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第98話「よるをくぐる」

 デルタチームから借りた兵員輸送車がとある施設の前で停まる。

 車から降りた颯真はその門を前に、奥の建物に視線を投げた。


「……」


 門に掲げられたプレートには「井上宇宙開発研究所」という文字が刻まれている。

 宇宙開発は【タソガレ】に対する研究を知られないようにするためのフェイクだとしても、井上ということは本当に靖が関わっていたのだという思いが颯真の胸を過る。


「颯真君、大丈夫か?」


 颯真の隣に立ち、誠一がそう尋ねてくる。


「大丈夫です」


 颯真が答えると、誠一とは反対側の隣に冬希が立ち、颯真の手を握った。


「行こう、颯真」


 冬希の気遣いに、颯真はうん、と小さく頷く。

 誠一の言葉が正しければ、この研究所で颯真は生まれた。

 夢だと思っていた、水の中で竜一の声を聞いた記憶の場所。

 まさかここに来ることになるとは思っていなかった。自分の出自を知らなければこの研究所のことも存在は知ったとしても深く考えることはなかっただろうし、出自を知っていたとしても用があるかと言えばそんなことはない。

 それなのにここに来ることになるなんて、と思いつつ、颯真は一歩踏み出した。


 門扉は閉ざされていたが、それは真が容赦なく打ち破り、人類側の五人と【タソガレ】の数人は敷地の中へ、そして建物の中へと踏み込んだ。

 中には何人もの研究員や警備員がうろうろしていた。

 靖からの連絡は受けていないのか、突然の颯真たちの来訪に戸惑い、遠巻きに眺めてくる。


「あの……【ナイトウォッチ】の方とお見受けしますが、アポは……」


 警備員の一人が近寄ってきてそう問いかけるが、誠一はすぐにそれに対応する。


「アポイントメントをとる余裕はなかったが、緊急の用件だ」


 誠一がそう言うと、奥にいた研究員の一人が駆け寄ってくる。


「神谷さん! 久しぶりです! 今日はどうしたんですか?」

「ああ、久しぶり。ちょっと井上さんの研究の確認がしたくてね」


 どうやら駆け寄ってきた研究員は誠一とは顔見知りだったようだ。誠一の姿を認め、しかも「緊急の要件」ということでこれは【ナイトウォッチ】で何かあった、と判断したらしい。

 誠一の言葉に、研究員がはい、と頷く。


「どの研究についての確認ですか? そういえばプロジェクト【アンダーワールド】関係で何かあったらしい、という噂を耳にしたのですがそれ関係ですか?」

「まぁ、そんなところだな。確か裏の世界への通路を開く方法を模索していたはずだが、急遽私たちで裏の世界に行くことになってな」


 すらすらと誠一の口から出る言葉に、颯真は少々呆気にとられていた。

 嘘は言っていないのだが、全て真実とも言い難い。特に「裏の世界への通路を開く方法」に関してはこちらには全く情報がなかったはずだ。それをいかにも「知っています」と言わんばかりの顔で尋ねる誠一に、誠一の交渉能力の高さを思い知る。


「ゲート装置自体は完成していますよ。やはり裏の世界との距離が縮まる黄昏時以降でないと動作しませんが、転移実験は成功しています」

「分かった、【タソガレ】がこちらへ侵攻する計画を阻止できる可能性が見えてきたんだ。それには私たちが裏の世界に行かなければいけなくてな。転送のための制限とかは?」


 こちらです、と案内を始めた研究員の後に続いて歩きながら誠一が確認する。


「ゲートの解放は一回につき五分、一度ゲートを開くと二十四時間のインターバルが必要となります。裏の世界に行った後にゲートが閉じれば二十四時間は戻ることができません。まぁ【ナイトウォッチ】の皆さんならご自分の身は自分で守れるとは思いますが、無理はしないでくださいよ」


