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5-4【コロッケのパラドックス】

 やたらと強引なファナゼットに押しやられるようにして、三人はコロッケの試作をするべく拠点たるルクスの部屋に戻った。

 昨晩のうちにルクスが用意してくれた発熱機構つきの容器――エレンのものが白バケツだとしたら、こちらは黒ダライといったところか――にたっぷりの水を入れ、今日の分の食料である真っ青な芋を茹でる。しばらく見つめているうちに、芋はだんだんと色素を失って、ほんのり黄みがかった白へと変化した。

 十分に加熱されたらそれを取り出し、潰し、ほぐしたプラントブロックやら刻んだ培養肉やら生成塩やらを混ぜ込んで……地味だがやけに手間のかかる工程に、三人ともが無言となる。

 その沈黙を、ぽつりと破る声。

「……ひとつ、疑問がある……ファナゼットに」

「呼び捨て? まあいいわ、何よ」

 浮かぶのは、初めて訪れた流民の集落たるアルカにて、エレンが理不尽な糾弾に晒されていたときのこと。

「集落内の信仰を蔑ろにするのは、命の危機へと発展する危険性をも孕んでいる。どうしてリスクを許容した? あなたは……語彙を構築……あまり、友好的でない」

 最初に飛んできたのは蹴りだったし、そのあとも懐柔はあまり上手くいっていない。ルクス曰く、友達同士ならば助け合うものだという不可解なルールがあるらしいが、まさかこのファナゼットがアデルと親しいつもりであるわけでもないだろう。

「……別になんだっていいでしょ、手伝うんなら」

「もう、ファナ。お礼のつもりなら、言わないと分かんないよ?」

「礼?」

 心当たりがない。首を傾げる。ファナゼットは嫌々というような口調で、

「ほら。牙蟻退治のこと!」

 苛立ったような声だが、敵意は感じ取れない。照れ隠し、というやつだろうか。

「牙蟻がこれ以上増えたら、集落の中まで縄張りに入っちゃうってとこだったのよ。でも、変異生物と戦えるような人はいないし、訓練するにしても時間がいるし……だから、【学舎】を壊そうってハナシになってたの。壊して、牙蟻をいったん防ぐための壕にしようって」

 たまったもんじゃないわよ、とファナゼットはまた嘆息。

「あなたは【学舎】が大切?」

「むしろ大切にしないほうがおかしいわ。他の連中は食べられもしない情報メモリなんてって文字を覚えようともしないで、たまーに娯楽映像を再生しにくるだけだけど……知識は大切よ。今はなんのためにもならなくたって、いつか役に立つ日が来る」

「実際、こうしてコロッケも作れてますしね。……作れてるといいんですけど」

 話しているうちに、丸めた芋のペーストができあがっていた。

 そこへ、まずは粉々にしたブロックフードをまぶす。つぎに貴重な卵をひとつ割って溶かしたものにひたし、最後に荒っぽく砕いたブロックフードをまたまぶしたら、準備は完了、のはず。

 黒タライにエナジー・バーを入れて溶かすと、トゲトゲした衣をまとったペースト塊を放り入れた。

 じゅわああ、と泡が弾ける音――。

 ――パァンッ!

「っ」「ひゃあっ!?」「きゃっ!」

 破裂した。

 コロッケのうちのひとつが、内側から弾けるように。

 幸い、跳ねた油がこの場の誰かにかかることはなかったが、なにせ大きい音である。アデルは瞬間的に疑似神経回路の接続を戦闘用に組み直したし、ルクスはぎゅっと目を瞑って身を強張らせたし、ファナゼットはそのルクスを守るようにして一歩前に出た。

 しかし、どうやら黒タライの中身が軽く弾けただけのようだと分かると、順に肩を撫で下ろし、アデルは平常時用に回路を戻す。戦闘用は負荷が高いのだ。

 と、ファナゼットが片眉を寄せてアデルを見た。

「……何。あんた、体調でも悪いの?」

「なぜ?」

「だって……外歩いてるときから気になってたけど、片足庇ってるわよね。挫いたんなら、動かすと悪くなるわよ」

「いや――」

 そのタイミングで。

「っ、おい! なんだ今の爆発音、アデル――二人も、無事か!?」

 銃を油断なく構えたエレンが、飛び込むようにして部屋に入って来た。体内時計――人間の持つ曖昧なそれではなく、心臓部の駆動周期を利用した正確な時計である――によれば、確かにそろそろエレンの帰ってくる時間であった。

 しまった、と思う。コロッケ作りをエレンに隠しておくと明言したわけではないが、やはり作戦の成功が確定してからの報告が望ましい。しかし部屋の中には匂いも音も満ちていて、流民の鈍い感覚器官でもなんらかの食品加工をしていることは明らかだろう。

 ……と、予想したのだが。

「ん……ええと、何もないのか?」

「肯定する。偶発的に小規模な事故が発生したが、危機的状況ではない」

「ないなら……いいんだ。俺は今日も疲れてるから、先に休む」

 それだけ言って、今日もまた隣室へと引っ込んでいってしまった。ファナゼットがいることには気付いていたようだが、一切言及さえしなかった。

 その瞳の奥には、やはり薄暗がりのような恐怖が滲んでいる、

 きゅっと、心臓部が竦むような感覚。しかし異常アラートがない以上、どうやら錯覚のようだった。

 一応、確認できる範囲の数値を計測しておく。昨日からほぼ変化はない。……それはつまり、昨晩急変した右脚部の不調が改善していない、という意味でもあるのだが。原因は分からないが、左目が融解した際と異常傾向が一致している。

