翌週の木曜日、俺とりりんはエリカのインプレッサで日影沢キャンプ場に向かった。JRの高尾駅でりりんを拾った、高尾山口だともの凄く時間をロスするらしい
高速道路に沿っているウネウネした道をしばらく走り、途中で細い脇道に入っていく。車で通るのが恐いような細い橋、『高尾山国有林』と看板が出ている。
「えー? なにこれ、モロにダートじゃない!」
キャンプ場への道に入るとエリカが悲鳴を上げた。車1台がようやく通れる巾しかない土の道だ。
「あんたのお兄さん、どうやってキャンプ場まで行ったの?」
「スクーターで行ったみたいです。その少し前にバイクの免許取ってました」
のろのろと坂を登りきったところがキャンプ場で、ダンジョンはここから歩いて15分ほどのところだ。管理棟とトイレはあるけど、まだ午前の早い時間だから誰もいない。
車の中で、途中のコンビニで買ったおにぎりとサンドイッチを食べた。
「何か見つけても、現場写真を撮るまで触らないでね」
「わかりました」
「お兄さんの物だってわかっても、事件性がないことを確かめてもらう必要があるから一度高尾警察署に届けるのよ。そのあとでお父さんかお母さんに引き取りに行ってもらう」
「……はい」
3人ともトイレを使い、ダンジョン探索の装備を調えた。町田の大学ダンジョンに引き続いて、またもや未知のダンジョンだ。
「あそこ……」
10分くらい歩いて、俺は木立の間に見えてきた小屋を指した。
「丸太小屋を過ぎて、その先で道が二股になってるから。右を登って行く」
「ホントに……あんたの、引きこもりのアニキ。こんなとこまで来たの?」
エリカが息を切らしながら聞くと、りりんは自信なさそうに首を傾げた。
「スクーターだったら、ずっと乗って来れるか……」
「木の杭……これかな?」
それほど古くない角材の杭が道路の脇に立てられていて『日影沢D』とマジックで書き込まれている。そこから林道を外れて林の中に分け入って行くのだ。まだ下草はそれほど伸びていなくて、ダンジョンへの道は何とか見分けることができた。
木の枝を拾って、それで時々蜘蛛の巣を払いのけながら進むこと5分ほど。木立の間に、岩場に口を開けた洞窟が見えてきた。そして入口の脇に、原付のスクーターが倒れて半分草に埋もれていた。エリカが草をかき分けて、ナンバープレートを写真に撮っている。
「さーて……」
俺はバンダナを頭に巻いてヘッドランプを取り付ける。エリカが言ったとおり、入口は足首あたりまで泥水が溜まっていた。
入口のところは結構高さがあったが、すぐに俺の頭にすれすれまで低くなった。そして嫌な物も見えた。入って数メートルの進んだところで、壁も天井も全部スライムで覆われているのだ。
「うわ……」
ダンジョンに入ってきた虫やらネズミがスライムに捕まっている。下を通ったときに落ちてくるかも知れないので、端からハンマーで叩いてガラス化させておく。
「何だよここ、スライムだらけだ」
地面の水はなくなったけど、数歩ごとに壁をスライムが覆っていて手間を取られる。西3丁目公園に比べたら小さなダンジョンなのに、ここは山の中だからエサが多いのだろうか。
「ひゃく……20歩」
エリカが声をかけてきた。だいたい100メートル進んだことになる。今のところ見えるのはスライムだけだ。さらに進むこと20歩。
「分岐だ」
左方向に分かれ道がある。
「どっちだと思う?」
ここはりりんに判断させることにした。
「まっすぐ、行きます」
りりんは一瞬も考えないで答えた。俺はペグを岩の隙間に打ち込んでミズイトを結びつけた。
「ミズイトが全部出たらそこで引き返す」
ロールを渡しながら言うと、りりんが頷いた。ダンジョンスキルも経験もない人間がこんなところに入って、生きて100m進めただけでも奇跡だ。
「どーんなー言葉が、あなたーに……伝わるのかな。多くーの時がすぎてーもーあなたはそばで笑ってる。疑うこともない、いつだって、少しの勇気があれば、未来を捕まえられる」
