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三十二 狐の助言

幸一こういち珊瑚さんごは奥さんの別館から出る時、もうすっかり夜になった。

珊瑚はいくつかの狐火を灯して道路を照らす。

幸一は不思議そうに周りの風景を観察する。

「妖界と言っても、景色は人間界とあまり変わらないな」

「もともと一つの境界だから」

珊瑚は一玉の狐火を持ってきて、指先で真ん中から火炎に二つに分けた。

分けられた二つの狐火は同じ形になり、その真ん中に深紅な火の玉ができている。二つの狐火とも中心の玉に繋がっている。

「お互いに干渉しないように、こうして、半分半分に分断されたんだ。でも実際に、二つの境界にも同じようなものが存在する。例えば、形がちょっと違っていても、人間界の『世界の縫い目』と妖界の『朽ち果てる深淵』は対になるものだ」

「一つの境界を二つの同じようなものに分かれるのか……一体どやってできたのか」

幸一は興味津々に連体の狐火を見つめる。

「それがしもよく分からない。文献も伝説も詳しい情報が残していない。分かったのは、天地を変えるほどの盛大な術に違いないんだ」

「だよな。聞いた話だと、昔の人間も妖怪も今よりはるか強い。伝説中の清明神君や師匠の九天玄女のような仙道は、もう二度と出ないと言われている」

「それは事実だ。妖界も同じ状況。最盛期の父の力を超えられる妖怪が今だ現れていない」

「珊瑚のお父さんか、きっとすごい大妖怪だろ!会ってみたいな!」

幸一は笑って言ったら、珊瑚の表情がぽかんと固まった。

「……さっき、会ったばっかりだろ?父と母と……」

「会ったばっかり……?なるほど!大将軍と奥様が珊瑚の両親なのか!」

幸一は今知ったばかりのように手を叩いた。

「……知らなかった?」

「ううん、聞いていないよ」

「……」

(そうか、それがしの身分も知らない幸一に、あの修良がそれがしの出身を教えるわけがないか……)

(でも、幸一はそれがしの家であんなにいたのに、何も聞かなかったのか?)

初めて訪れた境界で、知らない妖怪の家で待機しているのに、何も聞かずでいるのはあまりにも不思議だと珊瑚は思った。

「だから、珊瑚と奥様があんなに似ているのか。珊瑚の軍の要職を務めるお父さんは、大将軍なのか!」

「父のことはともかく、母を見た時点で、それがしと彼女の関係に気付くと思うが……それがしに聞きたくなかったのか?」

「薄々気づいたけど、珊瑚は何も言ってないし、勝手な推測や質問が失礼かなっと」

幸一の一点の曇りもない目を見て、珊瑚は仕方なくため息をついた。

「……幸一は本当にそれがしに興味がないな」

「ごめん……でも、珊瑚だけじゃないよ。俺はよく言われる。他人に興味がないって」

幸一は苦笑して頸の後ろを掻いた。

「でも、修良さんに興味があるだろ?彼のいろいろに詳しいだろう」

半分冗談で半分情報収集のつもりで、珊瑚は笑顔で聞き返した。

意外に、幸一は困った顔をした。

「実は、最近初めて気付いたんだ。修良先輩のことは、何も分からなかった……」

「?」


「なるほど、そんなことがあったのか」

幸一は戸籍文書の件を珊瑚に説明した。

「結局、俺は先輩の好きなものの一つも分からないんだ」

「自分自身を送ればいいんじゃ」

「……俺自身?!どういう意味?」

あっさりと出された珊瑚の助言に、幸一は驚いた。

「修良さんは幸一を仙道に導いて、ずっと幸一の世話をしてたんだろ?幸一が好きじゃなかったらそんなことはできないよ」

「そ、それは一理があるけど、俺自身は『もの』じゃないし……送ってもしょうがないじゃない。そ先輩は確かに俺を実験体にすると言ったけど、それは本心かどうか……」

考えれば考えるほど微妙な気分になり、幸一は少し取り乱した。

「とにかく試してみて。修良さんの心を動かせば、それは一番いい結果だ。万が一、動かせなかったら……」

珊瑚は狐らしく目を細めた。

「修良さんは幸一が好きじゃないことの証明になる。長年で育てた子に好きな感情がないなんて、それがしは想像できない。もしかしたら、幸一を育てたのはほかの目的があるかもしれない。そんな企みを持って自分の戸籍文書を握る人に対して、幸一も迷いなく恩情を切り捨て、戸籍文書を奪い返せるだろ」

