【13】
車が道端で止まる。濁った目をしたダニーは、包帯を巻いた肩と腕を気にしながら運転手の方を見た。車の弱い冷房の風が吹く中、ダニーは顔色を悪そうにして汗をかいていた。
「それで……住所は?」
「なあ……病院行った方がいいんじゃない?包帯自分で巻いただろ」
「いいんだ……時間が惜しい。それで?」
運転手の男は何か言おうとして躊躇し、少ししてから紙を手渡す。ダニーはその紙を受け取ると書かれている住所を確認してポケットにしまい込み、バッグからお札の束を取り出して手渡した。
「ほら、約束通り」
「……組から逃げようとしてる俺が言うのもなんだが、やめた方がいいぞ」
「……逃げるのを止めはしない。でも、俺は奴らを皆殺しにする」
「仇討ちか……」
もうダニーは止まらない。自分が満足するまで、誰かが彼を無理に止めるまで。彼を止められる人はもう死んでしまったのだから。
彼は後部座席から車を降りて目の前の路地裏を見つめる。
「ダニー……俺は着いていけない。関係ない人は殺せないよ」
「関係あるさ。関係なんて、解釈次第で広げられる」
それを聞いた男は黙り込み、運転席の窓を閉めるとその場を走り去っていく。そして、ダニーは一人切りになった。取り残された彼は強く握った拳を見つめると、もう居ない誰かの為に小さく呟いた。
「やってみるよ、じいちゃん」
今から十二年前。治安の崩壊した南米の町の路地裏、へたり込んで餓死を待つ少年をある老人が見下ろしていた。意識が朦朧とするダニーは何の反応も示さず、これから訪れる終わりを静かに待っていた。だが、その老人は少年を終わらせる気など毛頭なかった。
『君、名前は?』
『……ダニー……』
『そうかダニー、ここで会ったのも何かの縁だ。俺と世界を見に行こう』
老人はそう言って死にかけの少年を救った。そして全てが始まった。
しかし、今は全てが終わった。
「俺がやるんだ……」
路地裏に歩き出す彼の体が突然、薄っすらと青い光に包まれる。本人は何も気にしていないが彼は確かに超常的な力で発光しており、その瞬間に彼は人間を超えた何らかの力を手に入れたのだ。一番手に入れてはいけない人が、それを手にしてしまった。
ダニーは巻いていた包帯を引き千切る。
「……怪我が治ってる」
彼の体の火傷や肩の傷は癒えており、行動に出る手筈は整った。悪かった顔色も元に戻り万全の状態。こんな怪物を止められる者は世界にそう居ない。何しろ、後先考えない者程怖いものはないのだから。いつだって獣狩りは手こずるものだ。
そんな彼を遠くから見ていた蓮向かいのバイトは携帯電話を手に取り、担当者に電話を掛けていた。
「も、もしもし。体が青く光ってる人が居ます!ええ、光ってました」
【14】
「どういうことなんすか!?」
「俺に聞くんじゃない」
路地を駆け屋根を飛び越える谷口と粳部。人目を避けつつ疾走する二人はパイプとパイプの隙間をすり抜け最速で現場に向かう。あまりにも速い谷口に付いて行けなくなりそうな彼女だったが、彼はこれでも減速していた。
粳部が着けている無線機からラジオの声が響く。
『青白く発光してる人が目撃された。それは司祭になった証拠』
「司祭に……なった?」
「司祭に覚醒する瞬間、青白く発光するんだ」
「じゃあ、たった今新しい司祭が……!?」
権能と弱点を与えられた司祭。人間を超えた怪物が目を覚まし、全ての法から解き放たれて自由になった彼らはもうどんなルールにも従わない。蓮向かいの職員になるか監視されて力を使えないか選ぶか、どちらも選択せずに暴れ回るか。
二人は走り続ける。
『目撃された南米の男は挙動不審で、二十代前半だよ』
「様子がおかしいから緊急出動ってことですか?」
