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第一章『あなたのこころ。』②

 「コメディ書く人が、所謂陽キャでパリピとは限んないよ、全然。逆に、自分が暗い人間だからコメディにこだわる! それしか書きたくない! って人も知ってる」

 つい疑問を口にしてしまった祥真に、サークルでも常に主演級を張っている三年生の佐治さじ 崇彦たかひこが話してくれた。

 実際にはそういうものなのかもしれない。

 リュウの持つ力を認めているからこそ、真似ではなくても結果的に近くなるというのは十分に有り得そうだが、郁海はそのあたりの切り離しに迷いがないようだ。

 あるいは、最初から二人が元々持つものが違い過ぎるからだろうか。書きたいなどと考えたこともない祥真には、本当に理解できなかった。

「俺さ、顔は別に大したことないだろ?」

「え? えっと、佐治さんはたしかにすごいイケメンとかじゃないですけど、あ、すみません。でも俺は表情の作り方とかカッコいいなと」

 崇彦の唐突な問い掛けに答えに困る祥真に、彼の対応は実にあっさりしたものだった。

「気ぃ遣う必要ないって。『役者は顔じゃない』って今の俺はわかってるし、これでも自分に自信あっから。自惚れだけじゃなくてさ。必死で努力して演技力とか磨いて、認められて立て続けにいい役もらってるしな。……でもガキの頃副島さんみたいな見た目完璧な人が傍にいて、『舞台になんか立ちたくない。裏方やりたい』っていうの聞いたら、嫉妬でヤバかったかもしんないな〜とは考えるよ、実際」

 彼も幼い頃から劇団に所属して、役者を目指してきたらしい。

 三年生で二十歳だが、『芸歴』は十五年を超えるのだとか。

「まあ『裏方やりたい』子どもが劇団なんて入んねーし、もし無理に入れられたりしてもまず続かないけどな。結構ハードな世界だから、あれも」


「副島さんや祠堂さんがどうかは全然知りませんけど、普通小さい頃から『脚本書きたい!』って方が珍しくないすか? 舞台でスターになりたいってのはよくあるとしても」

 そりゃそうか、と崇彦は真顔で頷いた。

「──ああいう人には、それこそ俺にはわかんねえ悩みとかがいっぱいあるんだろうな、とは思ってる。俺とは逆で、あまりにもキレイ過ぎて苦労もしてそうだなって。案外さ、男の方が目立つもんに攻撃的だったりすんだよ」

 彼の論は祥真にも何となく理解できる。

「『女は足の引っ張り合いが~』とか言うけど、結構女の子ってキレイな子好きじゃん? 中身がよっぽど悪けりゃ別だけど。俺も昔は顔が良ければ何でもうまく行きそうとか考えてたけど、そんなもんじゃないよな」

 リュウと郁海の共通点のひとつは、傾向は違うがどちらもかなりの美貌の持ち主だということだ。身長は、リュウのほうが十センチは高いけれど。

 それが裏方志望に関係しているのか、それとも単なる偶然なのかさえ祥真には考えも及ばなかった。

「俺もさ、関係ないやつに『テレビとかならわかるけど、舞台なんてその時限りで何も残んないのに』って言われたら反論もしたくなるもんな。いや黙ってるけどさ。そういうやつには何言っても無駄だし」

「……残んないからいい、って考えもありますよね? その場だけの『ライブ感』ってのか」

「なんだよ、お前結構わかってんだな。『一期一会』ってやつな」

 崇彦の感心したような声。

 そこまで深い考えで口にしたわけではないのだが、祥真はそれこそ黙っておいた。

「実際さぁ、見た目だけなら俺よりお前のが上じゃね? 原田って結構いい顔してんじゃん。よく見るとわりと整ってるし、愛嬌あっていいよな。そういうのって持って生まれたもんだから」

