時は流れ、気づけば姫乃が支社へ異動する日がやってきた。
「ありがとう。みんな……! 私、凄く幸せだったよ」
そんなことを言いながら、姫乃は渡された花束を抱えて嬉しそうに笑っていた。
「姫乃部長、支社でも頑張ってください。姫乃部長は、私達の憧れでした……っ。いえ、これからも、ずっと!」
「……ありがとう」
涙ぐむ女性社員の肩を優しく抱く姫乃を囲む社員達は、皆拍手を送る。
それを少しだけ遠巻きで見ていた優菜だったが、意を決して姫乃の前に立つ。
「姫乃……」
「……優菜」
二人の間には、何かあったとしか思えない空気があった。
だが、二人はその空気の中、お互いの瞳を見て頷いた。
まるで、戦友を相手にしているかのように。
実際は、敵同士だったのに、いつの間にか戦友になっていた。
こんな不思議なことがあるんだと、優菜は思う。
姫乃は、そもそもにおいて戦友などとは思っていないが、でも、近い感情を優菜には持っていた。
そして、姫乃は優菜に手を差し出す。
「優菜、最後に握手くらい、しましょう。それとも、私じゃ嫌?」
「……握手なんかじゃ足りないよ」
「……優菜っ!」
優菜は姫乃に抱き着いた。
「もう、行っちゃうんだね。友達になれなかったけれど、でも、あなたとはたくさんのことがあった」
優菜がそう言うと、姫乃は優菜を抱きしめ返す。
「そう。たくさんのことが、あなたとはありすぎたの。だから、離れるのよ。だけどね、あなたにはお願いがあるの。聞いてくれる?」
「どんなお願い?」
「私の……じゃなかったね。令との幸せをあなたはしっかりと噛み締めて。そして、それを当たり前と思わないで。毎日を大切に過ごしてね」
「……うん」
「どうか、元気でいてね。令だけじゃない、あなたもよ。そうじゃないと、令が辛くなっちゃうから。言っておくけど、あなたのためじゃないの。令のためだから」
「わかってる」
「ああ見えて、令はおっちょこちょいだから、気をつけてあげてね」
「うん」
「それから……、あなたも幸せになっていいのよ。優菜」
「……ありがとう!」
姫乃は言いづらそうに「これまでごめんなさい。幸せになってね。優菜」と再度言った。
そして姫乃は他の人からは見えないように、優菜の手に何かを握らせた。
「ここから離れて、皆がいなくなったらその手を開けて見てみて。気に入るかはわからないけれど」
「……? うん」
そして姫乃は他の人達と話し始めた。
優菜はその場を離れ、令の待つ部屋に戻った。
「令、本当に姫乃にお別れ言わなくてもよかったの?」
「あいつとはトークアプリで繋がっている」
「……アカウント、消えてるけど?」
「……そうか。それは知らなかった。だが、それならそれでいいんじゃないか。あいつも俺のところに挨拶に来なかったんだ。きっと、合わせる顔がないとか、何か考えがあってのことだ。それにいつかは会えるだろう」
「そうだといいな……」
そう言って、優菜は自身の手の中にあるものを見てみた。
手の中には、有名なジュエリーショップのペンダントがあった。
「こ、これ……っ。ど、どうしよう」
「ああ、これはあのブランドのものか。いいものだな」
「そうじゃなくて! こんな高いもの、貰えないよ。姫乃に返さなくちゃ!」
「返すのはやめておけ。あいつの好意をなかったことにすることになる」
「……でもお礼も何も、出来ないのに」
「何か、約束でもしたんじゃないのか? だったら、それを守ればいい。あいつは何か自分の利点になるものがないと、そういう贈り物はしない」
「……幸せになってねって、言われた」
「! ……そうか。なら、幸せになるしかないな」
「うん。このペンダント、毎日着けることにするよ。そうすれば、なんか強い姫乃みたいになれた気になると思うんだ」
「……ほどほどにな」
「うん! あ、でも、そっか」
「?」
「私、もう命が狙われないから……、ずーっと令と一緒にいられるね!」
優菜は泣きそうになりながら微笑んだ。
生まれてからずっと姫乃に縛られていた人生が、やっと解放された。
それも、最高とも言える形で。
敵だった彼女からも祝福され、幸せを願われ、そして優菜は令と一緒になれる。
そう思った瞬間、優菜の瞳からは涙が溢れ出してきた。
「どうしたんだろう。なんでだろう。嬉しいのに。涙、止まんない……っ」
「いろいろなことがあったからな。きっと感情の波が押し寄せてきたのだろう。人目はないんだ。気にせず、泣いていい」
「うん、うん……っ」
優菜はペンダントを握ったまま、涙を流し続けた。
長い悪夢からの解放は、あまりにも眩しくて、目に痛いくらいだった。
でも、その世界を誰よりも望んでいたのは優菜自身。
これからの幸せは、前の世界の物語にはない、新しい幸せ。
それを創り上げていくのは、生きている優菜達だ。
「あ、どうしよう。ペンダントのお礼、ちゃんと言わないと……!」
「いつかで、いいんじゃないか。お互いに幸せになって、また偶然会えたその時がそのタイミングだろう」
「……そっか。そうだね」
いつか、また姫乃に会えたら、その時は友達のように話せたらいいな。