『そう……待って、情報が来た』
先導する谷口を追って粳部が駆けていく。目撃証言の場所を目指していく二人が出会うのは善人か悪人か。しかし、粳部は嫌な予感しかしていなかった。
『概ね絞れたらしい。恐らく当該の人物はダニー・ダービー』
「危険度は?」
『……こいつ、爆破された江南会の幹部の養子だ』
「江南会ってあのですか!?」
粳部が追っていた復讐殺人とここで繋がった。彼女の勘が当たったのである。誰かが実力で止めるまで永遠に、どちらかが滅びるまで彼らは殺し合いを止めようとしない。
『ベネズエラ出身。爆破後に目撃されてたのは恐らく彼』
「……この周辺に南條要の親族は!?」
「何っ?」
『……見つけた。彼の妻と娘が居る』
「承知。ラジオ、案内しろ」
先導する谷口が彼女の案内に従って急な角度で曲がり、塀の上を駆けていく。粳部はパイプを掴んで何とか方向転換をすると、跳び上がって塀を駆け始める。身体能力最強の司祭によく付いて来れるものだと彼は思う。
一方その頃、眼前にある民家へとダニーは早歩きで直進していた。自分を救い養子にしてくれた老人の仇を取る為、敵の住所を調べると迷わず行動に出たのだ。そこに躊躇はなかった。
『祭具奉納、怒り、猛り、君を呼ぶ』
ダニーの体が弱い光に包まれる。司祭がその力を解放する為の祝詞が唄われ、彼の両手に二振りのブーメランが現れた。祭具を強く握った彼は、民家を見定めると投げる構えを取る。
『ヴィガドラ・アズール』
彼が一振りのブーメランを放った瞬間、爆音と共に民家が吹き飛ぶ。木造の古い家だったからか木片が爆風に吹き飛ばされていき、空を高速回転するブーメランは不自然な軌道を描いてダニーの手に戻る。
「なるほど、こういう権能か」
吹き飛ばれた瓦礫に埋もれる成人女性は柱で潰れ何の反応もない。ダニーは死体を確認する為に瓦礫の中へ入っていくと、ひっくり返ったベビーベッドの横に赤子を見つける。
そして、ダニーがブーメランを振り上げた。
「思い知れッ!」
だが、爆風が吹き荒れたかと思うと赤い閃光が煌めいた後に赤子が消える。第二形態になった赤く輝く谷口が赤子を抱え、瓦礫の中から立ち上がった。危ないところだったが何とか間に合ったわけだ。
ダニーが彼を認識する。
「何だお前……俺と同じ司祭なのか?」
「残念だが赤子を殺すような司祭とは違うな」
「んんんんんッ!」
谷口に向けてダニーがブーメランを投げようとした時、そこに飛び込んだ粳部がドロップキックで彼を蹴り飛ばす。ダニーは地面を跳ねて遠くに飛んでいき、粳部はそれを追って再び駆け出した。
「俺は赤子と女を医療班に引き渡す。少し時間を稼げ」
「承知!」
彼はそう言って高速で動くと瓦礫から女を救出し、二人を抱えてどこかに消える。彼に時間稼ぎを任された粳部はダニーに向かうが、投げられたブーメランが彼女の脇腹を一瞬で切り裂く。二発目はギリギリで躱し、そのままの勢いでダニーの下へ駆けていった。
しかし、戻ってきたブーメランが彼女の首と腰を切断した。理屈上あり得ない、何らかの意図を持った軌道で曲がり貫いたのだ。ダニーの手にブーメランが戻る。
「まずは一人」
しかし、粳部はすぐに首と腰を繋ぐとよろけたところから立ち直り、刀を作り出すとダニーに切り掛かる。再生する彼女に驚愕したダニーは反応が遅れるが、刀は脆かったのか彼を傷付けることなく壊れてしまった。
「こいつッ!?」
咄嗟にブーメランで切り掛かるダニー。粳部は何とか片腕でそれを受け止め、空いている拳で彼の腹に殴り掛かる。だが、あらゆる能力がランダムな粳部に確実な手はない。悲しい程に弱い拳は彼を傷付けられなかった。
