「つまりここは、娘を生け贄に差しだして、かわりに富を得てきたやつらの住む村ってことか。……胸くそ悪い」
隼人はドラゴンフルーツ牛乳を飲むのを中断し、嫌悪に目を細めた。
「そうね。でも、もちろんそれをばか正直に年に何度もしていたら村から若い娘がいなくなって、家も途絶しかねない。かといって、本心はともかく名誉だ名誉だと口々にたたえてうらやましがる村の者たちに、表立って逆らったりしたら村八分にされる。神のご加護も失って、富を失い没落するかもしれない。
それで彼らは妙案を思いついたわけ。旅行者や、何も知らない者を誘い込んで言葉巧みに丸め込み、その家の者として身代わりの神嫁をたてるという」
隼人はあっけにとられた。
「……そんなごまかしが通るのか?」
「通ったんでしょうね、神罰が当たった家はないそうだから。おそらくここの神様はこだわりもないし、えり好みしないのね。
そしてこの村の出身者は例外なく富を得て繁栄しているから、神力があるのも間違いないわ」
一部の者は、村から出て、他の地で候補者を見繕うようになった。村の実家に赤羽根の矢が立ったとき、家人の代理にできる女性を見つけておく。できれば家族がいない、あるいは勘当されている若い女性がいい。いなくなっても真剣に捜索されないような、社会から隔絶した女性。
何も知らない女性をだまして死地へ追いやるその行為に罪悪感はあるだろうが、母や姉や妹を失うよりずっとマシだと自分自身に言い聞かせているのだろう。
赤信号理論だ。自分だけではないという安堵。これについて話せる人がいて、わかり合える仲間がいる。全員が共犯者という犯罪意識は罪に対する罪悪感を薄れさせると同時に見えない鎖となって無意識下で互いに互いを縛りつけ、村人全員を結託させる。
だが、いくら言葉で言い繕い、ごまかしても、彼らのしていることは犯罪で、決して赦されることではない。
中でも最悪なのは、娘たちを殺しているのは神であり、自分たちではない、というご都合的な他責思考だ。彼らには、自分たちが
でなければこんなこと、やれるはずがないのだ。
その根底にあるのは、はたして信仰心――神罰への恐怖からか、それとも富に対する強欲からか。
失望が胸を焼く。
いつものことだ。これが最初ではないし、最後でもないだろう。
隼人は奥歯をかみしめ、空の牛乳パックをくしゃりと握りつぶすと頭をかきながらアレスタを見上げ、問うた。
「状況は分かった。それで、具体的にどういう作戦なんだ? 俺が洞窟行って、そいつを滅すりゃいいのか?」
「それだと簡単だったんだけどね、そういうわけにもいかないようでさ」
綾乃が口を挟んだ。
ずっと話しとおしだったアレスタをねぎらうように缶のお茶を渡し、説明を交代する。
「ここからは機関の調査員の報告書ね。
神輿を下ろした翌日、食べ物を下ろしに行った人の証言だと、穴の中から神嫁はいなくなってるんだって。
穴は
とにかく、懐中電灯で照らした穴の中には詞為主を祀る
「これまで下ろされてきた女たちの死体や骨もないっていうのか?」
「それは報告書になかったけど、何もないって言ってたっていうから、たぶんなかったんじゃない?」
「それに祠? 術士たちは悪鬼の落ちた穴を岩で封じたって話なのに、なんで中に祠が建ってるんだ?」
「そんなの訊かれても分からないよ。そもそもあの時代、村人の識字率なんてゼロに等しいんだから、全部口伝でしょ。伝言ゲームじゃん。伝言ゲームは途中で枝葉がついたり、細部が
岩をどけたあと、神主たちが祠を作って下ろしたのかもね」
現実として中に祠はある。それが全てで、そうなった過程には綾乃は興味がないようだった。素っ気なく肩をすくめる。
隼人は考え込むようなそぶりで黙り込み、無意識に手を動かして新しい牛乳パック――表にはサツマイモが描かれている――にストローを刺し、口元へ持っていく。そして一口飲み、言った。
「神域に引き込んでいるのかもしれないな」
神域とは、通常神社の境内や神が宿るとされる場所を差す。いわゆる、鳥居や
「
「たぶんね。
詞為主自身、穴に囚われているとも思えないし。だって赤羽根の矢を打ち込んでいるのが本人なら、穴から自由に出られてるってことでしょ」
岩をどけた時点で術士がかけた詞為主の封印は解けていると考えるべきだろう。
数百年封じられていた穴に、それからも居続けたいと考えるとも思えない。
「確実に接触できるのは、祭祀のときしかないってわけか」
「そういうこと。
だからあたしがその神嫁の代理に選ばれるようにみんなで話を持っていく。ハヤトはその後、未来と一緒に穴に来てくれればいいよ」
綾乃は軽く、何でもないことのように言ったが、危険な行為だった。
隼人たちが穴にたどり着くのが少しでも遅れれば、綾乃は神域に引き込まれ、戻ってくることができなくなる。だれにも手出しできない空間で、神になぶり殺されるしかなくなるのだ。
「…………」
隼人はむくりと立ち上がり、ふすまを開けてとなりの部屋へ入った。
「どうしたの?」
「寝る」
「夕飯は?」
「いらねえ」
素っ気ない口調に、隼人が不満を抱いているのを察した綾乃は、もたれていた柱から離れて隼人へ近づいた。
「なんか、車にいたときからずっと不機嫌っぽいけど、計画には協力してくれるんだよね?」
両手を組み、言質を取ろうとする。
そんな綾乃を隼人は肩越しに見て、無愛想な視線と声で告げた。
「俺の意思なんか、最初から関係ないんだろ。従ってやるさ。だが、おまえたちに協力するのはこれっきりだ!」
しん、と静まった中、後ろ手にふすまが閉じられる。
綾乃は彼の言いように呆然となったあと、猛烈に腹を立てて、すぱーんとふすまを開いた。
「ちょっと! 何それ! どういうこと!」
「うるせーな。入ってくんなよ、そっちがおまえらの部屋だろ」
「関係ないでしょ!
