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第29話 (侑希side)

夜の風が吹き抜けていって、昼の太陽にやられた体には、少し冷たい空気が気持ちよかった。フェンスの近くまで歩いていって下を覗き込めば、生徒がたくさんいて、ざわざわと騒いでいるのが聞こえる。それなのに、凛と2人だけのこの空間は、すごく静かだった。


2人でフェンスのそばに腰掛けて座った。少しして、次々と花火が上がり始めた。

「めっちゃ綺麗だね」

「そうね」

何か喋るわけでもなく、ずっと花火を見ていた。この運動会の後の花火は、そこまで長い時間打ち上げられるものじゃない。あと何本か上がったら終わるだろうか、と考えていると、ふと、私の手に凛の手が重ねられた。


手を握られたことは何度もあったけど、花火を見ながらこんな風に手を重ねられると、どうしても隣に座る凛のことを意識してしまう。でもここでウブな反応をしてしまって、いつもみたいに凛に揶揄われるのもなんだか癪で、私はあえて我慢して凛の方を見なかった。


最後の花火が上がった。

花火の音が止んで静かになった空間で、私は凛に手を重ねられているから、動けないでいた。


なんとなく恥ずかしくて見れなかったけど、凛は今どんな顔をしているんだろう。

そう思ってそっと横を見ようとした瞬間、スッと横から出てきた顔。凛が顔を覗き込んでくるのはよくある事だから、なかなか自分の方を見てくれない私に痺れを切らしたのかもしれない。

でも、今日はなんか近いな。いや…えっ?

あまりに急に距離を詰めてきた凛の顔。ぶつかってしまいそうで反射的に目をつぶった瞬間、私の唇にそっと柔らかいものが触れた。


それが離れていくと同時に、そっと目を開く。

目を見開いて、私の目の前で微笑んでる彼女を見つめる。なに、いま私、キス、された?

「なっ…え、?」

頭が真っ白になってなにも言えない私。キスって、そんなの…

「ふはっ。すごい顔してる笑」

凛はなんでもない事みたいにそう言って笑った。心臓がバカみたいにドクドク鳴ってるのは、私だけなんだろうか。


私がキスされた姿勢のまま動けないでいると、凛は重ねていた手を離してゆっくりと立ち上がった。

「さぁ、帰ろうか」

あっという間に私に背中を向けて、扉の方へと歩き出した凛。

「ま、待って」

私は慌てて彼女の後ろを追いかけて、その手を取った。


静かな校舎を手を繋いだまま歩く。

「珍しいね、侑希」

「なにが?」

「手」

そう言われると、こんなふうに自分から繋いだことに急に恥ずかしさが込み上げてきた。

「別に…。暗いのが怖いからよ」

「ふはっ、そういうことにしとくか」

「なによ」

「ううん、なんでもない」


階段を降りて、玄関の方に向かって歩いていく。旧校舎の廊下を早足で歩いていると、凛が喋り始めた。

「ここ、懐かしいね。覚えてる?」

「え?」

「1番最初だよ。私が蒼くんってバレて脅された時。昼休憩に呼ばれてさ、侑希が何も言わずにどんどん進んでいくから、何言われるんだろうってヒヤヒヤしてたんだ」

「そんなこともあったわね。あの時は、悪かったわ」

「そのおかげで侑希に会えたんだから。良かったって思ってるよ」


あぁ、これだ。凛のこういう真っ直ぐなところが、私はたまらなく大好きなんだ。話せば話すほど、凛のことを好きになっていく。この人は私をどれだけ惚れさせたら気が済むんだろうか。


「もうあれから1年も経つんだね。1年前の私達は、こんなに仲良くなってるなんて、きっと想像もつかないだろうな」

「そうね」


玄関を出る。もう怖くはないけれど、手を離してしまうのも嫌だったから、繋いだままで家まで歩いた。


凛はいつも通り喋っていたけど、私はそれどころじゃなかった。上の空で凛の話に適当な相槌を打ちながら、繋いだ手だけは離さないように強く握りしめる。


隣で歩く凛は、一体何を考えているんだろう。さっきのキスは無かったことにするつもりなんだろうか。もしかして、海外の挨拶みたいなノリでやったとか?いや、そんなわけないでしょ。というか、そんなの許さない。だってあれは、私のファーストキスなんだから。


いつも、バイバイする分かれ道まで来て、凛はスッと繋いでいた手を緩めたけど、私はまだ、その手を離すつもりはなかった。


「ん?」

少し揶揄うみたいな声でそう言って、こちらの顔を覗き込む凛。この人はどうして、なんでもないような顔をしていられるんだろう。私に、キスしてきたくせに。

キスは好きな人とするものじゃないの?私のことが好きなら、ちゃんと言葉にしてくれなきゃ…そうじゃなきゃ、私の方からは何も言えない。でも、このままなかったことにして帰るなんてできない。


「もう夜遅いし、帰んないと」

「…」

「侑希お嬢様は、おうちまで送って欲しいのですか?」

「……うん」

こんなわがまま言うのは初めてだった。面倒くさいと思われたらどうしようと、不安になって彼女の方を見上げると、目を細めて優しく微笑んでくれる凛。そして、さっきまで緩んでいた手が、またギュッと握り締められた。



