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第五話 環境適応と、独占の輝き

 木漏れ日が柔らかく降り注ぐ宿の一室で、秋月悠真は、ただ静かに「調合」の作業を続けていた。

 机の上には、使い込まれた石製の薬研と乳棒、そして彼の新たな可能性を象徴するかのように、幾種類もの薬草が並べられている。瑞々しい青の上薬草、鈍い灰緑の毒消し草。それらに加え、先日、森の奥深くで見つけたばかりの、見たこともない珍しい薬草の姿もあった。

 一本の小瓶には、昨日、広場で飛ぶように売れた「高効率回復薬液」が琥珀色に満たされている。銀貨がうず高く積み重なるたび、悠真の胸は確かに高鳴った。ようやくこの世界で、自分の居場所を見つけた。その揺るぎない確信があった。


 だが、安堵は一瞬でかき消される。

(これだけじゃ、すぐに追いつかれる……)

 彼の指先が、新たに持ち帰った「冷却草」の葉に触れる。ひんやりと冷たいその感触に、森の奥で感じた、あの肌を焼くようなひどい熱気を思い出した。あの「灼熱の洞窟」で、もしこの冷却草を調合できれば――。

 視界に浮かぶ《薬草調合》のスキル表示が、まるで彼を誘うように、新たな可能性を示唆している。薬草を組み合わせることで、思わぬ効果が生まれる。それはまるで、無の状態から価値ある何かを生み出す、禁断の錬金術のようだ。

「ざり、ざり……」

 静かな部屋に、薬研と乳棒が擦れ合う乾いた音が響く。冷却草の葉はすぐに粉々に砕け散り、青白い液がにじみ出した。指先に伝わるひんやりとした感覚が、これまでの薬草とは明らかに違う、未知の可能性を告げている。

 その瞬間、視界の端に、期待通りの青い文字が次々と浮かび上がった。


《冷却草が「凍気」の属性を獲得しました》

《毒消し草が「浄化」の属性を獲得しました》

《薬草調合スキルレベルアップ!》


 悠真は、はっと息を呑んだ。属性……これまでの薬草にはなかった、まったく新しい概念。そして、何よりも「スキルレベルアップ」。それは、より複雑で、誰も到達できない調合が可能になった、何よりの証だった。


「これなら……いける」


 彼は、胸の高鳴りを抑えながら、集中して調合を続けた。幾度も失敗を重ね、貴重な薬草を無駄にしたことも数知れない。それでも、試行錯誤の末、ついに小瓶に収められた液体は、澄んだ水色に、宝石のように輝いた。


《新アイテム:冷却ポーションが完成しました》

《効能:短時間、熱ダメージを軽減する》


「やった……っ!」


 思わず、興奮した声が喉から漏れた。これだ。まさにこれだ。このポーションがあれば、あの「灼熱の洞窟」のような、熱波に阻まれて誰も攻略できなかったダンジョンも、突破できるかもしれない。他のプレイヤーが手も足も出なかった場所へ、自分が道を開ける。その予感に、悠真の心は震えた。

 だが、その喜びも束の間、悠真の表情はすぐに引き締まった。

(もっと、だ。これだけじゃまだ足りない)

 彼の視線は、机の隣に置いてあった「浄化苔」に向けられた。薄い緑色の苔は、僅かに甘い匂いを放っている。あの灼熱の洞窟では、熱ダメージだけでなく、奇妙な病気にかかるという不穏な噂もあったのだ。