それより、どういうことよ? 関係ないとかこれっきりとか!」
ぐいぐい詰め寄ってくる綾乃に押され気味になりながら、隼人はもう一度「うるさい」と言い、肩を押しやった。
「黙っていることを条件に協力に応じてたんだ。それを破ったのはそっちだろ」
一瞬、綾乃は隼人が何を言っているか分からなかった。
そして、『黙っている対象』が自分の考えていたような機関の者じゃなかった――あるいは、
それは確かにこちらの手落ちだったかもしれない。
「でもそれって、はっきり対象を指定しなかった、あんたにも責はあるんじゃない?」
「……あの人には、俺のしてることを知られたくなかった。……心配をかけるだけだって、分かってたから」
歯を食いしばる横顔。ぐっと手に力を込めるのを見て、綾乃はふうと息を吐いた。いら立ちは消えていた。
「そりゃお気の毒。だけど、それは無理だよ。
あのね、どうあがいたってあたしたちは未成年なんだ。そしてこれは、未成年者に命を賭けさせる仕事なんだから、保護者の許諾は絶対必要なんだよ。TUKUYOMIはまともな国際機関なんだから。
だから能力の裁定だって厳しくやってるし、
あんたの場合第1の保護者は父親なんだろうけど、たぶん、アレスタはあんたの身辺調査をして――これも怒らないでよ? 一緒に仕事をしていく上で、して当然のことなんだから――お兄さんがあんたの保護者に一番ふさわしいと思って連絡取ったんじゃないかな。
説得して、あんたのしてることを認めさせてくれた。そしてお兄さんもアレスタを信じて、今回あんたのマンションの合い鍵も貸してくれたんじゃない?
まあ、あたしはその場にいたわけじゃないから全部想像だけど。でも、間違ってないと思う」
おそらく連絡を取ったのは、ファミレスでの一件のすぐあとだろう。許諾を得られなかったら、あの事件も隼人と一緒に動くことはなかったはずだ。……おそらく。
(アレスタは
それでも、命に関わる重要なことではしないはずだ。
「……だけど……」
「そんなに気になるんなら、帰ってから話し合ってみればいいよ。あいにくここは圏外だからスマホは使えないし。それに、電話で話すことでもないでしょ?」
そして、ふふっと笑った。
「にしても、あんた、お兄さんいたんだねー」
「……なんだよ?」
プライベートを知られたことを警戒する隼人を気にしている様子もなく、綾乃は笑顔で続ける。
「てっきり一人っ子だとばかり思ってた。
あのね、あたしにもきょうだいがいるんだよ。妹と弟で、なんとその数5人!」
「……多いな」
綾乃にとってそれは自慢らしい。ピースして、ふっふーと笑う。
「双子が多い家系なんだー。妹4人は2組の双子だし。かくいうあたしもほんとは双子で生まれるはずだったんだ。生まれる前に、母のおなかの中で消えちゃったけど。でも、あたしには兄がいたんだって思うと、いつも不思議と胸があったかくなる。
だからさ、あんたがお兄さんを特別に思う気持ちは少し分かる気がするし、あんたにもそういう相手がいるの、うれしいなって思うんだ」
綾乃の率直でまっすぐな言葉に、隼人は返す言葉を見つけられず、少しほおを赤くして、視線を避けるようにうつむいた。
このとき初めて、隼人は綾乃のことを警戒すべき『機関の女』でなく、綾乃個人として意識したのかもしれない。
隣室では、端末に視線を落として聞こえないふりをしていたアレスタがふっと笑い、
「青春ねえ」
とつぶやき。
未来は無言で、じっとひざの上で握り締めた両手を見つめていた……。