第八十三話『そこにダンジョンがあるから!』
切り取られた空間が目の前を通り抜けていきます。目の前、上下左右、何重にも『どこかのダンジョンの一部』の空間が。幾百幾千幾万もの切り取られた空間。その真ん中に、アイ達は居ました。アイの上にバロン。その上にスピリタスと、折り重なるように。
また、空間の狭間。でも、あのままよりマシか。
アイは自分に追いかぶさったまま気を失っているバロンや、その上のスピリタスの下から何とか這い出て、2人をゴロンゴロンと仰向けに転がして状態を見ました。
あれ? レイピアが出て来てる。なんでだろう? とりあえず置いといて… バロンさんは意識はないけれど、呼吸も脈も正常。火傷は軽いし、他のケガもたいしたことないね。スピリタスさんは… 意識無し。呼吸も脈も、あるけれど弱いな。顔と手、露出している所の火傷が酷いな。焦げ臭い。クラゲの水、飲めるかな?
アイはリュックの中からペットボトルを取り出すと、スピリタスに膝枕をしてそっと中身を口の中に注ごうとしました。
「我が愛しの姫君。ようこそ、私のワークスペースへ。今日こそ私と優雅なティータイムを過ごしましょう」
ヌッと、いきなり目の前に紫の瞳が現れました。そこを中心に白い肌が広がり、薄茶色の眉に筋の通った鼻、上品な赤い唇と顔が現れ、銀色の長い髪に中世ヨーロッパの騎士のような服装の上から黒いローブと、完全に現れました。
「… いや、ムリっしょ。これ… チル出来る状況じゃ、なくね?」
ここでラルジャンさん登場!? 私のワークスペースって、ここで何をしているの? もしかして、ここで色々なダンジョンをくっつけたり? ダンジョンマスターだから出来ちゃったり?
ああ、匂いがする。嫌な、吐き気がこみ上げてくる匂い。今日は悪魔成分も入っているんだ。どうしよう、動けない。逃げたい。どうすればいい?
目をそらすことが出来ず、何とか擦れた声で答えたアイは、ペットボトルを持っている手に一気に汗をかきました。ラルジャンはニコッと微笑んで、スピリタスの顔をわし掴みにしました。「うう…」と微かに苦しそうな声が漏れます。
まずい。… どうにかして、逃げないと。
「姫君から大切な人を奪った奴を助けるなんて、僕の姫君はなんて心が広いんだろう」
「え?」
今、なんて? スピリタスさんが私の大切な人を奪った? 私の大切な人… スピリタスさんとラルジャンさんと私の共通する人って…
「こいつのせいで、勇作は君の前から姿を消したのに」
勇作… お父さん。もしかして、前に黒崎先生が私に謝ったのは、そのこと?
「あ、あの。お父さんと黒… スピリタスさんの間に、何があったんですか? 教えてください」
ゴクリと喉を鳴らして聞くアイ。冷や汗が顔から流れ落ちていきます。
「姫君が望むなら。こいつは弱いから…」
ニッコリと人当たりの良い笑顔を浮かべて話し始めたラルジャン。その話を止めたのは、スピリタスの一撃でした。いつの間にか握ったアイスピックを、震える手でラルジャンの脇腹に深々と刺しました。
「また、お前は…」
ラルジャンが自分の脇腹を見た一瞬でした。スピリタスは起き上がりながら両手を広げてアイとラルジャンを突き飛ばし、ケペシュを構えました。
「触るな」
ケペシュを構えているのに、話が出来る。… そっか、ここはいつも私達がいる空間とは違うからだ。だから、私のレイピアも出て来たんだ。
「瀕死の虫のくせに… うぐぁぁ」
ラルジャンさんが急に苦しみ始めたけど、脇腹に刺さったアイスピックから白い煙が出てる。握ろうとした手も… 火傷? しかし追い打ちをかけて、新しいアイスピックが太ももに突き刺さったから、苦しみは倍増だよね。あ、アイスピックに聖水でも塗り込んでいたのかな?
「逃げ帰って、勇作さんに泣きつけよ」
うわぁ… 怖いバージョンだ。
スピリタスは苦しむラルジャンに、容赦なく切り付けていきました。
「くっ… 次こそは」
その剣先がラルジャンに届く前に、その姿は霧のようにフッ… と消えてしまいました。一気に体の力が抜けたアイは、溶けたアイスの様に床に倒れ込みます。
うう… 気持ち悪い。夢の中とは違って、やっぱり圧が凄い。私、何もできなかった。スピリタスさんがいなかったら… あ! スピリタスさん!!
