聞こえたでしょ?」
雪菜ははにかむように笑みを浮かべ、グラスを指先でゆるやかに回す。
その何気ない仕草に、弘一の胸がかすかに波立った。
周囲の喧騒――賑やかな居酒屋の笑い声やグラスの音が、ふたたび耳に戻ってくる。だが、彼の中ではそれらすべてが遠のき、まるで時間が止まったかのような感覚に包まれていた。
(これは冗談だろ?……いや、これは、本当なのか!)
脳内で警報のように響く思考。それでも視線を逸らすこともできず、彼はただ呆然と雪菜を見つめていた。
「……お、お前、それ……本気で言ってんのか?」
喉が渇き、声が掠れる。問いかけた言葉に、雪菜は唇をキュッと結んだ後、静かに、しかし確かな動きでコクンとうなずいた。
「本気よ……それも、ずっと前から」
その声は、これまで近藤が知っていた彼女のどんな言葉よりも、真剣だった。
(だめだ……これは完全に、間違った方向に向かってる……!)
心の中で頭を抱えるように呻く。
その瞬間だった。
ふいに、彼の脳裏にあの“システム画面”が浮かび上がった。
「羞恥ゲージ:50」
「使用可能スキル:読心術(50/50)」
その表示を前に、近藤は静かに息を呑んだ。
「……使うしかないか」
覚悟を決めるように、心の中で呟く。
そして、脳内でコマンドを唱えた。
「交換:読心術(50/50)」
瞬間、表示が切り替わる。
「羞恥ゲージ:0」
次の瞬間、脳内にピリッと電流が走るような感覚が走った。
頭の奥で何かが弾け、世界の色が微かに揺らぐ。
そして――聞こえてくる。
“お願い……断られてもいい。でも、今だけは正面から見てほしいの……”
雪菜の“心の声”だった。
それは音ではなかった。言葉でもなかった。けれど、確かに彼の胸の奥に、真っすぐに届いた。
「……!」
弘一の心臓が、ひときわ強く跳ねた。
まるで、心を撃ち抜かれたように。
それは、からかいでもなければ、冗談でもなかった。
雪菜はただ、真剣に、真っ直ぐに――彼だけを見ていた。
(やばい……これはもう、照れとかじゃ済まされない……)
脳内に響く“心の声”は、幻ではなかった。
読心術の効果時間は残りわずか。
弘一はこの胸に迫る“答え”に向き合わねばならなかった。
だが――その時。
「近藤さん〜〜! 飲んで飲んで〜〜!」
陽気な声が響き、雪菜の友人たちがどっと割り込んできた。
高いテンションで浮かれ声を上げながら、雪菜の手を引いて、強引に輪の中へと連れ込んでいく。
「あっ、ちょっと! 今いいところなのに……!」
不満げに言いながらも、雪菜は渋々立ち上がる。
その背中を見送りかけた瞬間――振り返った雪菜が、弘一にだけ聞こえるような声で、そっと囁いた。
「……あとで、ちゃんと答えてね」
そして、読心術の効果は途切れる。
空気が変わる。喧騒の中、近藤はひとり、ぽつねんとその場に取り残されていた。
カラン……
沈黙の中、氷が控えめな音を立てながら、まるで彼の動揺に寄り添うように、少しずつその輪郭を崩していく。
「……はあ……これもう完全に、別イベントだろ……」
思わず頭を抱え、天井を見上げたその瞬間だった。
「ピロリン」
頭の奥に、再び機械声が再び鳴り響いた。
(新スキル開放:『羞恥耐性 Lv1』
──羞恥値獲得時、精神ダメージを5ポイント軽減します)
「……って、おい! 俺の人生どこへ向かってるんだよッ!!」
誰にともなく叫んだその声は、居酒屋の喧騒にかき消された。
──つづく。