みひろが推理を語り終えると、広い私室は静まり返っていた。
万能薬を飲み続ければ、不老不死と同じ事になる。それすら非人道的と思っていたのに……みひろの語った久右衛門さんの計画は、それに輪をかけておぞましいものだった。
孫世代の身体を、脳移植と万能薬で乗っ取って、永遠に生き続ける……しかも、ウチのお祖母ちゃんまで道連れにして。
そのために、お祖母ちゃんは生きたまま脳を摘出され殺された。
八雲さんは『お祖父さまを化物にしたくない。そのためには僕が人間になるしかない』と語っていた。
あれはもう比喩じゃない。現実に、化物が生まれようとしていたのだ。
「万智子さん、<アガスティアナディ>の過去視で、確認は取れましたか?」
「ええ。今
片膝を付き項垂れていた久右衛門さんは、急に立ち上がった。
その表情は……計画が暴露され焦った顔でも、開き直って怒った顔でもない。
ただじっと無表情のまま、みひろの紫目を覗き込んでいる。
「今ならまだ間に合います。お祖父さま、こんな事はもうおやめください」
「……」
「親は子へとバトンを繋ぐ。人は限りある人生を懸命に生きる、儚い生き物であるべきです」
「……お前に何が分かる」
「私の十七年は、お祖父さまにとって取るに足らない時間かもしれません。ですが私も、これまで懸命に生きて――」
「財閥も世間も、人生も! 中途半端に覗いただけのお前が、人の生き様を語るなっ!」
怒髪天を突く祖父の叫びに、怯えた顔で後ずさるみひろ。
私はみひろに駆け寄って、いつ久右衛門さんが飛び掛かってきてもいいよう、みひろを背中に回した。
「貴様ら若造に何が分かる! 人生を取り戻す事こそ、人生の至上命題。元素変換ごときつまらん話ではない……これは人類の悲願、生命変換の話なのだ!」
「その生命変換のために、子供の命を犠牲にするの? あなたが生き永らえるために、未来永劫、血を分けた子孫の身体を乗っ取り続けるって言うの?」
「儂がやらずとも、いずれお前たちも年老いれば同じ事をする」
「そんな酷い事、するわけないじゃない!」
久右衛門さんは笑った。気持ち悪い笑い声で。
何がおかしいのかさっぱり分からない。
「お前の母を見ろ。万智子は夫の翔也を生き返らせるために、お前を捨てアマルガムを選んだ。儂も孫を捨て、春子と共に生き永らえる道を選んだ。何が違うと言うんだ?」
「ママはちょっと変わってる人だから、仕方ないの! あなたと一緒にしないで!」
「ふっ……いずれにせよ、人類はコインを発見し万能薬を産み出した。賽は投げられたのだよ、藍海くん! 万能薬がこの世に存在する限り、使い途を模索する者は後を絶たない。だったら! 葉室財閥総帥たるこの儂が、権力財力全て使い、万能薬の可能性を限界まで引き出してやろうではないか! これは儂にしか成し得ぬ、人類進化の偉業となるのだ!」
久右衛門さんの高笑いが、広い部屋に響き渡る。
私の脳裏に、お祖母ちゃん扮するエーちゃんの言葉が蘇る。
もしかして……この時のために言ってくれたの? お祖母ちゃん。
「藍海、これを」
声を掛けられ振り向くと、隣にママがいた。
胸の谷間からピカピカのコイン<アガスティアナディ>を取り出すと、私に手渡す。
「これ……いいの?」
「ええ。この人を見ていると、私もこんな化物になろうとしてたんじゃないかって思って……ゾッとしちゃったわ」
みひろも、右目から<プロビデンスアイ>を外して、私に差し出す。
「藍海、これもお願いします」
「みひろ……本当にいいの?」
「今は、お祖父さまに目を覚ましてもらわなければなりません。そのためなら金貨の一枚くらい、安いものです」
みひろは紫目を細めて頷いた。
ママも私の背中を軽くポンと叩いて、後押ししてくれる。
私は二枚のコインを左の指の間に挟み、久右衛門さんに振り向いた。
右手を掲げ、親指と中指の先に光る、ジルコの金爪を見せつける。
久右衛門さんは私を見ると、じょじょに高笑いが収まっていき、青ざめた表情で慌てだした。
「やめろ……早まるな。そんな事をすれば一生後悔するぞ」
「久右衛門さん」
「ダメだ、やめろ! コインは人類の希望……偉大な錬金術師フルカネリが遺した、人類進化の鍵なんだぞ!?」
みっともないほど狼狽する久右衛門さんの前で、右手を構え――、
「お祖母ちゃんが遺してくれた言葉……久右衛門さんにも教えてあげる」
二つの金爪を、二枚のコインに押し当てた。
「コインは人の心を狂わせる。脳移植なんかしなくたって、お祖母ちゃんの遺志は心の中に……久右衛門さんの心の中にも、ちゃんと根付いているんだよ」
久右衛門さんが飛びつこうとした瞬間、私は右手を伸ばし、コインを爪で引っ掻いた。
二枚のコインは中央から真っ二つとなり、消滅した金爪の粒子と共に、絨毯にポトリと落ちる。
「うわわああああああっ!」
久右衛門さんは飛びついた。私ではなく、床に落ちた半月状の、四つの
コインに狂った心は、コインを失わない限り取り戻せない。
泣き叫ぶ久右衛門さんに踵を返すと、私は、後ろで待っててくれたみひろに抱きついた。
みひろも、優しく私を抱きとめてくれる。
「藍海、ありがとう」
「うん……」
私は顔を上げ、傍で見守るママを見る。
ママは空気も読まずキメ顔で応えると、私たちに抱きついた。
老人の、悲痛な慟哭を背中で受け止め、私はみひろとママに抱きついたまま静かに泣いた。