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第132話


「あの村田さん…すみません、わざわざ付き合っていただいて。」


萌は今、村田とチコの散歩に出ていた。

これがもう3日も続いている。

昇が海外出張へ出ていってから、村田がどこへ行くにも付きっきりなのだ。


「そんなの今に始まったことじゃないじゃないですか。それに私は犬が好きなので散歩は楽しいですよ。」


確かに昇がいるときでも、自分一人で出かけることはほとんどなかった。

過保護な昇が村田を絶対につけてきたからだ。

確かにトラウマは残っているし、村田の存在は安心この上ないのだが、それでもやはり申し訳なく感じてしまう。


「でも村田さんだって……他にやりたいこととかプライベートがあるはずなのに……」


「じゃあ言い方を変えます。これは仕事です。プライベートを削っているわけではありません。ちゃんと給料を貰っているのであなたが気にする必要は全くありません。」


そうやってあえて冷たく言うところも、萌が気に病むことのないように配慮してくれている村田の優しさだと知っている。


「昇さん、今頃何してるんでしょう?時差があるから向こうはまだ昼ですよね。何か美味しいものを食べている暇があればいいけど。」


「連絡はとってないんですか?普段ならしょっちゅう萌さんとメールしてるのに。」


「あ、あえて私からはしないようにしてるんです。海外出張なんて忙しいだろうし時差もあるから気も使わせたくないし。」


「あー、なるほど。お互い同じように気を使ってるわけですね。この期に及んで今更。」


「だっ、だってお互いこんなに離れて過ごすの初めてですもん!長くて1週間とか言ってて、いつ帰国するかも分からないしっ…これじゃまるで遠距離恋愛っ……ハッ、す、すみません。やだ、なんか私女子高生みたい……」


「……。」


村田は、顔を赤く染めて必死に言い訳を並べ立てる萌を横目で見つめる。

……あー、なんだか聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるような発言が増えてきたよな最近。

最初の頃とは比べ物にならないくらい、萌さんの中でも昇の存在は大きくなっているのがわかる。

ことあるごとに昇の話をするし。


「あ、そうだ、村田さんと話してみたいことがあったんでした。これを機に聞いてみてもいいですかね。昇さんなしで2人でゆっくりするきかいなんてそうないし。」


「はい?なんですか?」


萌と村田は、公園のベンチに腰を下ろしてチコに水を飲ませていた。

目の前には小さな噴水があって、その奥の背景は美しいオレンジの夕暮れに染まりつつある。


「昇さんと庵さんの出会いとか馴れ初めとかです。」


村田は目を見開いた。

まさか自分のことを聞かれるとは思ってもみなかった。

てっきり昇とのノロケに近い相談事とばかり思っていたのだ。


「……いいですよ。」


村田は真っ直ぐと目の前の噴水を見つめた。

懐かしい、とふと感じながら、あの頃に思いを馳せる。

そこにはいつもあった。

干からびた水のない噴水が。

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