別のブーメランが粳部の脇腹に直撃し、彼女の骨と内臓を粉々に破壊する。
「ぐほっ!?」
「お前不死身か!?」
劣勢の粳部に二振りのブーメランが振り下ろされようとした時、彼女の影から海坊主が現れる。バットを握ったその怪物は一瞬で振りかぶると、弾き飛ばされた粳部がダニーを巻き込んで飛んでいく。そのまま二人は立体駐車場に墜落しコンクリートを破って床に転がった。
「クソっ!何故ここまでしつこい!」
「あなたが犯罪を犯そうとしてるからです!」
「やられた分やり返して何が悪い!」
二振りのブーメランが投げられると、空中を縦横無尽に飛び回りながら粳部へと向かっていく。粳部は盾を作り出してそれを防ごうとするが簡単に切り裂かれて体を貫き、いつのまにか忍び寄ったダニーが彼女の心臓を貫いた。
しかし、粳部はその隙にダニーの腕を掴む。同時に彼女の足元の影からダイナマイトが生えると、一瞬で起爆し二人を巻き込んだ。ダメージはなかったものの突然の爆発に驚く彼だったが、煙から現れた粳部は足払いでダニーの姿勢を崩し回し蹴りを叩き込む。
吹き飛ぶダニーは車を何台も貫いてようやく止まった。
「はあ……はあ……冷や冷やする」
「邪魔……するな!」
「復讐したって待ってるのは復讐の繰り返しですよ!」
「じゃあ全部の血族を滅ぼしゃあいいだろ!」
「どこまで範囲を広げるんです!?」
対空していたブーメランが粳部を背中から貫く。その途端にダニーは駆け出し、体から結晶が生えると赤い光を放ち始める。それは司祭第二形態、高まり過ぎた概念防御が結晶化した姿。自らの概念を切り捨てる切り札。
「第二形態!?」
「おらあああッ!」
咄嗟に槍を作り出した粳部はブーメランで切り掛かるダニーを受け止めるが、ダニーの猛攻の中で次第に押されていってしまう。隙を突いて肩を突き刺す粳部だったが、それは罠だった。ダニーの手からブーメランが落ちると弧を描いて飛び粳部の両足を切り裂く。
「なっ!?」
帰って来たブーメランをダニーが掴むと、彼の体から更に結晶が生え緑色の光を放つ。司祭第三形態、赤い第二形態から更に進んだ緑の体。限界を超えたダニーの身体能力は鬼神の如き領域に達しており、二振りのブーメランを交差して粳部を簡単に切断する。
「があっ!?」
粳部は切られた傍から再生するが、一瞬で放たれた回し蹴りにより大きく飛ばされ駐車場を飛び出そうとしていた。苦し紛れに置いて行った手榴弾でダニーは傷を負う中、彼女は空を舞っていく。
しかし、第二形態の谷口は粳部を抱えて駐車場に着地した。
「遅れた。状況は」
「権能はブーメランの操作。司祭になったばかりで第三形態まで……!」
「天才型か。そういう手合いは厄介だぞ」
粳部達に向かうブーメランを谷口が一瞬で叩き落とす。そして、圧倒的な速度でダニーに拳を叩き込もうと接触するが、直前に飛んできたブーメランが彼の拳を遮る。谷口は瞬時に狙いを理解し、後ろから飛んでくるブーメランを腰を落として回避すると、ダニーがブーメランをキャッチした瞬間に腹へ拳を叩き込んだ。
最強の拳は響く。
「ぐおっ!?」
ダニーが両手からブーメランを落とす。しかしその瞬間にブーメランは宙を飛び回って谷口を追い、彼は距離を取ろうとバックステップで距離を取る。ダニーはそんな彼に迫って追い詰めようとするが、粳部が放った矢がブーメランを貫き一つ破壊する。彼女はこのチャンスを待っていたのだ。
「あの女ッ!」
反転攻勢とばかりに谷口が彼へ駆け出し、弧を描くブーメランは谷口を切り裂こうと進んで行く。だが、それが接触した瞬間に谷口の体が透け、それにダニーが気が付くよりも先に横から谷口の肘打ちが頭に炸裂した。