 研究員の説明を聞きながら、いくつもの扉が並ぶ廊下を一同は歩く。


「……」


 不意に、颯真が立ち止まった。


「? どうした?」


 立ち止まった颯真に合わせ、冬希も立ち止まる。


「ここ……」


 そう呟いた颯真の声はほんの少しかすれていた。

 颯真に言われて冬希も目の前の扉に掲げられたプレートを見る。

 【培養室】という表記。

 思わず、冬希は颯真の顔を見た。


「ここが……」


 その言葉で、冬希は察してしまう。


「どうしたんだ? ここに何かあるのか?」


 颯真の後ろで立ち止まった卓実も声をかけてくるが、颯真は言葉が出せないでいた。

 という思いが、颯真を突き動かす。


「……急いでいるところ、すみません」


 かすれた声で颯真が誠一に声をかける。


「どうした、颯真君」


 振り返った誠一が颯真を、そして扉のプレートを見る。

 誠一もすぐに気付き、案内をする研究者と共に颯真の隣、扉の前に立った。


「すまない、彼に中を見せてやってくれ」

「……しかし、ここは——」


 誠一の言葉に難色を示す研究者だったが、颯真を見てすぐに態度を改める。


「分かりました」


 名札を兼ねているカードキーを手に取り、研究者が扉の横にある電子ロックに接触させる。

 小さな電子音が響き、扉が開かれる。

 何も言わず、颯真は部屋に足を踏み入れた。


 颯真の後ろで、研究者が扉の横のパネルに触れる。

 一瞬の沈黙の後、照明が点灯し、室内が、室内にあるものが照らされる。


「——、」


 誰かが息を飲んだ音が室内に響いた。

 無機質で、様々な端末が並んだ室内の中央に巨大な円筒状の水槽があった。

 この部屋自体、かなりの期間使われていなかったのか端末にはシートが掛けられ、水槽も空の状態だったが、その室内は颯真の記憶に残っていた。


 颯真が静かに水槽に歩み寄り、手を伸ばしてガラス面に触れる。

 よく見た夢の光景が脳裏に蘇る。


『よく戻ってきたな』


 時々聞こえる、いつもの声がそう囁いたような気がした。


「——ただいま」


 颯真が呟く。


「え、ただいまって——」


 卓実が驚いたように声を上げるが、すぐに納得したような顔をする。


「……そっか」


 何故か、腑に落ちてしまった。

 今までの天才的な戦闘センス、そして今回のクーデターで見せた光と闇が入り混じったような力。

 卓実も【ナイトウォッチ】の一員だから分かる。颯真が使った闇は【あのものたち】が使っているものと同じということを。あの時は戦闘中だったから特に言及することもなかったし、戦闘後も追及する気はなかった。あの裏の世界転落事故の際か帰還後に【あのものたち】の力を人間も使えるようにする装置でも特別に渡されたか、程度にしか考えていなかったが今なら分かる。


 颯真が稀に見る逸材で、試作品の装置を渡されたとかそういうものではない。颯真自身が【あのものたち】の力を秘めていたのだと。それも人為的に与えられたというのも理解できる。そうでなければ颯真がこの部屋に興味を持つこともこの水槽を前に「ただいま」と言うこともない。


 颯真はここで生まれた。【あのものたち】と戦うためだけに人工的に生み出された存在として。

 そこに嫌悪感や忌避感はなかった。ただ、納得だけが卓実の中にあった。それは真も同じだったのか、静かに颯真を眺めている。


 冬希は論外だ。颯真が先に打ち明けているだろうし、それで拒絶していたら付き合うという選択肢が出るはずがない。冬希は冬希で全てを知ったうえで颯真を受け入れている。


「なんだ、心配する必要なかったんか」


 思わず、卓実は呟いていた。

 颯真の出自がどのようなものであれ、自分たちは颯真を悍ましい存在として見ることはない。勿論、颯真の出自を知って拒絶する人間もいるだろう。だが、少なくとも今ここにいる面々は颯真を受け入れている。


