目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

 第九十九話 彼女はいなくなった

 時は流れ、気づけば姫乃が支社へ異動する日がやってきた。

「ありがとう。みんな……! 私、凄く幸せだったよ」

 そんなことを言いながら、姫乃は渡された花束を抱えて嬉しそうに笑っていた。

「姫乃部長、支社でも頑張ってください。姫乃部長は、私達の憧れでした……っ。いえ、これからも、ずっと!」

「……ありがとう」

 涙ぐむ女性社員の肩を優しく抱く姫乃を囲む社員達は、皆拍手を送る。

 それを少しだけ遠巻きで見ていた優菜だったが、意を決して姫乃の前に立つ。

「姫乃……」

「……優菜」

 二人の間には、何かあったとしか思えない空気があった。

 だが、二人はその空気の中、お互いの瞳を見て頷いた。

 まるで、戦友を相手にしているかのように。

 実際は、敵同士だったのに、いつの間にか戦友になっていた。

 こんな不思議なことがあるんだと、優菜は思う。

 姫乃は、そもそもにおいて戦友などとは思っていないが、でも、近い感情を優菜には持っていた。

 そして、姫乃は優菜に手を差し出す。

「優菜、最後に握手くらい、しましょう。それとも、私じゃ嫌?」

「……握手なんかじゃ足りないよ」

「……優菜っ!」

 優菜は姫乃に抱き着いた。

「もう、行っちゃうんだね。友達になれなかったけれど、でも、あなたとはたくさんのことがあった」

 優菜がそう言うと、姫乃は優菜を抱きしめ返す。

「そう。たくさんのことが、あなたとはありすぎたの。だから、離れるのよ。だけどね、あなたにはお願いがあるの。聞いてくれる?」

「どんなお願い?」

「私の……じゃなかったね。令との幸せをあなたはしっかりと噛み締めて。そして、それを当たり前と思わないで。毎日を大切に過ごしてね」

「……うん」

「どうか、元気でいてね。令だけじゃない、あなたもよ。そうじゃないと、令が辛くなっちゃうから。言っておくけど、あなたのためじゃないの。令のためだから」

「わかってる」

「ああ見えて、令はおっちょこちょいだから、気をつけてあげてね」

「うん」

「それから……、あなたも幸せになっていいのよ。優菜」

「……ありがとう!」

 姫乃は言いづらそうに「これまでごめんなさい。幸せになってね。優菜」と再度言った。

 そして姫乃は他の人からは見えないように、優菜の手に何かを握らせた。

「ここから離れて、皆がいなくなったらその手を開けて見てみて。気に入るかはわからないけれど」

「……? うん」

 そして姫乃は他の人達と話し始めた。

 優菜はその場を離れ、令の待つ部屋に戻った。

「令、本当に姫乃にお別れ言わなくてもよかったの?」

「あいつとはトークアプリで繋がっている」

「……アカウント、消えてるけど?」

「……そうか。それは知らなかった。だが、それならそれでいいんじゃないか。あいつも俺のところに挨拶に来なかったんだ。きっと、合わせる顔がないとか、何か考えがあってのことだ。それにいつかは会えるだろう」

「そうだといいな……」

 そう言って、優菜は自身の手の中にあるものを見てみた。

 手の中には、有名なジュエリーショップのペンダントがあった。

「こ、これ……っ。ど、どうしよう」

「ああ、これはあのブランドのものか。いいものだな」

「そうじゃなくて! こんな高いもの、貰えないよ。姫乃に返さなくちゃ!」

「返すのはやめておけ。あいつの好意をなかったことにすることになる」

「……でもお礼も何も、出来ないのに」

「何か、約束でもしたんじゃないのか? だったら、それを守ればいい。あいつは何か自分の利点になるものがないと、そういう贈り物はしない」

「……幸せになってねって、言われた」

「! ……そうか。なら、幸せになるしかないな」

「うん。このペンダント、毎日着けることにするよ。そうすれば、なんか強い姫乃みたいになれた気になると思うんだ」

「……ほどほどにな」

「うん! あ、でも、そっか」

「?」

「私、もう命が狙われないから……、ずーっと令と一緒にいられるね!」

 優菜は泣きそうになりながら微笑んだ。

 生まれてからずっと姫乃に縛られていた人生が、やっと解放された。

 それも、最高とも言える形で。

 敵だった彼女からも祝福され、幸せを願われ、そして優菜は令と一緒になれる。

 そう思った瞬間、優菜の瞳からは涙が溢れ出してきた。

「どうしたんだろう。なんでだろう。嬉しいのに。涙、止まんない……っ」

「いろいろなことがあったからな。きっと感情の波が押し寄せてきたのだろう。人目はないんだ。気にせず、泣いていい」

「うん、うん……っ」

 優菜はペンダントを握ったまま、涙を流し続けた。

 長い悪夢からの解放は、あまりにも眩しくて、目に痛いくらいだった。

 でも、その世界を誰よりも望んでいたのは優菜自身。

 これからの幸せは、前の世界の物語にはない、新しい幸せ。

 それを創り上げていくのは、生きている優菜達だ。

「あ、どうしよう。ペンダントのお礼、ちゃんと言わないと……!」

「いつかで、いいんじゃないか。お互いに幸せになって、また偶然会えたその時がそのタイミングだろう」

「……そっか。そうだね」

 いつか、また姫乃に会えたら、その時は友達のように話せたらいいな。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?