幸一は最初から「心を動かせること」を「好きなものを上げること」に置き換えたので、珊瑚の話に違和感を感じなかった。

「でも……好きじゃなくても、先輩は高尚な人だ。先輩としての義務や責任で俺の面倒を見ていた可能性だってある。どんなことがあっても、俺は先輩への恩情を切り捨てない」

口から出なかったが、修良が自分のことが好きじゃないかもと思ったら、幸一は悲しさにも近い寂しさを感じた。

「幸一も後輩として義務を尽くしてきたんだろ?修良さんは殺人容疑を認めた時点から、すでに妖界の『敵』だ。そんな危険な人を信じて、彼のために弁解できる人はそうそういない。幸一はもう十分恩返しをしたと思う。もっと、自分のために考えよう」

「……」

なんとなくそうじゃないと思うけど、言葉に長けていない幸一は珊瑚の話を反論できなかった。


二人の話が止まったら、道路先方の森から鈴の音が響いた。

一陣の微風は微かな檀木の香りを送ってくる。

「この音と香り……古兀ここつ爺さんなのか?」

珊瑚は一玉の狐火を先方に送ったら、一つの人影が見えてきた。

「さすが若将軍、よくわしじゃと分かったのおぅ」

狐火に照らされたその人は杖で体を支える細い老人だ。

老人は黒と土色の服を身に纏い、頭に大きな葉っぱのような帽子を被っている。片目の周りの皮膚が黒く、黒い仮面を被ってるように見える。

「百年も会っていないとはいえ、小さい頃に大変お世話になった方を忘れるわけがないだろ」

「それは、光栄じゃ」

古兀という老人はニヤッと笑った。

「それがしになにか用があるのか?」

古兀は小さい歩幅を踏んで、幸一と珊瑚の前に来て、幸一に指さした。

「はい、ちょっとね。でもその前に、そちらの人間の子にちょっと用があるんじゃ」

「俺に?お爺さんは俺のことを知っていますか?」

幸一は少し腰を下げて、背の低い古兀の目線に合わせた。

「実は、曾孫は人間の女から、こういうものを買い取ったんじゃ……」

「……」

老人は袖から紙のようなものを出した一瞬、幸一は良くない予感がした。

「ここに書いてある玄幸一って、おぬしのことかね」

「!!」

案の定、その紙は幸一の戸籍文書と身売り契約書だ。

(なぜ妖界まできてもそんなものを見なければならないんだ!!)

幸一は思わずポキッと指の関節を鳴らした。

とはいえ、弱弱しい老人(妖怪?)に怒るのもしょうがないから、我慢して不自然な笑顔で説明をした。

「すみません、お爺さん、俺は玄幸一だけど、それの戸籍文書は偽物ですから、契約も無効なものになります。俺は曾孫さんの嫁にも婿にも下僕にも奴隷にも薬膳にも……何にもならないです」

「いや、別におぬしをどうするつもりもないわ」

古兀老人は怪訝そうな目線で幸一を見た。

「わしはただ、これを返しに来たんじゃ」

「!返してくれますか!?」

「もちろんじゃ。曾孫があの女に支払った黄金は、術で変化したものじゃから……悪いことをして、すまんのう」

古兀老人は申し訳なさそうに幸一に頭を下げた。

「い、いいえ!こちらこそ、母はご迷惑をかけました!」

この意外な展開に、幸一は妙な気分になった。

維元城で修良が捕快たちを説得する時に、「人間なら話が通じる、妖魔は執念を持つ」ような話を言ったけど、現実は逆になっている。

「おぬしはいい子じゃ。人間の命は短い、大切にしておくれ」

古兀は幸一の腕を軽く叩いてから、珊瑚に向けた。

「では、若将軍、ご膳を用意しておるので、今夜はぜひ、わしの家にいらっしてくださいませ」

珊瑚は軽く頷いたら、古兀は暗い森の中に戻った。

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