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第127話 契約の後に

 七月が来た。

 日々暑さが増していて、真夏日が続き今にも溶けてしまいそうだ。

 七月、ということは今月で私と湊の契約が終わるということだ。

 結局どうなるのか何も話し合わずに七月が来てしまった。

 どうするんだろう。私たち。

 ストーカーに追いかけられたり、引っ越したり、ストーカーに危険な目にあわされたり、それでまた引っ越して。湊の複雑な家庭環境について知り、綾斗に会ってお母さんにも顔を合わせて。

 この一年濃すぎる。色々あり過ぎて本当に一年の出来事かと疑いたくなってくる。

 私、ここにいていいのかな。いいん、だよね。だって私と湊、ときどき寝てるし……

 そこまでしていて追い出されるはない、よね?

 なんだか落ち着かない気持ちで迎えた七月一日の夜。

 シャワーを浴びてリビングのソファーに腰かけて水を飲みつつ動画を見ていると、湊が現れた。


「ちょっといい?」


「うん、何?」


 湊は私の隣に腰かけると、テーブルの上に一枚の紙を置く。

 それは、一年前に交わした契約書だった。

 もはや懐かしさを感じるその一枚の紙には、今月の末で契約が満了する旨が書いてある。


「これ、気になっていたんだけど、今月で終わるんだよね、契約」


 紙を見つめながら私は言った。

 契約書っといっても大して何かを決めたわけじゃないんだよね。

 一年、恋人でいること。一年後、契約を終了とする、ってことくらいしか書いていなくて詳しい取り決めはしなかった。

 お互いにわざとそれを避けたのかもしれない。

 どうなってもいいように。


「ねえ、この後どうしたい?」


 その問いかけてきた湊は、相変わらず私の様子を伺う様な目で私を見つめた。

 そんな目をしなくても、答えなんてわかっているでしょうに。

 ここに引っ越して、ノアを引き取って。その覚悟がないわけない。

 私は彼の方を向いて、その手を握り微笑み答える。


「私、まだここにいたいんだけどいい?」


 すると彼はほっとした様な顔になり、何度も頷き答えた。


「うん、もちろん。よかった……出ていくって言われたらどうしようか悩んでたから」


「そうなの?」


「そうだよ。だって、もう出て行きますって言われる可能性はあると思っていたから」


「さすがに、ノアがいるしそれに……いろいろあったし今さら出ていくって選択肢はないって」


 これはきっと、彼の対人への自信のなさなんだろうな。


「私だってずーっと家族が欲しくて、湊のお陰で家で誰かが待っていて、お帰りって言ってもらえたり、ご飯を毎日一緒に食べることができてすっごい幸せなんだから」


 そして私は握った手に力を込める。

 すると湊はじっと私を見つめた後優しく笑みを浮かべて言った。


「そっか、幸せ……」


「そうだよ。私は今幸せだしすっごく楽しいんだから。ノアもいるしね」


 そこに、ノアが羨ましかったのか無理やり私と湊の間に身体をねじ込み、にゃー、とひと声鳴く。 

 私はそんなノアの頭を撫でて、


「ねー、ノアもいるし私はここにいるよ」


 するとノアは気持ちよさげに目を細めた。


「あぁ、うん、そうだよね。わかってはいたんだけどでも、不安だったから」


 相変わらず自信ないんだな。私は彼の肩に触れて笑顔で伝える。


「大丈夫だって。今年はもう何にも起きてほしくないし穏やかに過ごしたいし、このままここにいるって」


「そうか……うん、そうだよね」


 湊は自分に言い聞かせるように呟き、頷いてから私を見た。 


「そうだって。私も不安だったんだよ。出て行くように言われたらどうしようかって」


 笑いながら言うと、彼は目を見開き驚いた顔で必死に首を横に振る。


「そんなことしないよ。だって一緒にいるつもりじゃなかったらベッド、買い替えないし」


「そうだよね。だからもう、ずっと一緒にいるものだと思ってた」


 だから私にここを出ていく、という選択肢はない。

 すると、湊は首を傾げた後、ふっと笑い言った。


「ずっと一緒って、プロポーズみたいだね」


 あ……

 言われて私は、自分の言葉を思い返し一気に顔が熱くなるのを感じた。

 確かにそうだ。私、何気なく言ったけど何言っちゃってるのよ。

 私は慌てて、


「えーとそういう意味じゃなくってあの、私はそういう意味で言ったんじゃなくって、まだここにいていいわけだしすくなくともすぐ出て行かないってことを言いたかっただけで」


 と、訳の分からないことを言い出す。

 あー……支離滅裂じゃないの。混乱しすぎて自分でも何を言っているのかよくわからなくなってる。


「あはは、じゃあこれはもういらないよね」


 そう湊が言い、契約書を半分に破り、また半分に破った。

 あぁ、これって契約破棄ってことかな。


「ねえ、本当の恋人になってくれる?」


 その言葉を言う彼の目から、不安の色がだいぶ薄くなっているような気がした。

 そんなの、答えはひとつに決まっている。

 私は強く頷き、


「うん。当たり前でしょ」


 と答えた。

 恋人ごっこの時間は終わり、本当の恋人になる。

 まあ何かが変わるわけじゃないと思うけど。何か変わるかな。変わるとしたら、うーん、気持ち、かな。

 契約が縛っていた関係じゃなくなるからそこも変わるか。

 あ、なんだかすっきりしたかも。

 最初からこんな契約だなんてこと、する必要はなかったのかもしれないけど、あの時の湊はそうするしか方法、無かったんだろうな。

 まあ私も、あの状況で付き合って、と言われても断っていたと思うし。

 そんなことを考えていると、顔が近づいてきてそして、


「灯里、これからもよろしくね」


 と言われて口づけを交わした。

 すぐに唇が離れて私も頷き、答える。


「うん、これからもよろしく」


「にゃー」


 私もいるよ、とでも言わんばかりにノアが鳴き声を上げる。


「そうだね、ノアもよろしくね」


 頭を撫でるとノアは満足げな顔で私と湊の顔を交互に見つめた。


          終

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