更に谷口は法術を使い結鎖で首を絞めると振り回して床に叩き付け、宙に跳ね上がった彼を何度も殴る。ダニーは鎖を何とか引き千切り空中で姿勢を元に戻そうとするが、横から飛んできた粳部が回し蹴りを脚に叩き込んで再び崩す。
「なっ!?」
「
谷口が発動した法術でダニーは鉄の輪に縛られ、彼に踵落としを叩き込まれる。悶絶する彼だったが飛び回るブーメランを操作して谷口の頭への直撃を試みた。しかしそれは頭を少し動かすだけで躱され、彼はダニーを空中に蹴り上げると思い切り振りかぶって殴った。衝撃で床を突き破った彼は駐車場一階まで落ちていく。
「がああああ!」
墜落したダニーは起き上がり身動きを封じる鉄の輪を破壊しようとするが、呼縛散宣は対象の膂力が高ければ高いほど強度が上がる。彼が力を込めて次第にひびが入っていくが、降下する谷口はそれを見逃さなかった。
「
彼の周囲に光が集まったかと思うと、極大の光線がダニーに降り注ぎ全身が焼かれていく。それは順光から発展した究極系、簡略化して使ったとは言えその法術の威力はトップクラス。天才の彼だから使えるような法術だ。
「がああああああ!?」
「な、何これ……!」
だが、法術で止まるほど彼はやわではなく、それだけで折れるほど彼の復讐心は脆くはない。ダニーの体から更に結晶が生え、その輝きは緑から青へと変わっていく。大切な物を切り捨てて。
「司祭第四形態……!」
「そこまでいくか……!?」
驚愕した谷口が空中で防御態勢を取るが、跳び上がったダニーに蹴られ吹き飛ばされる。作ったロープで穴を降りていた粳部はすぐに駆け付けようとするが、ブーメランがその胴を見えない速度で切断する。
青い残光だけが尾を引くだけで、ダニーの姿はどこにもないのだ。
「ぐっ!は、早すぎ!」
跳び上がって起きた谷口はそのタイミングで来るだろう彼の攻撃を予測し、高速回転して弾くことを試みる。しかし、先に来たのは音速に匹敵するブーメラン。それを弾いて姿勢が崩れた彼にダニーは高速で接近し、拳を胸に叩き込むと手刀で腹を切り裂いた。
「ッ……!」
谷口は殆ど反射で回し蹴りを放つと運よく当たり彼が姿を見せた。粳部はすかさず拳銃を作るとダニーに向けて発砲するが、圧倒的な速度で全て避けられ一瞬で彼に迫られる。ダニーは拳で彼女の胸を貫くが、離れた場所から弓を射る海坊主の攻撃を避けられず二の腕を抉られた。
離れた場所に移動したダニーがブーメランをキャッチする。
「司祭の力も慣れてきたぜ」
「そんなのになってまで復讐したいんですか!死人は帰らないのに!」
「当たり前だ!俺はやり返しただけだ!スッキリする為によ!」
理屈は要らない成果も要らない。ただ自分がスッキリする為に、ひたすらに快楽を求めて殺し回るのが復讐者という存在だ。ただ外面の良い者が持てはやされているというだけで。
「気持ち良ければ良いだろ!何だってさあ!」
「そんなことが認め……!」
「いや全くの同感だ。お前は全て正しい。が、逮捕する」
谷口からすれば全て理解できる話だろう。立場上や、仇と巡り合えていないことで行動に出ていないが、もしその機会が巡ってくれば彼は同じことをやるだろう。蓮向かいという組織を利用して。
「気分が良い……今ならできるかも」
ダニーが強くブーメランを握りしめた。
『
「何ッ!?」
「何ですそれ!?」
慌てた声色の谷口が彼に向かって駆け出すが、ダニーの周囲を暴風と光の奔流が渦巻きその勢いに押されて止まってしまう。激しい光が瞬いた後、その中から異なる装束のダニーが現れた。手に持つ二振りのブーメランはより大きく、より鋭利に形が変わっている。
『ヴィガドラ・アズール・デテルミナソ』
復讐者は止まらない、どこまでも。