王都南港は朝日を浴び、白く輝いていた。数十隻の帆船が波間に浮かび、マストに張られた帆がゆっくりと風を受けて揺れている。市場の喧騒と潮の香りが混ざり合い、晃たちに旅の始まりを強く実感させた。
「これが出航する船か……」純也が甲板を見上げ、喉を鳴らした。
「でかいな……俺、船なんて乗ったことないぞ」
ジョーダンが柔らかな笑みを浮かべた。
「大丈夫よ。船酔いは慣れれば平気だし、あなたなら乗客とすぐに打ち解けられるわ」
荷物を積み込む作業を見守っていた明日美が、手元の記録を確認した。
「飲料水、保存食、応急道具……全部予定通り。あとは私たちが乗り込むだけ」
佳那は船尾に積まれている奇妙な装置に目を輝かせた。
「見て、この推進機。魔力を使っているみたい。航行速度は普通の帆船よりずっと速いはず」
エマーソンはその観察に頷いた。
「古代の浮遊技術を応用したものかもしれない。ここに来て正解だったな」
彩夏は船員に声をかけ、航路について質問した。
「ルルイエまでの所要時間は?」
船員は陽気に笑って答えた。
「天候次第だが二日と少しだな。今夜は沖合で停泊する。港を出れば海鳥くらいしか会わないさ」
優太がポケットから小型の時刻計を取り出し、航行予定を記録していた。
「二日後の夕刻に着けば、結晶の展示祭に間に合うな」
晃は全員の顔を見回し、短く告げた。
「じゃあ、出航だ。ここからが本番だぞ」
出航の鐘が鳴り響き、船は港を離れた。波の音と帆の軋む音が混じり、徐々に陸地が遠ざかっていく。未知の海へと進むその光景は、八人の心を同時に高鳴らせた。
船が港を離れると、都市の喧騒は次第に遠ざかり、代わりに波が船腹を叩く音だけが響き始めた。甲板の上で潮風を浴びながら、彩夏は遠ざかる王都を振り返った。
「なんだか、あっという間だったね。昨日まで図書館にいたのに」
晃は腕を組み、冷静に頷いた。
「時間の流れは同じでも、感じ方はまるで違う。今はとにかく、次の目的に集中しないと」
純也はロープを握りながら苦笑した。
「なぁ、俺、まだ信じられないんだけど。本当に異世界で船旅してるんだよな?」
ジョーダンは柔らかい声で返した。
「ええ、信じられないのは私も同じ。でも、だからこそ面白いのよ」
昼下がりになると、甲板で小さな集会が開かれた。優太が航路図を広げ、指先でルルイエまでの行程を示す。
「このルートなら二日で到着可能。途中で補給する港はないから、物資は慎重に管理して」
明日美は荷物のリストを確認し、整然とした声で言った。
「食料と水は三日分、医療用品も十分。夜間停泊時に点検を行うわ」
佳那は船尾の装置を眺め、目を輝かせていた。
「ねえ、あの推進機、たぶん魔力石をエネルギー源にしてる。もし調べさせてもらえたら——」
晃は苦笑しながらも制した。
「佳那、分解とかはダメだぞ。船を止められたら困る」
船員たちは陽気で、乗客の晃たちに対しても親しげだった。その中の一人が純也に声をかける。
「おい、楽器弾けるんだって? 今夜、演奏してくれないか?」
純也は肩をすくめ、視線を逸らした。
「……緊張するんだよな、俺。人前は」
ジョーダンがそっと彼の背中を押した。
「大丈夫。あなたの声は人を惹きつける。だからこそ、やってみる価値がある」
純也はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「……わかった。やってみるよ」
夜、船は沖合で停泊した。甲板の中央には小さなランタンが灯され、船員たちが木製のテーブルを囲んでいた。食事の後、自然と視線が純也へ集まる。
「じゃあ、一曲だけ……」純也は深呼吸し、持参していた小型の弦楽器を取り出した。指が少し震えていたが、ジョーダンの励ましを思い出し、そっと弦を弾いた。
柔らかな音色が夜の海に広がり、波音と混じり合った。やがて純也は声を乗せ、短い歌を歌った。初めは震えていた声が、二節目には安定し、三節目には自信を帯びて響いていた。
船員たちは拍手を送り、ジョーダンは嬉しそうに微笑んだ。
「ほら、できたじゃない」
純也は照れ隠しのように肩をすくめた。
「……まあ、何とか」
その夜、晃は甲板に立ち、満天の星空を見上げていた。エマーソンが隣に立ち、低い声で言った。
「星の配置が微妙に違う。時間と空間の歪みを示している可能性があるな」
晃は静かに応えた。
「つまり、僕たちの帰還条件には、この世界の天体配置も関係するかもしれない……」
夜明け前、優太は時計を見ながら航路データを確認し、明日美は荷物を再度点検していた。佳那は推進機の稼働音を記録し、彩夏は結晶を譲ってもらうための交渉内容をノートに書き留めていた。
そして二日目の午後、船はルルイエの港に到着した。水面に映る都市は水路が縦横に走り、橋や塔が複雑に絡み合っていた。まるで水上の迷宮のようだ。
純也が目を見開いて呟いた。
「すげえ……本当に水の都だ」
ジョーダンは笑みを浮かべた。
「ここからが本番ね」
晃は仲間たちを見回し、短く言った。
「行こう。結晶を手に入れるために」
八人の影は、水面に揺れる都市の光の中へと伸びていった。