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第21話 人形

 なんで、なんで何も変わらないんだ。

 黒い廊下をひたすら走りながら、鷹羽は酷い乾きを覚えて足を止める。どのくらい走っていただろうか。最低でも10分は走っていただろうと思うのだけれど、廊下は真っ直ぐ前に永遠に伸び続け、振り返れば少し向こうの背後には変わらずエレベーターがある。

 前に進めていないのだろうか、と思ってしまうけれど曲がり角を曲がれば背後のエレベーターは消えて壁になるし、自動販売機の場所も一応、変化がある。

 という事は、進んでいないのではなくて空間がどこかで途切れて繋ぎ合わされている、のだろうか?

 そんな非現実的なことあるもんか、と笑い飛ばしたいけれど、今の状況がすでに現実離れしているからもう、何がおかしいのかもわからなかった。

「落ち着け……落ち着け鷹羽雪緒。今できる事を、考えろ」

 自分に言い聞かせながら、鷹羽は無意味にスマートフォンをスライドさせたりスリープさせたり復帰させたりして手を動かし続けた。

 ここで手を止めてしまうとなんだか意識を持っていかれてしまいそうで恐ろしくって、思考を止めないよう、意識を失わないように身体のどこかを動かし続ける。

 動かし続けるのはどこでもよかった。指先でも、首でも、その場で足踏みを続けるのでもいい。

 とにかく何かしていないと、恐怖でおかしくなってしまいそうなのも怖かった。

 怖い。そう、怖いのだ。

 鷹羽は確かに視えるタイプではあるが、決して自分から首を突っ込みたいとか視たいとか思ったことはない。なんなら可能なだけ避けたいし仕事でなければ関わりたくもない。

 以前一度だけ、入院したホラー作家の担当の代打としてホラー作家に関わった事があるが、出来ればそれも回避したいものだったなと今更思い出す。思考がネガティブになってくると過去にあった嫌な事をどんどん思い出していくというのはどうやら本当の事らしい。

 ホラー作家は、とにかくネタが無いという。

 お約束ネタは必ず誰かがすでにやっているし、過去に使った題材は使えない。もし適当に聞きかじったネタを使ったりなんかしたら誰かとネタがかぶるかもしれないし、万一無意識に誰かのネタを使ってしまったならそれこと大騒ぎだ。

 ホラーという題材となると書けるネタは限られてくるらしく、そのホラー作家は会うたびに鷹羽に「何か怖い事あった?」と聞いてきた。

 あいにくと当時はこんなに連続で怖い目にあうような生活はしていなかったので「あるわけないでしょー」とか言って避けていたけれど、考えたくもないものを常に意識しなければならない生活はそこそこストレスだった。

 まぁ、お陰で退院してきた元々の担当から大好物の萩の月を箱で貰えたのでそのストレスは報われたような気もするが。

 いや、どうでもいいそんな事どうでもいい。

 無意味に足音をたてながら一歩一歩進んでいた鷹羽は、ふと景色が切り替わってすぐ背後にエレベーターがあるのに気付いて凄く、凄く嫌な気持ちになった。

 本当に違和感がない程度の移動。切り貼り。コピー&ペースト。

 これはつまり、この周囲に見せたいものがあるという事だろうとヤケクソに判断した鷹羽は、すぐ近くにあったドアに視線を向けた。

 そこは本来はこの階の編集部が入っているはずの扉で、各季節ごとにやっている短い詩や俳句なんかの小さいコンテストを行っている部署も同じフロアにあったはずだ。

 はず、はず。この階の部署は完全に鷹羽とは違う分類の場所なので全然詳しくないものの、とにかくあの扉までは廊下はループしないで近付ける事は確認している。

 だからといって入ろうと思ったりなんかは勿論しなかったのだが、こうなったら仕方がない。

 こういう時に探索をするのは小説やゲームだけの専売特許だと思っていたが、じっとしていても逃げられる気がしないのだから動かなければいけない。

 なるほど、主人公たちはこんな気分なのかと知りたくもなかった事を初めて知りながら、鷹羽はズカズカと扉に近付いて冷たいドアノブをグッと掴んだ。

 途端に、背筋に冷たいものが駆け抜ける。

 この扉は、黒くない。だが扉を侵食するようにジワジワと黒い面が増えていて、そして――部屋の中から、何かの音がする。

 人の足音ではない、だが決まったタイミングで足を前に出しているような感じの、多分足音だ。だが足音にしては軽くって、硬質な気もする。それはハイヒールだとかそういうものの音というわけでもなく、言ってしまえば木片を床に叩きつけているような、そんな感じの硬質さだ。

 定期的に木片を床に落とすような装置なんか、この部署にはなかったはずだが?