わざとゆっくり歩いていたのに、気づけばあっという間に、私の家まで着いてしまっていた。


「つきましたよ、お嬢様」

「うん…」

「んじゃ、帰るね」

「危ないから、送ってく」

「そしたら、今度は私が、もう一回侑希をここまで送らなきゃいけないでしょ?」

「……」

どうにもならなそうだから、私は黙って手を広げた。

「ふふっ。今日は甘えたなの?」

「ん」

笑いながら私の腕の中に入った凛は、そのまま腰に手を回してきて、身体がぐいっと引き寄せられた。


「ほんとにかわいいね、侑希は」

耳元で聞こえる大好きな声。


「かわいい」なんて、生まれてから何度も聞いてきているはずなのに、凛から言われただけで、今までもらってきたものとは比べものにならないくらいに嬉しくなった。そういえば、凛からかわいいって言われるの、初めてかも…。そう気がついた途端、自分でも分かるくらいにカァっと顔が熱くなる。

「別に、かわいくない」

「そういうとこが可愛いの」

「もし、そうなら、凛のせい、だから…」

自分で言って、恥ずかしくなった。俯いていると、凛の手が私の顎に添えられてくいっと上にあげられた。


あ、また…。


今度は目を開けたままだった。凛はしっかり目を閉じていて、睫毛やっぱり長いな、なんて、その場に不釣り合いな感想を思い浮かべていた。

自分の口から離れてしまった熱が寂しくて、でも私の方からもう一度追いかけることはできなかった。


「りん…」

「その顔、かわいい」


そう呟いた凛に、やさしく頭を撫でられる。私はその手を取って、自分のほっぺをすり寄せた。かわいい、と笑う凛の声が聞こえる。


今日の私たちはダメみたいだ。もう、歯止めが利かなくなってる。そのまま2人で触れ合っていると、車の音が聞こえて慌てて凛から離れた。


「お父さんかな、いつも遅いのに」

「じゃ、じゃあ、私帰るね」

「うん…ばいばい、凛」

「バイバイ」


凛が見えなくなるまで、その後ろ姿を見つめていた。そして、凛とすれ違うようにお父さんが帰ってきた。

「あれ、侑希。こんな時間に外に出て、どうしたんだ?」

首を傾げるお父さんに、今帰ったところだと伝えて一緒に家に入る。

家政婦さんが作ってくれたご飯を2人分温めて、久しぶりにお父さんと食卓についた。

「お父さん、今日は早いんだね」

「うん、たまたま。今日の運動会、見てたぞ」

「知ってる」

「徒競走は、その、残念だったな」

「毎年のことじゃん」

「足が遅いのは誰に似たんだろうな。お母さんかな?」

「お父さんでしょ。昔から運動できなかったの知ってるんだから」

「ははっ、バレてたか」

冗談を言って笑うお父さん。毎日こうやって、笑い合いながら家族でご飯が食べられたらいいのに。でも、お父さんもお母さんも頑張ってくれてるんだから、そんなこと言えない。

将来、私に家族が出来たら一緒に食卓を囲みたいな。向かい側には凛が座ってて、私の作ったご飯を美味しいって言いながら食べてくれて…。

って、侑希が家族になるって、そ、そんなわけないのに!!勝手に変な妄想をしていた自分に驚いて、同時にとてつもなく恥ずかしくなった。

「どうかしたか?」

「ううん、なんでも無い!ごちそうさま!」


ご飯を食べ終えた私は、すぐにお風呂へ向かった。


熱いシャワーを浴びて1日の汗を流す。侑希はあんなに動いて汗もかいていたはずなのに、近づいた時は、いつもみたいに爽やかないい匂いがした。私は大丈夫だったかな。ほとんど汗かいてないし、会う前にちゃんと汗拭きシートで拭いておいたから、大丈夫だと思いたい。


体を洗ったあと、湯船に浸かって口元までお湯に体を沈めた。さっきまで忘れていたけど、そういえば私、凛とキスしたんだった。しかも1回だけじゃなくて、2回。


私はお風呂の中で唇に自分の手を伸ばした。ふにっと私の指が触れるけど、あの時の感触とは全然違う。凛の唇は柔らかくて、触れるだけで気持ちよかった。


あの時、まさかキスなんてされると思ってなかったからびっくりしたし、何より恥ずかしかった。だけど、自分で驚くくらい、すごく嬉しかった。凛と出会う前は、唇を合わせることに何の意味があるのか、なんて思ってたけど、もうそんなこと絶対に言えない。だって、あんなに幸せな気持ちになれるって知ってしまったんだから。


ぼぉーっと顔を上げて天井を見つめる。次会う時、どんな顔して会えばいいんだろう。きっと凛は普段と変わらない感じで接してくるんだろうけど、私は上手くできるんだろうか。目を見て話せる自信がないけど、でも、早く会いたい。さっき別れたばっかりなのに、もう凛不足になってる。


私たち、これからどうなるんだろう。

ハグをして、キスもして、その後は…

そこまで考えて私は首を傾げた。あれ、何か間違ってる気がする。うーん、何かこう、違和感が………ちょっと待って!!私、凛に告白されてないんだけど?!


いきなり湯船から立ち上がったから、お風呂のお湯が一気にザーッと外に流れていった。

私たち、付き合ってもないのにキスしたんだ。キスをするのは付き合ってからだと思っていたから、何だかいけないことをしてしまった気分になる。

次会ったら、私、告白されるのかな。

もしそうなったら、返事はもちろん決めている。私が断る理由なんて、どこにもないから。

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