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第2話 交換

近藤弘一の脳内は、真っ白だった。


目の前の雪菜は、ほんのりと頬を染めている。


恥じらいの色を浮かべながら、こちらの反応をうかがうように見つめていた。


「ちょっ……ま、待て雪菜……今、なんて……?」


声がうわずる。


「ふふ……聞こえたでしょ?」


雪菜ははにかむように笑みを浮かべ、グラスを指先でゆるやかに回す。


その何気ない仕草に、弘一の胸がかすかに波立った。


周囲の喧騒――賑やかな居酒屋の笑い声やグラスの音が、ふたたび耳に戻ってくる。だが、彼の中ではそれらすべてが遠のき、まるで時間が止まったかのような感覚に包まれていた。


(これは冗談だろ?……いや、これは、本当なのか!)


脳内で警報のように響く思考。それでも視線を逸らすこともできず、彼はただ呆然と雪菜を見つめていた。


「……お、お前、それ……本気で言ってんのか?」


喉が渇き、声が掠れる。問いかけた言葉に、雪菜は唇をキュッと結んだ後、静かに、しかし確かな動きでコクンとうなずいた。


「本気よ……それも、ずっと前から」


その声は、これまで近藤が知っていた彼女のどんな言葉よりも、真剣だった。


(だめだ……これは完全に、間違った方向に向かってる……!)


心の中で頭を抱えるように呻く。


その瞬間だった。


ふいに、彼の脳裏にあの“システム画面”が浮かび上がった。


「羞恥ゲージ:50」


「使用可能スキル:読心術(50/50)」


その表示を前に、近藤は静かに息を呑んだ。


「……使うしかないか」


覚悟を決めるように、心の中で呟く。


そして、脳内でコマンドを唱えた。


「交換:読心術(50/50)」


瞬間、表示が切り替わる。


「羞恥ゲージ:0」


次の瞬間、脳内にピリッと電流が走るような感覚が走った。


頭の奥で何かが弾け、世界の色が微かに揺らぐ。


そして――聞こえてくる。


“お願い……断られてもいい。でも、今だけは正面から見てほしいの……”


雪菜の“心の声”だった。


それは音ではなかった。言葉でもなかった。けれど、確かに彼の胸の奥に、真っすぐに届いた。


「……!」


弘一の心臓が、ひときわ強く跳ねた。


まるで、心を撃ち抜かれたように。


それは、からかいでもなければ、冗談でもなかった。



雪菜はただ、真剣に、真っ直ぐに――彼だけを見ていた。



(やばい……これはもう、照れとかじゃ済まされない……)


脳内に響く“心の声”は、幻ではなかった。


読心術の効果時間は残りわずか。


弘一はこの胸に迫る“答え”に向き合わねばならなかった。


だが――その時。


「近藤さん〜〜! 飲んで飲んで〜〜!」



陽気な声が響き、雪菜の友人たちがどっと割り込んできた。


高いテンションで浮かれ声を上げながら、雪菜の手を引いて、強引に輪の中へと連れ込んでいく。


「あっ、ちょっと! 今いいところなのに……!」


不満げに言いながらも、雪菜は渋々立ち上がる。


その背中を見送りかけた瞬間――振り返った雪菜が、弘一にだけ聞こえるような声で、そっと囁いた。


「……あとで、ちゃんと答えてね」


そして、読心術の効果は途切れる。


空気が変わる。喧騒の中、近藤はひとり、ぽつねんとその場に取り残されていた。


カラン……


沈黙の中、氷が控えめな音を立てながら、まるで彼の動揺に寄り添うように、少しずつその輪郭を崩していく。


「……はあ……これもう完全に、別イベントだろ……」


思わず頭を抱え、天井を見上げたその瞬間だった。


「ピロリン」


頭の奥に、再び機械声が再び鳴り響いた。


(新スキル開放:『羞恥耐性 Lv1』


──羞恥値獲得時、精神ダメージを5ポイント軽減します)


「……って、おい! 俺の人生どこへ向かってるんだよッ!!」


誰にともなく叫んだその声は、居酒屋の喧騒にかき消された。


──つづく。



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