 首を傾げながらも、この扉が真っ黒になってしまった時の事を考えると今のうちに開けておくしかないような気がして、鷹羽は数回深呼吸をするとえいや! と心のなかで叫びながら扉を開いた。

 そうして開いた部屋の中は、何のことはない現実世界と同じ構造のただの「編集部」だった。

 違うものがあるとすれば、壁際の右から三番目の席に項垂れたように黒い人影が座っているという事。そしてその黒い影の周囲を……デッサン人形のようなツルリとした木の人形がカクンカクンと頭を右に左に振りながら歩いている事、だ。

 木片を叩きつけるような音はアイツか、と、理解は出来たけれど、操り人形みたいな不自然な動きでうろつく木の人形なんか、鷹羽は今まで見たことがない。

 しかもその木の人形には「山内理絵」と名前が書かれていた。

 知らない名前だ。

 この部署の人の事はよく知らないが、ありふれた名前すぎて覚えていないだけだろうか。

 首を傾げて「山内理絵」の木の人形がカクンカクンと歩いているのをつい見守ってしまう。

 しかしふと気付けば、少しだけ、ほんの少しだけ、椅子に座っている黒い影が近付いて来ているような、来ていないような、そんな感覚に陥ってまたゾッとした。

 壁際の右から三番目。席は合っているはずなのに、なんだかさっきよりも、近い。

 鷹羽はキョロキョロと視線を巡らせて、この部屋の中に木の人形とあの黒い影以外に何かないだろうかと探した。しかし残念ながらこの部屋のことは元々よく知らないし、部屋の作りは自分の部署とほぼ同じだけれど机の配置だとかにはやはり馴染みがない。

 木の人形もただただ歩いているだけだし、黒い影もただ項垂れてそこに座っているだけ――

「うっ……」

 いや、座っているだけじゃない。

 また、近付いている。

 壁際の右から三番目の席。場所は同じなのに、また。

 額に滲む汗を手の甲で拭いながら、鷹羽は今度は見逃さぬぞと黒い人影をじっと見つめる事にした。

 こういうのはどうせ何かカラクリがあるに違いないと、つい普段の感覚で見てしまって。

 でも、だから、気付いたのだろうと思う。

 あの黒い影が首から下げているのが、この会社の社員証であるという事に。

 その社員証に書かれている名前が「山内理絵」だという事に、気付いてしまった。

 木の人形と同じ名前だ。

 気付いたのに、身体が動かない。

 どういう事だ? と。

 それが示す意味は一体何なのだ? と、状況を理解したがる常識人の「鷹羽雪緒」が、逃げようとする足を押し留めてしまった。

 その一瞬がどう作用したのか、木の人形がぐるりと鷹羽の方に顔を向ける。ギチギチと、木の人形の関節がこすれ合っているような音がするのが凄く、嫌な感じだった。

「ヒッ」

 だがそんな事よりももっと嫌なものを見てしまって思わず引きつった悲鳴のような声がもれる。

 木の人形の口が、開いたのだ。いや、元々はただ身体の関節があるだけのデッサン人形のような姿なのだ。口なんか、なかったはず。

 なのに、ソレ・・は笑った。

 ケキャケキャケキャケキャケキャ

 音を表現するならば、そんなような音だった。


ケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャケキャ


 延々と、途切れなく、木の人形は鷹羽を覗き込むように見つめながら甲高い音を立てて笑う。いや、人形には目がない。目がない、のに、見つめられていると思ってしまって、背筋が冷たかった。

 具合悪く歯を立ててしまったノコギリがたてるような不自然なその笑い声を聞いていたくなくて、鷹羽は床に貼り付いてしまっていた足を必死に引き剥がして部屋から飛び出して逃げる。

 その背後の扉が凄まじい音をたてて破壊されても決して振り返ってはいけないと自分に言い聞かせながら、鷹羽は再び廊下を走り出した。

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