「――よかったですね、アデルさん」

 自分の中にあるゼロだのイチだのをためすすがめつしていたところへと、唐突にルクスの声が割り込む。

 全体的に数値はよくない――と返しかけてから、そうではないなと言いかえる。

「何が、と質問をする」

「エレンさんですよ! 今日もお疲れだっていうのに、いっちばん最初にアデルさんを心配してたじゃないですか! ふふ、あれですね。愛ですね……!」

「……? 自分とエレンは、あくまで目的を共通させ協力している同行者に過ぎない」

「えっ」

 疑問の声を挟んだのはファナゼットだった。

「あんた達、浮かれて集落を飛び出した頭空っぽカップルとかじゃなかったワケ……?」

「ファナ、いくらなんでも! 言い方!」

「違う。自分たちはこの付近にある【バベル】と呼称される塔内部の機能を使用し、天へと向かう途中にある。起動させるのに時間がかかるゆえ、一時ここに滞在しているが」

 アデルにとってはなんでもない説明だったのだが、ルクスとファナゼットは揃いも揃って目をまん丸にした。顔立ちはまったく違うというのに、やたらと類似点の多い表情であった。

「て、天に!? て、てっきり近くの都市遺跡にでも行くのかと……!」

「正気!? 天って、レイヴンどもの巣窟じゃないの!」

 同時に放たれた言葉はぐちゃぐちゃと絡み合っていたが、アデルは問題なく処理をして回答を組み立てた。

「否定する。自分たちの目的地は都市遺跡ではない。それはむしろ出発点。肯定する。自分は正気であり、正気のままレイヴンの拠点へと向かう」

 アデルはレイヴンだから――というのは黙っておいて。

「エレンは、妹を取り戻しに行くのだという」

 話しても問題がなさそうなほうだけを説明すると、ルクスがぽかんと口を開いた。

 どうしたのかと訊きかけたけれど、ファナゼットがアデルへと問うほうが早い。

「じゃあ、あんたはどうして天に? 弟でも攫われたっての?」

 そうだ、と嘘を吐くこともできた。

 けれど今、アデルの内には揺らぎがある。その不確かさのせいで、とっさに頷くことができなかった。

「……はじめは、行く必要があると思考していた」

 一機、都市遺跡を彷徨っていたときは。

 どこへ行こうとどこまで行こうと、地上に自分のいるべき場所はないのだから。

「今は……」

 真の意味で天に戻るには、エレンを見殺す必要がある。左目が疼く。右脚がおかしい。異常アラートが視界を覆う。今は……今は……。

「……ん? なんか、ヘンな臭いしない?」

 ふっと、ファナゼットが呟く。

「え?」

「……ム」

 その発生源を見れば、コロッケがどれもこれも黒タライに負けないほど真っ黒になっている。加熱のし過ぎで炭化したのだ。

「わわ、忘れてたあ!」

 慌ててルクスが発熱機構の電源を落とすも、最早後の祭り。

 食物よりも鉱物に近しい見た目をしたそれを、アデルはひょいとつまみ上げて口に放り込む。熱への耐性は流民に比べれば高いので火傷の心配もない。

「ど、どうですか……?」

「ギリ、食べれそう?」

 しっかり咀嚼し、飲み込んでから。

「解説をすると……まず、ほぼ完全に炭化した衣の味。しかし噛んだ中身、中心部は熱変性をしきっておらず、培養肉が殺菌されていない……つまり、生。また、芋の潰し具合や混ぜ具合が均一でなく、生成塩の塊が紛れ込んでいるため、血圧上昇の恐れも見込まれる」

「うわあ……」

 その味を想像したらしく、ルクスとファナゼットがなんとも言えない顔のゆがめ方をした。

「っていうかあんた、生肉食べて大丈夫なの……?」

「自分は頑丈だから問題ない。が、あなた達には間違いなく有害。食べないことを推奨する」

「言われなくても食べないわよそんな炭。……でも、中身は生だったのよね? どういうことかしら……?」

「……不明」

 これ以上加熱すればますます炭の部分が増えるが、しかし加熱殺菌されていない肉は流民が食べるのに適さない。この二点は矛盾しており、コロッケのパラドックスと言ってもよかった。

「ええと……その、もっと低温で加熱したらいいのでは? その発熱機構、たぶん元々プラスチックプリンタのパーツなので、軽く300度くらいは出ますし……」

「……なるほど。確かに、低温で長時間をかければ、外部と内部に伝わる熱の差異は少なくなる」

 パラドックスではなかった。

「芋も、もうちょっとゆっくり茹でた方がよかったんじゃないの? 硬くて潰しにくかったわ」

「生成塩は細かくして、量も減らしたほうがいいかもしれませんね」

「芋の破潰は自分が担う。出力が最も高い、から」

 話しているうちに、どうしてだろうか。

 未だ点滅するアラートのことも、うまく動かない片足のことも、半分しかない視界のことも、気にならなくなってくる。

 流民というのは、残虐で非道で不合理な人間もどきだと。その情報は、本能のごとくアデルの――【αーdelta】の根幹に刻まれている。

 それが絶対ではないことを、既にアデルは知っていた。エレンのことだ。しかし、それは彼が特異な個体であるからだろうと結論づけたし、事実後になってから保持する因子割合が著しく高いことも発覚している。

 でも、今。アデルはルクスともファナゼットとも、必要ない言葉を交わしている。

 揺らいでいる。変わっている。

 アデルは、もうひとつコロッケを口にした。希少な卵を使ったそれは、しかし最早廃棄物も同然だ。もったいないとは思うけれど、元に戻す方法もない。一度変わってしまったものは、そうやすやすと戻らない。


 ――苦いな、と思った。


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