スピリタスの事を思い出したアイは、慌てて体を起こしてスピリタスを探しました。
あんな重症で、ほんのちょっとの間で動くなんでさすがだけど、どこに行っちゃったの? 速くこの水を飲ませてあげないと。どこ? スピリタスさん。
吐き気をこらえてスピリタスを探します。通り過ぎて行く、切り取られた空間から零れる明かりを頼りに。
「スピリタスさん」
ようやく見つけたスピリタスは両膝をついて少し背中を丸めて、目の前を通り過ぎて行く切り取られた空間を見ていました。虚ろな目で。
「… スピリタスさん、この水を飲んでください。クラゲの水に香坂さんの涙が入っていますから、すぐに回復しますから」
スピリタスらしくない様子に、アイはペットボトルを差し出しながら恐る恐る声を掛けました。
「ごめん。… 勇作さんが見つけられない」
スピリタスはジッと前を向いたままです。火傷で皮膚がめくれ、水ぶくれが出来た顔は歪んで、目もちゃんと開いていません。
あの優しい黒崎先生の声が、今は絶望的な声に聞こえる。ずっと… ずっと一人で、この人はお父さんを探してくれていたんだ。
「いいんです。今日は人命救助のお仕事ですから。それより、早く飲んでください」
こんな顔を見たらシスターさん、卒倒しちゃうね。とりあえず飲んでもらわなきゃ。いつまた、ラルジャンさんが戻って来るかもしれないから。
けれど、スピリタスは指の一本も動かさず、話を始めました。
「俺が探索者になったのは、勇作さんに憧れていたから」
お父さんに…。
「まだ探索者じゃなく、冒険者だった勇作さんの配信を観て、強く魅かれた。この人と冒険がしたいと思って、探索者になって、相棒にしてもらった」
スピリタスさんの相方は、お父さんだったんだ。… いいな、お父さんと探索。楽しかっただろうな。お父さんのお土産話、いつも楽しかったから。
「だけどある日、調子に乗った俺を庇って勇作さんが大怪我をしたんだ。回復アイテムで一命は取り留めたけれど、瀕死には変わりなかった。あの頃は、そこまで高性能の回復アイテムはなかったんだ。脱出も無理だった。さっきみたいに、アイテムの効果がなかった。勇作さんを担いで、自力でダンジョンから脱出しようと地上を目指した。けれど途中の休憩で眠ったら、奴らが夢に出て来たんだ」
奴ら… って、ラルジャンさんとケット・シーちゃんのことだよね。ああ、夢のお茶会か。
「ケット・シーの淹れた茶は、どんな傷もみるみる治すといった。ただ… 夢の中で妖精の食べ物や飲み物を口に入れたら、人間の世界には帰れなくなる。そう、言われた」
だからあの時、聞いてくれたんだ。… じゃぁ、お父さんは…。
「俺は、勇作さんに死んでほしくなかった。一緒に帰れなくても、生きてほしかったんだ」
だから「ごめん」か。だから「こいつのせいで、勇作は君の前から姿を消したのに」なんだ。そっか。… でも
「お父さん、生きているからいいです」
アイはさらにペットボトルを押し出しました。けれど、相変わらずスピリタスは飲もうとしません。
怖い時のスピリタスさんて、感情の振り幅が大きいのかな? あ、火傷が酷くて、もう腕が動かないのかも。
「死んじゃったら、それこそもう会えないんです。でも、生きているなら会える可能性はあります。それに、ダンジョン探索は危険と隣り合わせ。100%の安全なんてないんだし、逆にお父さんが危なかったら、スピリタスさんが庇ってくれましたよね? だから、その時はたまたまスピリタスさんだっただけです。お父さんは生きて、悪魔にお説教できるぐらい元気。これでいいじゃないですか。はい、このお話はこれで終わりです!」
アイはペットボトルの水を口に含むと、そっとスピリタスの唇に自分の唇を重ねて、水を流し込みました。強制的に。スピリタスはアイの行動に驚いて、思わずゴクリ。アイは口の中が無くなると、立ち上がって素早く離れてスピリタスに背を向けました。
早く治して欲しいからとはいえ、やりすぎた~。どんな顔でスピリタスさんを見ればいいの?! てか、スピリタスさんのファンにバレたら殺されちゃうんじゃない?
「さ、帰り…」
ぎこちなく歩き始めたアイを、スピリタスは背中から力強く抱きしめました。
もう、焦げ臭くない。頬に当たる皮膚も、普通… て、どうしよう! この状況は、どうすればいいの?!