「え!? あ、あの俺、顔褒められたのなんて初めてです! いや、褒め言葉じゃないかもしれませんけど。いっつもせいぜい『可愛い』で」

「ああ、まあお前可愛いよな。造形的な可愛さよりも、なんてーか仔犬っぽい可愛さ」

 バカにしてんじゃねえよ? とわざわざ断って具体的に評してくれる先輩。懐いてくるさまが可愛い、という意味だろうか。

「あと、結構声渋くていいよ。声こそ天性の部分大きいからさ」

「あ、はい。意外と低いってよく言われます。でも俺の声籠ってるっていうか、ちょっと何言ってるかわかりにくいんですよね」

「そこは訓練。発声頑張れ。……舞台立つならな」

 不意に耳に蘇る、祥真ほど低くはないが響いて聴きやすい郁海の声。

「祠堂さんの書くもんは基本難解でさぁ。役とかストーリーの流れとか、解釈もなかなか大変なんだよ。必死で考えて役作りして行ったのを、一言でバッサリ『そうじゃない。ちゃんと読んだのか?』って切られたりもするしな」

 祥真はまだ「役」を与えられたことはなかった。

 もちろん『舞台を作る』一員として必ず脚本には目を通す。時には、「その場にいるから」程度の理由で脚本ホン読みの相手に指名されることもあった。

 希望もしていないし自分でさえ役者に向いているとは感じないため、このまま舞台上には立たずに終わるのではとさえ考えている。

 だから崇彦の言う「役作り」については、真の意味では理解できないのだ。

「でもあの人の演出どおりに演じたらやっぱすごいいいものができるんだよ。普段はあんなグダグダな人なのに。『才能』ってのはこーいうのなんだな、って祠堂さん見るたび実感する」

 このサークルの誰もが、リュウを語るときどこか遠い目の同じような表情を浮かべる。素質だけでは語れない有り余るものを、常日頃から見せつけられているせいか。

「……けどさ、俺は副島さんのコメディも好きなんだ。別にわかりやすくはないんだけどな、あの人のも。あの二人に共通すんのは『心理描写の細かい人間ドラマ』かな」

 彼が郁海を認めているのだ、というのは祥真にも伝わった。

 郁海の存在を、実力を。

「今年の新人公演の脚本、副島さんでしたよね。演出も一人でやったの二回目だって言われてました」

 新人公演は毎年夏休み中の八月に行われ、演者も基本的には一年生を中心に構成される。祥真も裏方で参加していた。

 新人公演にリュウの脚本を使わないのは、いくら経験者が多いとはいえ一年生には荷が重すぎるからだろうか。脇は主に二年生が固めるとしても、公演の趣旨から主演は必ず一年生から選出されるからだ。

 同時に、彼以外にも脚本を書き演出させる機会を与える意味もあるのだろう。

「去年もだけど、二年前俺が入った年の新人公演もそうだったよ。そんときの演出は、もう卒業した尾崎おざきさんと共同だったけど。俺が初めて主演に抜擢された演目だから、きっと一生忘れない。──なんせあれだけはDVD買ったからな!」

 小さい頃から数え切れないくらい舞台には立って来た。だから板の上舞台で緊張した覚えなど一度もない、と平然と嘯く崇彦。

 その彼でさえ、初めての主演は特別らしい。

 サークルの公演は、商業演劇とは違ってせいぜい数回ずつの上演ということもあり、毎回映像記録を残しているのだ。

 内部の希望者にはほぼ実費で分けてくれている。

 もちろん外向きにはそれなりの値で販売していたが、意外にもファンも付いていてそこそこ売れているらしいと聞かされたことがあった。

「だから俺は、『あの程度の顔で』ってのはもう褒め言葉だと受け止められる領域まで来たわけよ。『そう、顔じゃねーんだよ! 俺には顔だけじゃない力があるんだ!』ってな」

