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第36話


工藤紘一は熱しやすく冷めやすかった。

そして何よりもホレやすかったのだ。

それが良くも悪くも作用する事になる。

そして何というか体育会系のノリに侵されたその集の修行?先は彼が思っていたよりも愉快なのであった。

故にこの結末になるのは仕方がない結果なのである。


「あの…」

「…何かな?」

「このトランペット…直せますか?」


有珠が工藤楽器を訪れたのは集が修行?を始めてから2数週間程度たった後であった。

アリスが目論んだ通りに有珠は行動を起こしていたのである。

ここまでよく有珠の行動が解るものだと感心する集であった。

同時に店内にいた集の姿にも気づいた有珠も驚いていた。


「え?なんで?」

「ああ、コイツか?」


店主の紘一の父親は集の事は指さした。


「丁度いい短期のバイトを募集していたんだがなかなか見つからなくてな。

ある日目標があれば使える奴になるって紹介されたのがコイツだ」

「えぇと、その」


なんと答えていいのか解らず返答に詰まる集。

ただそこまで有珠も集の動向を気にしていた訳じゃない。

色々とトランペットの修復を頼める先を探していた。

その内の一件がこの工藤楽器だった。

そこに集がいたとしても可笑しなところはない。


「アルバイトよね?」

「そうそう。たぶん?」


歯切れの悪い返事に思う所もあったが今の有珠にはそれは些細な事だった。

それ以上に切羽詰まっていたので話題は直ぐに戻ることになった。

町工場の楽器店に悲壮感漂う表情で訪れた有珠。

それはもう最後の望みはココにしかないかのような雰囲気を出している。

勿論店主である紘一の父親はその楽器ケースを開いて中身を確認し…

直ぐに顔を顰める事になる。


「こいつは…酷い。

色々な意味で新しい物を買う事を勧めたいところだな」

「そう…ですか」

「悪い事は言わん。

古い楽器で、どこのメーカーなのかはわからないが。

量産品だろう?

