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14-2

【3】


「どうしたんですかね……鈴先輩」

「俺に分かるか」

 食事を終え、再び元の仮面で顔を隠した谷口。人間味がある事は粳部にも十分に理解できたが、その正体は未だ分からない。しかし、どこかで会ったような顔をしていることは確かだ。

 藍川が血相を変えたことが気になっている粳部。目の前の皿は既に空になっている。

「もしかして粳部か?」

「……あれ」

 その時、粳部の隣の席に座った誰かが話しかけてくる。彼女が視線を横に移すと、猛烈な既視感を覚える顔がそこにあった。谷口と違って今度は明確に、ハッキリと誰なのかを思い出せたのだ。

 粳部が笑顔になっていく。

「ほら!高校の時のクラスメイト、武道だよ」

「あ、ああ!思い出した!」

「懐かしいなあ!まさかこんな所で会えるとは」

 彼女にとってとても懐かしい人物だ。クラスに必ず何人か居るムードメーカー、武道早苗。こんな所で高校時代のクラスメイトである彼と数年ぶりの再会を果たすとは、彼女は夢にも思っていなかった。

 谷口の素顔を見られたことと言い、今日は何と運が良いと思う粳部。

「同級生と出会ったのは卒業以来だ!マジですげえ」

「さ、さっきまで高校の先輩居ましたよ。藍川さん」

「へーあの事件。俺はよく知らないけど意外と生き残り居たんだな」

その時、粳部が不審の眉を寄せる。

「……事件って、何でしたっけ?」

 先程から粳部は武道の言うことに対し脳内で疑問を浮かべている。高校生活の最後の時期については粳部の記憶は曖昧で、父親や周囲の人が話していた災害についての記憶はなかった。そもそも、最初に目覚めた時は病院のベッドの上だったのだから。

 彼女の言葉を疑問に思う武道だったが、次第に何かを察して。

「……ああ、ごめん。この話は止めよう」

「いや、私はただ事件って何か……」

「俺も全部は分からないんだ。たまたま校舎裏居て、凄い音がしたから逃げた」

 二千十六年、局所的な地震と有毒ガスの噴出という緊急事態が重なったことで発生した『災害』その当事者はとても少なく、全員が多額の補償金を受け取ったことで今更この事件を言及するような者は居ない。

 沈黙を破り谷口がその口を開く。

「そこまでにしとけ粳部」

 彼がこれ以上の言及を止める。俯きがちな悲しげな声で。先程まで明るかった武道も気まずい様子になり、洒落たカフェの雰囲気にそぐわないお通夜のような様に変わる。

 粳部は、彼が彼女の知らない何かを知っていることを確信した。

「えーっと……そちらの方は?」

「俺のことは気にするな」

 そう言うと谷口は席から立ち上がり、テラス席から店内へと向かっていく。彼は自分が居ると邪魔になるだろうと思ったのかトイレに入り、そこには彼女と武道だけが取り残された。

「は、廃校は残念だけど。そんな気にしてるわけじゃないっす」

「……そっか」

「同窓会の雰囲気じゃないですね、これは」

 昔のことが気になる粳部だったが、今は何とか話題を逸らしたい。よく分からないがこの状況は気まずいのだ。心を読める藍川の不在を呪う粳部だったが、そもそも彼がここに居たとしても権能を使うとは思えない。

 彼女が無理やり話を変える。

「今、大学生か何かなんすか?」

「いやー大学は色々あって無理だったな」

「平日の昼間からケーキ屋とは、随分と余裕で」

「お前が言えることかよ」

「あ、確かに」

 ケーキ屋については別に粳部が行きたいと言ったわけではない。谷口が行きたいと言うので藍川がそれに乗り、乗らないわけにもいかない彼女が金魚の糞みたいに付いて行ったわけである。

「今じゃ殆どチンピラだよ」

「まあ、チンピラみたいな顔はしてますね」

「ひでえ……」

「冗談っすよ冗談」

 事実、彼が不良グループと繋がりがあるという噂は昔からあった。彼の裏の顔がどうかを粳部は知らないが、表で荒事をする人間ではないということだけは彼女も分かっていた。浅い付き合い程度ならば問題のない人物だろう。

 その時、彼の表情が少し厳しくなる。

「一つ聞きたいんだけど、この男に見覚えは?」

 そう言って武道がポケットから写真を取り出す。写っているのは粳部には見覚えのない中年の男性、目の前の彼を十倍怖くしたような顔をしている。当然、通りすがったこともない。

「ないっすね。この男がどうかしたんすか?」

「いや、大したことじゃないんだ。煙草代払ってないくらい」

「へえ……なるほど」

「名前は南條鉄平、歳は五十」

 ますます知らない。だが、武道の目を見た粳部は彼から嘘の匂いを感じ取る。笑顔を浮かべる彼の眼は笑っておらず、パッと見では嘘と見抜けない程にその表情は完成された偽装だった。

 そもそも、煙草代を払ってないだけで色々な人に居場所を聞くというのは、それだけ切羽詰まっているからではないだろうかと粳部は思う

「何処かで見たら教えてくれ。ほら、俺のPHSの番号」

「ほいほい、気を付けておきます」

 そう言って彼女はメモ用紙を受け取る。その時、彼が遠くの何かを見て表情を切り替えた。道路から駆けて来たガタイの良い男がテラス席に駆け寄ってくると、武道の前で足を止める。