「あの俺、佐治さんがどんな役でもこなせるのも当然なんだな、って気がしてきました。あ、なんかえらそうですみません!」

 謝る祥真に、先輩は笑みを浮かべて首を左右に振った。

「実際テレビドラマとか観ててもさ、まあ所謂イケメン集めたアイドルドラマはまた別枠として、美形ばっかのドラマなんて嘘くさくねぇか? 『見た目はごく普通、あるいはそれ以下』のベテランバイプレーヤーがいるから成り立つ作品なんて山程あるだろ。悪役に限らず」

「……俺は演劇のことなんてまだよくわかってないんですけど。だから何も考えずにドラマとか観て、佐治さんが言われたみたいなことなんとなく感じてます。いちいち意識しながら観ませんけどね」

 本来エンタメなんて小難しいもんじゃないからお前が正しい、と崇彦がさらりと口にした。


    ◇  ◇  ◇

「ちょっと、崇彦! 逃げんじゃないよ!」

「いや、勘弁してくれよ……。気持ちなんて縛れねーだろ、な? 晶穂あきほ──」 

 掴みかからんばかりの同学年の女子学生に、全身で引き気味の崇彦。

「ここがどこだかわかってんのか!? 家で、……せめて他でやってくれ。迷惑なんだよ」

 郁海の静かな一喝に、一瞬にして部室に緊張が走った。

 彼の容姿からの印象とは少し違う、落ち着いた低めのよく通る声。抑えた響きが余計に怒りを感じさせる。

 いま祥真も含めた皆がいるのは演劇サークルの部室。歴とした『公の場』だ。

 恋愛沙汰の修羅場を繰り広げるには相応しくないのだけは間違いない。

「……副島さん。すみません、ホントに。すぐに出て行きますから!」

「崇彦!」

「頼むよ、晶穂。ここではやめよう」

 崇彦が騒ぐ晶穂を宥めすかして引き摺るように部室を出て行くのを見届けて、祥真は表には出さないように安堵の溜息を吐いた。

「あいつら二人、六月公演で主演同士だったじゃん? まあ実際よくあるんだよ。恋人役やって、そのままプライベートでも恋愛関係になって、なんてのはさ。……で、佐治はもう今の相手役と付き合ってるわけだけど。次の十月公演の準主演ペアでな」

 呆然として見えるのだろう祥真に、郁海が説明してくれる。

 そういえば崇彦と晶穂は件の公演の練習中、祥真が知る限りでも休憩時間もいつもべったり一緒だった。演技の打ち合わせをしているとばかり思っていたが、リアル恋愛状態だったわけか。

 映画やドラマの俳優のものとしてはよくある、むしろ聞き飽きた話ではあるものの、現実に目の前で起きるとは。

「恋愛関係は全然いーんだよ。全員とは言わねえけどそれだけ役に本気になって、入り込んでるって証でもあるし。それで役柄にリアリティが出るなら別に悪くは無いんだ。──正直俺はリアルとリアリティは別モンで、演技なんて『いかに嘘を嘘っぽくなく魅せるか』だとさえ考えてんだけど、それはまあそれとして」

「えっと無責任に聞こえるかもしれませんけど、そこまでのめり込めるのも逆にすごいな、って俺なんかは思います……」

 遠慮がちに口にした祥真に、郁海は軽く肩を竦めた

「練習中に付き合い出して、公演終わったらいつの間にか別れてる、とかは少なくともここでは珍しくもないんだよ。たぶん他所もたいして変わんねえ気はする。役者の性、っていうと怒る人も多そうだけどな。……ただ、今のあいつらみたいに周りを巻き込まれんのはホントに困るんだ」

「それはもちろんわかります」

 祥真のようなただの一年生なら居心地が悪い程度で済むが、特にそれなり以上に責任ある立場を負う上級生は迷惑どころではない筈だ。

「俺は脚本も演出もせいぜい年一だし、気まずい関係の奴らと次の演目でも一緒って経験はない。それに、祠堂さんはそんなの気にしないだろうけどさ。つかあの人なら『演技の肥やしになるならいいよ〜』とか考えてるかもな。『稽古場でさえ揉めなきゃそれでいいじゃない。なんか問題あるの?』とか平気で言いそう」