小さな声でりりんが歌っている。町田の、大学のダンジョンでおっさんのスキルをはね返したときの歌だ。
「りりん……それ、
後ろでエリカが聞いている。
「いえ。
「ああ……昔のだけど、私もその曲好き。きれいなメロディーよね」
「いつの?」
俺が聞くとエリカがちょっと考えた。
「えーと……30年以上、32年前か」
俺が生まれる前の曲だ、知らないはずだ。
「歌ってて……時々泣いちゃうんです」
りりんが言った。
「あたし、まだ自分の曲ってないんですけど。いつか……これをカバーで歌わせてもらったら、もうそれで満足なくらい好きなんです」
しばらく、エリカとりりんの合唱を聴くことになった。当然だけどりりんの歌声が圧倒的にキレイに聞こえる。
そのとき、ライトの中に『何か』が浮かび上がった。
「止まれ!」
一瞬、自分が見ている物体が何だかわからなかった。通路の下半分をふさいでいる大きな盛り上がり、それがてらてらとライトの光を反射させている。
「なに?」
「スライム……の固まり、かな?」
ここだけ地面が盛り上がっているのでなければ、大きなゴミバケツに何十杯分だかのスライムが一箇所に溜まっていることになる。
スライムの山の中に、何か黒いかたまりが見えて俺はぞっとした。同じような光景を以前に西3丁目公園でも見たことを思い出した、
「どーするかな……」
これだけ大量だと、ハンマーで叩いてもそう簡単にガラス化しないような気がする。あの時は3人がかりでスライムを掘ってかき分けて、探索者の残骸を回収したのだ。
考えているうちに、スライム山がぬるぬる動き始めた。俺たちの方に近寄ってくる。
「やべえ……下がれ」
スライム
「おらっ!」
俺は一歩踏み出してスライムの端をハンマーで叩く。ピシピシ音を立ててガラス化はするけど、後から後からスライムが押し寄せてきてぜんぜん止まらない。
「だめだ。逃げよう!」
「うわあぁぁ……」
できるだけの速さで逃げ戻ろうとした。
「うわあ!」
りりんが悲鳴を上げて足を止めた。
「あ……」
分かれ道のもう一方からもスライムが押し寄せてきて、入口への通路を埋め尽くしていた。
「やべえ……」
ほかに方法がないのでスライムをネトネト踏んで進む、だが長靴に粘りつくのでメチャクチャ遅くしか歩けない。そのうちに後ろからスライム津波が追いついてきた。
「圭太! 何とかできないの?」
「これでガラス化させたら、俺たちが動けなくなる!」
長靴がガラスに埋まったら、その先は裸足で歩くことになる。それも足が抜けたらだ。
「うっ……ああ……」
エリカが動けなくなった。長靴が抜けなくなったようだ。
「引っ張るぞ!」
長靴ごとエリカの脚をつかんで引いてやる、『じゅぽっ』と音がして抜けた。でも今度は俺の長靴がスライムに深くめりこんで抜けなくなった。
「くそ……こん畜生!」
体が軽くて身体能力が人外なりりんは何とか普通に歩けているけど、俺とエリカはもうスライムが進むよりも遅い。
「圭太!」
悲鳴のようなエリカの声。いつの間にか腿の半分くらいまでスライムに埋まっている。
「この野郎!」
叩くのではなく、スライムをえぐって掘り返すようにハンマーを振った。スライムが飛び散って、空中でキラキラした破片になる。4回、5回でエリカの脚をスライムの中から堀り出して下半身を引き抜いた。
「うっ……」
歩きだそうとしたその時、今度は俺の足が膝までスライムに埋もれていた。
「圭太さん!」
りりんが俺の手を引いてくれる。りりんに支えられて、足をメチャクチャ蹴るようにしてスライムの中から引き抜いた。
「もうダメ! 圭太! あたし置いて逃げて!」
エリカが叫ぶ、また膝の上までスライムに埋まっている。
「そんなこと、できるか!」
言ってしまったのだ、『たとえエリカが死んでもダンジョンから連れて出る』と。ハンマーで、とにかく自分とエリカの周囲を叩きまくった。スライムがへこんでガラス化するけど、すぐまたそこにスライムが流れこんでくる。