「先輩、目撃者が居ました」

「本当か?」

「ええ……三丁目の辺りで見たって」

「分かった。じゃあ粳部、またいつか会おうな」

 まるで獣のような目をした彼はポケットからお札を出すとテーブルに置く。そして、足早にテラス席から去っていく。注文した品を受け取ることもなく。




【4】


 夜道を歩くことは推奨される行為ではない。今日は珍しく任務がない為、粳部は自分の担当地域の見回り業務を行っている。概怪が徘徊していないかどうか、不審な人間が居ないかを歩き回って報告するのが仕事だ。『蓮向かい』の主な業務である。

「……谷口さん」

 街灯が点々と輝く道を小さな歩幅で進み続ける。三十分ほど前までは彼女の隣に谷口が並んでいたのだが、効率の為に二手に分かれていた。もう巡回程度であれば一人でもできるのだ。

 彼女が谷口との会話を思い出す。



『……冷えるな』

『司祭って何度でも平気じゃないですか』

 粳部の横を谷口が並んで歩く。今日は昼間がそこまで暑くなかった為に夜も暑くない。薄着の人からすれば肌寒い時間帯だが、司祭は概念防御がある為に何も感じないというのは有名な話だ。

『一般人からすれば冷えると言った』

『……暑さと寒さ、寂しいんですか?』

『……まあ、便利だが四季を感じられないのは寂しいな』

 いついかなる時でも概念防御が温度を調節してしまい、寒さも暑さも感じない。サウナに入っても何も感じず、水風呂に入っても何も感じない。人によっては最高に思うかもしれないが、夏の日差しの暑さを感じられないことは精神のバランスを少しずつ崩していく。

 現在は深夜、いつかの街灯の概怪と似たロケーション。藍川は不在だが。

『人間だった頃の名残だ。不便でもある』

『でも……そういうのって意外と大事ですよ』

『そうだな。だが、藍川は人だった名残がない』

『……えっ?』

 不意に、藍川についての話題に変わる。司祭はそれぞれの抱える弱点や概念防御によって、普通の人間とは違う感性へ変化していく。その過程で自分を見失って暴走する者や、廃人同然になる者も居る。

『あいつは生まれた時から司祭だ。一度も人間だったことがない』

『で、でも鈴先輩は普通の人ですよ?ちょっと変わってますけど』

『普通になれるよう訓練したからだ』

 だが、粳部にはとてもそういう風に見えない。そもそも藍川は謎や隠し事が多い為にその本心が見え隠れしているのだ。一体何の為に戦い、何の為に生きているのか。

 彼女が黙り込む。

『一度考えた方が良い、あいつがどういう奴なのかを』

『……そんなこと、いつも考えてます』

『……そうか』

 彼女はこの世界で、姉の次に藍川のことを考えている。そして、その問いに未だ明確な答えは出ていない。生きている内に得られる根拠もない。

『そうだ。何で谷口さんはこの仕事してるんです?』

『そんな話、時間の無駄だ』

『チームワークに時間を惜しんじゃダメっすよ』

 以前の任務でラジオの動機と過去を彼女は知った。藍川は依然として見えないが、仮面をようやく外し素顔を晒した谷口は二番目に正体不明だ。チームの仲間が何者なのかを知らないというのは重大な問題だ。

 谷口は黙り込む。

『まあ、言いたくないなら良いですけど』

 組織に入る目的は人それぞれだ。大義名分の為に入る者が居れば、自分の利益を求めて入る者も居る。何の目的もない者も中には居るだろう。彼が何を信じ、何を選んだのかを。

『そうさな……』

『お、言う気ですか』

 彼は空を見上げてこう言った。

『時間の無駄な、復讐だ』



「……復讐か」

 随分と物騒な単語が出てきたものだ、と粳部は思っていた。常に冷静沈着な彼とはかけ離れた物々しく激しい響き。駆け巡る感情の衝動。

 薄暗い道を彼女は進む。

「(自分のことを考えている点じゃ、私と同じか)」

 粳部は自分が何かを言える立場ではないことは分かっている。それに、お互いそれが最善であることも分かっている。基本的に、誰かの考え方を変えようとすることは対立を招くものだ。

「(鈴先輩は、何でこの仕事をしてるんだろう)」

 そんなことを考えていたその時、彼女の前をフラフラと歩く男の顔が街灯に照らされる。見たことのあるような、ないような。そんな奇妙な感覚に襲われる顔。誰なのかを彼女が考えているとある結論に辿り着く。

「……あっ、昼間の写真!」

 その男はケーキ屋で武道が話していた『南條鉄平』という人物だ。彼女の記憶術がそれを本人だと証明してくれている。武道に煙草代を支払っていないという人物。彼が探している男。

「えーっと……電話電話」

 彼の行先を見ながら道を見渡す。すると、数十メートル先に公衆電話があることを彼女が気が付く。粳部は小走りで電話ボックスに入るとポケットから財布を取り出し、小銭を入れて武道の番号を押した。

『はい、武道ですけど』

「粳部ですけど、今日話してた男見つけました!」


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