 確かにリュウは、如何にも神経質そうな線の細い外見の印象に反して、ある意味非常に杜撰な人間だった。

 必要以上なほど細かく繊細な部分もあるにはあるのだが、主に脚本執筆に関してに限られている、らしい。

 現実にリュウが吐きそうな台詞に、この人は本当に彼を見抜いているのだ、と微妙な気分になる。

「でも俺はちょっと無理だな。結局、こういう『フツー』っぽいとこが向いてないのかもしれないなぁ。けどさ、舞台は大勢で作るからこそ、最低でもみんなの前では出すな! とは言いたくなるんだよ。稽古場で繕えりゃいいわけじゃなくて」

 ……同時に、むしろ郁海の方が「演技の肥やし」と考えそうだ、と感じていたのはどうやら自分の一方的な思い違いらしいとも痛感させられた。

 人間味を感じないほどの端正な容姿が、根拠のない先入観を加速させた側面もありそうだ。

 よくある話だという割に祥真が今まで知らなかったのは、他の当事者たちは人前では一応でも普通の顔で通していたということなのか。

 あるいは、単に祥真に人間関係の機微を見る目が足りないだけかもしれない。

 これまで祥真は郁海のことを、もっと「演劇人らしい」破天荒なタイプではないかと感じていたのだ。

 おそらくは故意に貼りつけている温和な表情とは裏腹に、口調は丁寧とは言えない。どちらかといえば尖った言動を取っているのも事実ではある。

 それ以上にずっとリュウを見て来たからこその偏見で、脚本家・演出家に対する風評被害に等しいかもしれない、と密かに反省してしまった。

 祥真は確かに郁海が好きだった。

 美しく整い過ぎた顔立ちに、よく変わる表情。

 笑顔一つとっても、綺麗な、可愛い、皮肉げな、と何種類あるのかと思うほどだ。

 溢れるほどの魅力がある素敵な人。ただひたすらに、彼だけを見つめ続けたこの数か月間。

 けれど結局、自分は郁海の表面しか見ていなかったのかもしれない。

 加えて、そのあと彼と親しい雅と不可抗力で仲良くなったことで、郁海についての『真実』が副産物のように増えた。

 ただ彼女は他人、つまり郁海について祥真に情報を垂れ流すような真似は決してしない。

 そういう女性ならおそらく距離を取っていただろう。

 もともとあまり、外での『飲み会』を催すことはないサークルなのだ。

 公演が多く、必然的にそれに伴う練習も多いというのも理由かもしれない。

 有志で行くことはあるようだし、何よりも部室に酒と肴を持ち込んでいつの間にか酒盛りになっていることは珍しくなかった。

 しかし下級生は、その場に気軽に加わるのも気を遣う。

 祥真も誘われた全体でのコンパは、夜にはそろそろ気温も下がる十月が最初だった。

 十月公演も無事終了した時期だ。

 新入生歓迎会さえ部室で行われたのだが、十代の学生に酒類は出されていない。

 過去に事件を引き起こしたサークルがあるらしく、特にその時期は学内の飲酒への大学側の監視の目が光っていたのだそうだ。 

 クラスコンパには何度か参加していたが、こちらはクラス担当の講師が非常にルールに厳しくアルコールはご法度だった。

 本来、そちらが自明なのは言うまでもない。

 初めて参加したサークルコンパだったが、さすがに十九歳ということもありアルコールは乾杯の一杯だけ。

 もちろん一滴も飲んではいけないのは当然だとして、そんな倫理観を大上段に振りかざすようなまともな先輩はこのサークルには少ないのだ。

 結局祥真は、ビールをジョッキに半分も飲んでいなかった。

 しかし飲み慣れていないこともあり、アルコールそのものよりも周りの賑やかな雰囲気に酔ってしまう。

 コンパの最中全力ではしゃぎすぎて、祥真は座敷形式の店で寝ころんだまま起きられなくなった。


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