どうしてもと言うこだわりがあったとしてもある意味で寿命だ。

直す価値があるかと言えばないし。

それ以上にこれは…量産品の新品を買うよりも直すと高くつくぞ」


紘一の親父さんの目は確かであり所々に亀裂も入れられていた。

パイプ事態も凹んで、吹き込んだ息が旨く流れず漏れている。

落して壊されたのではなく人為的に壊された事も分かるぐらいであった。


「それは…解っています」

「あまり言いたくはないがこのトランペットは、お前さんの物じゃないだろう?」

「あ…はい」


ぶっきらぼうに聞き返してくる親父さんであったが。

楽器と有珠の手を見ながらそう断言した。

有珠の楽器はトランペットではなくヴァイオリン。

その指の使い方も演奏者としても立ち振る舞いもトランペットとは大きく異なる。

だから自然とその立ち方でなんとなくだが予想を付けたのである。


「なら…せめて、直す価値があると思っている奴が持ってくるべきだな」


それはつまり、今までの楽器店とは対応が違っていたのである。

有珠は落ち込んでしまっている楓の為に何件もの楽器店を回って修復先を探していた。

けれど度の楽器店に言っても答えは同じだったのだ。


「買い替えた方が安いですよ」

「思い入れの楽器とは思いますが…うちではちょっと」

「流石にここまで壊れているともう修復と言うより作り直しに近い」

「摩耗が酷くてちょっとどうしようもないですね」


ともかく否定的な事しか言われてこなかったのだ。

だからこそ本人が来るべきだってその言葉に目を見開く事になっていた。

それは修復できる可能性があるって事なのだから。 


「そう、なのですか?本人がくれば直してもらえるんでしょうか?」

「それは解からんが…しかしその思いが解らんのだ。

大切にされてきたことは解るが、言っちゃあ何だが楽器も消耗品だ。

そこまでの価値があるのか俺には納得できん。

俺もこの筋で長い事仕事をしてきた。

楽器を大切にする奴は好きだが、直したとしても結局乗り換えちまう奴が殆どなんだ。

だから、まぁなんだ。

直すのならちゃんと使ってくれる奴の為なら考えなくもない」

「わ、解りました!直ぐに、あ、いいえ。

明日にでも連れてきます!」

「お?おぉ。なら…待ってるわ」

「はい!」


有珠は直ぐに店を後にすると、

店主の親父さんは有珠が置いて行ったトランペットをもう一度見直す。


「うわぁ…本当に…直すのかこれ?」


直すつもりではいたが…

余りにも壊されすぎているこの楽器を直すのは骨が折れる。

新品を造りよりも修理する方が大変な壊れ具合なのだ。

丹念に破壊されたトランペットは壊した相手の憎悪を感じさせるのに十分な破損ぶりなのである。

そんなあからさまな悪意に頭を悩ませる態度を取る父親。

だが後ろからそのトランペットの状態を覗き込んだ、

紘一も一言だが言いたくなった。


「おやじ…コレは俺が見たってもうゴミとしか言えねーぞ」

「あぁ解ってんだよそんな事。

それでも所有者が代わりが無いと言うのであれば直すのが楽器屋の仕事だ」

「んな事言ったってさぁ…

忘れてねぇーか?あの音楽家のリペアって確か今月中だろう?」

「…そうだったか?たしかあの仕事はあと3か月時間がぁ・・・あ」


工藤楽器そこは楽器の修繕と言う意味では国内では済まない。

世界有数の工房であった。

新品の販売と楽器の「修繕」という分野ではほぼトップを走り、

壊れた楽器をあらゆる手段を使って元の音色になるまで修復する。

隠れ過ぎた一般人にはまず知られる事も必用もない名店だったのである。

つまり頑固おやじにして、今まで応対していた紘一の父親。

彼はその筋からは人気があり売れっ子の職人なのである。

そして売れっ子であるが故にバックオーダーも抱えている。


「まさか親父…」

「紘一。俺は少しばかり工房に籠るぞ」


休憩がてら店頭に立っていたが故に有珠の相手をしてしまったのだが。

そんな事はしていられない位忙しかったのだった。


「おいおいおいそれはねーんじゃないか?」

「だが、ちょっとばかし本気にならないとまずい気がしてな」

「あぁ忘れてたんだな?」

「違う違う。そんなことは一切。全く。これっぽっちもない。

だが少しばかり集中したくなっただけだ」

「あーいいから。始めろよ。邪魔しねーから」

「解って来たじゃないか」

「いい加減予定の管理をちゃんとしろ!」

「だから管理していた。これは楽器達を休ませる為の…」

「良いから始めろよ」

「おぉ!」


気合を入れた紘一の父親はそのまま工房へと戻ると無心で預けられていた楽器との対話を始めたのだった。

そして次の日。

工藤紘一は運命の出会いをする事になったのだ。


「あ、の…有珠に言われたんです。

わ、私のトランペット…な、直りますか?」



泣き腫らした目で悲しそうな顔で有珠に連れられていた楓が工藤楽器に来たのは次の日の事であった。

対応したのは紘一の父親…ではなく当然紘一であり、

目の前には楓の完膚なきまで壊されていたトランペット。

紘一にはストライク3球がストレートで投げ込まれた。

そのボールの速さは時速500キロは超えていたのだから仕方がない。

紘一は完全に振り遅れて三球三振バッターアウトとなったのである。

その楓の容姿もさることながらトランペットに向ける視線を感じる紘一。

紘一は正しく父親の納入予定を知っていた。

これから向こう数か月は父親の手はいっぱいになる。

つまり楓のトランペットは直せない。

少なくとも数か月単位で待ってもらう事になる。

…目の前の少女を数カ月間も泣き腫らした状態で放っておけるのか?

いやいやそんな事ダメでしょ。

紘一は楓から投げかけられた言葉に本気で悩む事になったのだ。

即ち直せると言っていいのかと。



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