 再び、薬研の音が部屋に響き渡る。

 悠真は一心不乱に調合を続けた。そして数時間後、机の上には、彼の努力の結晶とも言える、無数の小瓶が整然と並んでいた。

 澄んだ水色の「冷却ポーション」。そして、透明感のある緑色の「解毒ポーション」。

 どちらも、この世界ではまだ誰も見たことがない、悠真だけが生み出せる「切り札」にして「独占の輝き」だった。

 悠真は、それらのポーションをそっとカゴに収めた。ずっしりとした心地よい重みが、彼の胸に確かな手応えとして響く。


「これで……俺は、もっと先へ行ける」


◇ ◇ ◇


 翌朝、村の広場に悠真の露天が並んだ時、周囲のプレイヤーたちは、まるで新しい流行でも見つけたかのようにざわめいた。

 いつもの高効率回復薬液の隣に、見たこともない水色と緑色の小瓶が、異彩を放って並べられていたからだ。


《冷却ポーション 一瓶 5銀貨》

《解毒ポーション 一瓶 7銀貨》


「なんだ、あれ?」

「見たことないポーションだぞ!? もしかして、あの薬草屋さん、また何かヤバいもの作ったのか……?」


 訝しげな声が飛び交う中、一人の重装剣士が悠真の露天にゆっくりと近づいてきた。彼は、この村でも有数の実力者として知られる、百戦錬磨のベテランプレイヤーだった。


「おい、兄ちゃん。これ、なんだ?」


 剣士の視線は、特に水色の冷却ポーションの瓶に、強い興味を抱いたかのように釘付けになっている。

 悠真は、その鋭い視線に臆することなく、はっきりと答えた。


「熱ダメージを軽減するポーションです。それから、こちらは毒消し効果があります」


 剣士の目が、驚きと期待に見開かれた。


「……熱ダメージ軽減だと!? それ、あの「灼熱の洞窟」に効くのか!?」

「恐らく。このポーションがあれば、攻略は格段に楽になるかと」


 その悠真の言葉に、広場にいたすべてのプレイヤーたちが息を呑み、そして一斉にどよめいた。

 村の東に位置する「灼熱の洞窟」。強烈な熱波が吹き荒れ、足を踏み入れるだけで体力を容赦なく削られるそのダンジョンは、多くのプレイヤーを跳ね返してきた難攻不落の場所だ。その攻略には、膨大な回復薬が必須だったが、それでも熱ダメージまでは防げなかったのだ。


「本当なのか……!? まさか……! 試しに一本、頼む、くれ!」


 剣士は、勢いよく銀貨を叩きつけた。悠真は無言で瓶を差し出す。剣士は興奮した面持ちで、すぐにそれを一息に飲み干した。


「……っ! なんだこれ、身体が軽い……! 熱気が、まるで感じられない……!」


 その衝撃的な言葉に、広場にいたすべてのプレイヤーが、今度こそ熱狂的な歓声を上げた。

 難攻不落と思われていたダンジョンの攻略の光明が、今、目の前にある。


「俺にもくれ! 頼む!」

「いや、俺が先だ! 俺は今から灼熱の洞窟に挑むんだ!」

「解毒ポーションもだ! あれは毒沼で必須になるぞ! 全部まとめてくれ!」


 瞬く間に、悠真の露天の前には文字通り長蛇の列ができた。

 銀貨、そして高額な金貨までが、彼の足元にうず高く積み上がっていく。

 かつて彼を嘲笑した者たちも、今では羨望と尊敬の眼差しを向けている。


 「冴えない黒髪、地味な顔立ち、灰色のパーカー姿」の「薬草採集人」は、いつの間にかこの世界の誰もが認める「唯一無二の存在」になっていた。

 悠真は、すっかり空になったカゴを抱えながら、静かに、しかし深く息を吐いた。

 これは、まだ始まりに過ぎない。

 まだ、この世界の誰も知らない、隠された薬草が、森の奥には無限に眠っている。

 そして、それらを組み合わせることで、もっと、もっと、想像を超える、新たな可能性を秘めたポーションを生み出せる。


「ふっ……」


 悠真の口元に、自然と満ち足りた、静かな笑みが浮かんだ。

 視界の端で、売り切れた冷却ポーションの空き瓶が、朝日に照らされて青く、希望に満ちた輝きを放っていた。

 その輝きは、まるで悠真の未来の成功を暗示しているかのようだった。

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