「くそー! どんだけいやがるんだ!」
叩いて叩いて、気がつくと俺もエリカも半分ガラスになったスライムに囲まれる状態になっていた。スライムの土手は腰の上まで高さがあって、さらにそれを乗り越えてスライムが入ってくる。
『やばい……こんな浅いダンジョンで……』
エリカも助けられないでスライムに食われるのか。
「りりん! お前だけでも逃げろ!」
土手の外にいるりりんに叫んだ。
「だめぇ!」
りりんが叫び返した。ものすごい高音で、
「あたしも、そこ行きます!」
「ばか野郎! 危ないだけだ!」
「だめよ! りりん! 逃げてー!」
「いやぁ!」
りりんの絶叫。ダンジョン中の空気がびりびり震えた。
「あたしのせいで……いやですぅ!」
ふいに、りりんと俺たちを
「なんだ?」
考えている余裕なんかない。目の前に残ったスライムガラスの壁をたたき壊す、それからエリカを引っ張り出そうとした。エリカはもう胸までスライムに呑み込まれている。
「エリカ! 動け! 腕だけでも!」
この状態でガラス化させたらエリカがガラスに閉じ込められる。
「だめ……もう……息……でき……」
「エリカさーん!」
りりんがガラスを踏み越えて来て、凄い声で叫んだ。一瞬、俺まで体がすくんでしまった。エリカを包んでいたスライムがブルブルと震えた。
「エリカさんを放せー!、 このクソスライムー!」
鼓膜どころか、俺の頭の奥や背骨にまでビリビリ電気が流れたような衝撃。まるでりりんの声で押されたようにスライムがへこんだ。そして溶けるように流れ落ちて行く。
「スライムが……水、に?」
「なに……どうなったの?」
スライムが流れ落ちて、エリカがよろめきながら言った。
「こないだの……変なオッサンの力打ち消したのとか。これ、りりんのスキルじゃないか?」
それ以外にスライム津波が消えてしまった理由はない。水のようになってしまったスライムは入口の方に流れて行く。
「スライムは、アメーバみたいな微生物の塊だって……ダンジョン博士が言ってた。スライムじゃなくなって、微生物に……戻った?」
エリカが難しい顔で言った。
「もう一度、さっきのところに行こう」
「え?」
俺はハンマーを肩に担いだ。
「スライムの、山の下に何か見えたんだ。あれだけスライムがたまる何かって……」
それ以上言う気が起こらなかったけど、エリカもりりんも察したらしい。黙って後ろについてきた。
「あれか……」
スライムがいなくなった場所で、俺は異物と距離を置いて足を止めた。灰色か黒か、何かの固まりが通路の真ん中にある。俺はいつでも振り下ろせるようにハンマーを構えて、身長に『それ』に近づいた。
「リュック……かな?」
よく見ると、メーカーのロゴがうっすら見えた。そしてリュックの下の地面に、衣服だったらしい残骸がへばりついている。離れたところに転がっているのはたぶん懐中電灯だ。
「りりん、これ見て」
俺がライトで照らすリュックを見下ろして、りりんが固まった。
「見覚えある?」
俺が聞くと、りりんは無表情に頷いた。
「写真撮るから、二人とも離れて」
エリカがコンデジを取り出して、リュックの四方から写真を撮った。
「中、見るよ」
ゴムの手袋をはめながら、エリカがりりんを振り返って言う。またりりんが無表情に頷いた。
リュックのファスナーは固まっていてエリカの力ではムリで、俺が引きちぎる勢いで引っ張ってなんとか開いた。
財布と充電器、お茶のペットボトル。何だかわからないひどい臭いがする物は、かつてコンビニお握りだったようだ。財布の中には原動機付自転車の免許証が無事で残っていた。
恐る恐る、地面からリュックを引き剥がしてごみのビニール袋に入れた。衣服の残骸の中には骨も残っていなかった。スライムに消化されてしまったのだ、そしてスライムが大繁殖する原因になったに違いない。
三人とも無言で日影沢ダンジョンを出て、高尾の警察署に向かった。車の中でりりんは、ずっとフォーエバーインマイハートを口ずさんでいた。