抱きしめられたまま硬直するアイに、スピリタスはそっと顔を寄せました。
「あ~!! ちょっとちょっと、人が気絶していたのをいいことに、何をやってんの?!」
直後に、目を覚ましたバロンが荷物を持ってやってきて、強引に2人を引き離します。そしてアイに抱きつこうとしてスピリタスに蹴り倒されました。
「まぁまぁ、みんな動けるんだからさ、ソクサリしよ。私おなペコだから、早くシスターさんのご飯食べたい」
アイは苦笑いを浮かべながら、バロンを助け起こしました。
「そうだね! サッと帰って、サッとご飯食べて、サッと夜のデートに行こう! じゃぁ、俺のユニコーンの羽根で… ない?」
あ~、落としちゃったか。そりゃぁ、パンツのポケットに入れて、あんな激しい戦いをしていたら、落ちちゃうよね。まぁ、ここでは効果ないんだけれど。
「大丈夫。この中から、ダンジョンの外の風景を見つけて、飛び込めばOK」
と、得意げに言って、探し始めると
「アイちゃん、探し物はこれかニャ?」
どこからか、ケット・シーが現れました。長い爪に空間の切れ端を引っかけて。
「これ… このダンジョンの外。いいん?」
その空間の切れ端には、ダンジョンの入り口を心配そうに見つめながら立っているカルミア社長、シスター、香坂が写っていました。その少し後ろでは、医療ヘリが飛び立つのが見えます。
良かった。シスターさん達、ちゃんと外に出られたんだ。救助した4人も搬送されたみたいだし。
「教えてくれて、あざっす」
「ボクや友達を助けてくれたお礼ニャ」
笑ったケット・シーに甘えて、アイ達は空間の切れ端に飛び込みました。
■
救助した4人は、私達みたいに巨大なウツボカズラのモンスターに確保された時にナハバームと逸れたみたい。その後、ウツボカズラを倒して脱出して最下層まで到着したはいいけれど、チビマグマン達の数の多さとイフリートからの攻撃にダウン! そこに私達が現れたみたい。4人のナハバームも私達のナハバームも、香坂さんのナハバームが先導してダンジョンから出してくれたんだよね。もちろん、録画データーはバッチリ。私のスマホのデーターは、空間の狭間の時だけ真っ黒。4人はシスターさんの手当のおかげで、数日の入院ですんだみたい。
「さてと…」
人里離れた森の奥。大きな岩にポッカリとあいたダンジョンの入り口前で、アイは使い込んだスマートフォンを構えました。深呼吸を大きく2回。夏らしく透明感のあるオレンジやイエローのジェルで飾った指先で「ライブ配信を開始」の文字をタップしました。
「ボーン! ダンジョン配信者のアイだよぉ」
スマートホンの画面に向かって手を振るアイの笑顔は、とってもナチュラルです。
『ボーン!』『待ってたよ~』『キタキタキタ』『アイちゃんボーン! 久しぶりの生配信、マジ沸くわ~!』『リップ、良い色~。今日も可愛いよ』『今日は、中も生配信?』… 一斉に書き込まれる大量のコメント。
少し前までは生配信が苦手だったけれど、今は皆の反応があるのが嬉しいな。
「そそ、今日はダンジョン内も生配信。ニューフェイスの経験値上げで入るから、超簡単なとこ。でも、野良ダンジョンに入り込んだ瞬間に配信終わっちゃうから、そこはメンゴ」
香坂さんのレベルは1だけれど、この前の人命救助の功績で特例で入れることになったんだよね。まぁ、組合の言うこと聞かないで勝手に入っても、別に罰則はないみたい。ただ、ケガしちゃったら全額実費。組合は何もしないよ。自業自得だろ。てことらしい。
『レベル低くても生みたい、生』『生が一番だよね~』『アイ氏が入るなら、レベルが低いダンジョンも何か起きる』『もう一人のギャルちゃんは?』『今日はスピリタスも一緒?』
もちろん、スピリタスさんも一緒。一応、組合の言いつけは守らなきゃ出し、野良ダンジョンに入り込むかもしれないからね。お父さんの情報があればラッキー! さて…
「皆もう、ちょー上がってるね。2人は先に中に入ってるから、追いかけるよ。んじゃ…カルミア社登録番号S10568アイ、登録番号S004のダンジョンに入りま~す」
アイは左手を高々と上げて元気に誓言すると、軽い足取りでダンジョンの中に入って行きました。
今日も探索に没頭するぞ~!
アイ、今日も元気にダンジョン生配信です! →終←