 卓実はなんとなくだが不安を覚えていた。あれだけのセンスの塊の颯真には何か裏があるのではないか、それが明るみに出た場合、颯真はいつも通りに振舞えるのか、と。

 だが、それが現実になっても何も変わらなかった。

 自分のあまりの空回りに卓実は思わず笑った。


「……颯真、」


 後ろから颯真に声をかける。


「なに、卓実君」


 水槽から手を離し、颯真が振り返る。


「やっぱお前はお前だよ。とりあえず、とっとと裏の世界にいるラスボスをぶちのめして帰って来ようぜ」


——お前は瀬名と幸せになるべきだ。


 その言葉は飲み込む。最終的にそれを選択するのは颯真自身だ。

 卓実に言われ、颯真がうん、と頷いて部屋の入り口付近で待っていた一同の前に戻る。


「行こう、みんな」

「おうよ」


 そう言いながらも卓実は素早く颯真の様子を観察する。

 動揺している様子も、自分自身に悲観している様子もない。

 大丈夫、颯真ならやれる、と判断し、卓実は颯真の背を叩いた。


 それに押されるように部屋を出て、改めて一同は廊下に出て目的の部屋に入る。

 その部屋も先ほどの【培養室】と同じくらいの広さで周囲に様々な端末が置かれていたが、中央にあるのは水槽ではなく、空港の保安検査場にある金属探知機のゲートのようなもの。

 研究員が端末を操作し、ゲートを起動させる。


「境界接触時間に差し掛かっているのでこのまま通路は開きそうですね。準備は大丈夫ですか?」


 先ほども説明した通り、通路が閉じれば二十四時間は戻ることができません、という言葉に一同は一度顔を見合わせ、頷きあう。


「大丈夫だ、開いてくれ」


 誠一が代表してそう言うと、研究員は分かりました、とキーボードに指を走らせた。


「座標はどうしますか? 緯度経度が分かれば任意の地点に移動できますが」

「ああ、それなら今から言う座標を登録してくれないか」


 座標、どこを指定すればいいんだ、となりかけた一同だったが、それはアキトシが即座に手を挙げていくつかの数値を口にする。

 それを入力し、研究員は端末に設置されたボタンに指を置いた。


「それでは通路を開きます」


 研究員がボタンを押した瞬間、ゲートが蒼白く輝いた。

 人が通り抜ける部分が光のカーテンに覆われる。


「私含め、颯真君以外は初めての異世界だな。さて、何が出てくるか——」

「大したものはないよ。だが、わたしが指定した座標はきみたちの言う敵の本拠地だ。心してかかってくれ」


 ゲートを見て呟く誠一にそう言ったアキトシが一歩踏み出す。


「人間が作ったゲート、転送実験は成功したと言っても第一歩を踏み出す存在は必要だろう。わたしが一回くぐってみるからそれを確認してからにすればいい」


 そう言ってさっさとゲートに飛び込むアキトシ。

 光の向こうにアキトシの姿が消え、それからすぐにひょっこりと上半身をのぞかせて手を振ってくる。


「大丈夫だ、ちょうど誰もいないし来るなら今だ」

「……行こう、冬希」


 颯真が冬希に視線を向け、頷いてみせる。


「ああ、行こう」


 冬希も頷き、颯真の手を握る。


「それじゃ、行ってくるよ」


 ゲートに向かって歩き出した二人を追い、誠一も歩き出す。

 そこへ、


「ああ神谷さん」


 研究員が誠一を呼び止め、何かを手渡した。


「帰還用の端末です。使えるのは二十四時間後ですが、裏の世界から通路を開く際はこれを使ってください」

「ああ、ありがとう」


 端末を収納し、誠一が頷く。


「足立、中川、君たちも覚悟はいいか?」

「俺たちの腹は決まってますよ、なぁ真?」

「ああ、問題ない」


 ここまで来たらもうあとは進むだけ。

 卓実と真もゲートに向かって歩き出す。


「それじゃあ、行ってきます」


 ゲートの前で一度立ち止まり、研究員に会釈し、颯真は一歩踏み出した。

 躊躇うことなく足を進め、光のカーテンをくぐる。

 ゆらり、と視界が揺らめき、次の瞬間、颯真は薄暗い世界の建物の前にいた。

 すぐに他のメンバーもゲートをくぐり、颯真の周りに立つ。


「……ここが、」


 卓実がそう呟くが、すぐに表情を引き締め、颯真を見る。


「颯真、ビビってんじゃないだろうな?」

「まさか」


 卓実の言葉に颯真が笑い、腰の刀を軽く叩く。


「大丈夫だよ」

「よし、それじゃあ——」


 卓実の視線が誠一へと流れる。


「ああ、最終決戦だ。必ずミツキを倒し、平和を取り戻そう」


 人類と【タソガレ】、双方の未来のために。

 応、と頷き、颯真たちは建物の中へと入っていった。

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