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8話 君の想いに触れたのは(2)

「夫人、アントニー様はいらっしゃいますか?」


 クナルも溜息をついて女性に問いかける。そうか、夫人だよな。なんて、今更思った。

 声を掛けられた夫人はクナルに一瞬剣呑とした目を向けたが、パッと切り替えて困った顔をしてみせる。それに、俺は何だか引っかかる感じがした。


「それが、主人も忙しいらしくて数日遅れるそうですの」

「え?」

「申し訳ありませんわ。その間は私と息子がお相手致しますので」


 そう言って夫人が前に押し出した青年が笑って挨拶をする。

 けれど俺の目には何処か疲れ果て、諦めきった様子に見えた。


「聖人様、初めまして。領主代行を行っておりますアントニーの次子、シルヴォと申します。滞在中、皆様方のお世話等をさせて頂きます」

「マサです。護衛騎士のクナルと、霊獣のキュイです」


 俺も二人を紹介するとクナルは会釈をし、キュイは知らんぷり。

 けれどそんな素っ気ない態度にも、シルヴォは気にした様子はなかった。


「本日はささやかですが、聖人様の歓迎の宴を行いたく思いますの」

「う……」


 歓迎の宴って事は、パーティーだよな……。

 紫釉の所では回避できたけれど、今度こそ無理だろう。いい加減腹を括って恥をかくべきなのだろうか。

 そんな事を思っていると、意外な所でクナルが手を上げた。


「すまないが、前の所から移ってきたばかりでマサは疲れている。今日の所は休ませたいのだが」


 有り難い助け船にこちらは目を輝かせるが、夫人は酷く苛立った目をクナルに向ける。それがやはり嫌な感じがして、俺は戸惑うばかりだ。


「それは護衛騎士殿の意見ですわよね? 聖人様はどうかしら」

「え? あの」

「この領に聖人様がいらっしゃると聞いて、貴族の方々は皆楽しみにしていましたの。お会い出来ないとなると皆悲しみますわ」

「あの……」


 いや、これどうなの!

 実際は疲れてはいない。それは紫釉の所で十分な休息が取れた事と気を楽にして過ごせたから。パーティーに出たくないのは俺があまり社交が得意じゃないからで。

 でもこの言いよう、絶対に譲ってくれないよな。


「あの、分かりました。少しの時間であれば」

「まぁ、本当に! 嬉しいですわ!」


 ギュッと手を握る夫人の圧が凄い。目をキラキラさせて、なんなら服から胸元見えそうでちょっと困る。これ、どうしたらいいんだろう!


「母上、急ぎ準備などをしなければいけないのでは?」


 困惑する俺を見てか、シルヴォが一言告げる。すると夫人もパッと手を離した。


「そうですわね! それでは私はこれで。後の事はシルヴォが行いますので」


 そう言って、一人出ていった。


 場は険悪な空気が漂う。主にクナルの機嫌が悪く、俺は困惑。キュイも落ち着かない様子だ。

 そんな中シルヴォだけは溜息をつき、対面のソファーに腰を下ろした。


「悪いね、あんな母で。僕も困っているんだけれど、逆らうと色々とあってさ」


 そう愚痴をこぼすような様子で苦笑した彼は更に溜息をつく。

 この様子でクナルも多少態度を軟化させ、場の空気は少しだけ軽くなった。


「色々と失礼だな」

「分かってるよ、クナル殿。だが何を言っても聞きはしない。まるで女王様さ。この町だって僕が父上から預かっているのに、まるで自分のもののように振る舞う。おかげで領地運営の資金が大変だ」

「そんなにか」


 眉をひそめるクナルに、シルヴォは頷く。顔を隠すような髪をクシャリと乱暴にかき上げた彼の様子は、やはり何処か諦めている。


「陛下や、アントニー様へ相談はしたのか?」

「その前に潰されているよ。信じられないだろ? 領主代行の印を押した封書を母が検閲するんだ。何の為の領主印か分かりゃしない」

「酷いな」

「お前を生んだのはこの母なのですから、全ては母に任せておけばいいのです。だって。もうそんな年齢じゃないってのに」


 これは……所謂毒親という奴では?

 子供の行動を制限したり、子供の持つ権利を侵害している感じがある。手が悪いのが「全ては貴方の為なのよ」という言い方だ。


「まぁ、だからこそ今回はいい機会だと思ってるんだけれどね」

「え?」

「王都での仕事が忙しくて生活の拠点をそっちに移してから、父はあまりこちらに戻ってこなくなった。それもあって母は好き勝手しているのもあるんだ。今回父がこちらに戻ってきた時に、現状に気づいてもらえたらと思っていてね」

「知らせるではないのか?」

「僕から動くと母に邪魔されかねない。あの人は自分の思うとおりにしたい人なのさ。だからこそ、マサ殿もクナル殿も気をつけた方がいい。色々とね」


 暗く淀んだシルヴォの視線に、俺とクナルは顔を見合わせるのだった。



 その夜、急ごしらえというには華々しいパーティーが開かれた。

 屋敷のパーティー会場には着飾った紳士淑女でいっぱいで、俺はどうしたって引け目があって出て行くのが億劫になる。

 だって、どんな顔するんだよ。「こちらが聖人様です!」って紹介されて俺みたいな普通のが出ていって。明らかに皆困惑するだろ。その空気が苦手なんだよ!


「大丈夫か、マサ。顔真っ青だぞ」

「緊張で吐きそう」

「あぁ、分かる。僕もそうなる」


 少し後ろで着飾ったクナル。俺の隣にはシルヴォが同じく正装でいる。俺は以前の食事会で着た服を着ているけれど、相変わらず着慣れない。


 そんな中、真っ先に会場入りした夫人が皆の前に出て声を上げた。


「皆様、今宵はお集まり頂きありがとうございます。本日は特別なお客様を招きましたの。今後一層、この領地を繁栄に導いて下さることでしょう」


 え? それってどういう意味だ? 俺はリヴァイアサン討伐しか聞いていない。今後の事なんて言われたって困るんだけど。

 クナルは険しい顔をし、シルヴォは重く溜息をつく。賑わうのは夫人と、招かれた客人だけだ。


「後で俺から報告する」


 クナルの難しい顔の意味を、俺はこの時察せられなかった。


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