「罪人を第一極刑とする」
冷淡な声が薄暗い中に響いた。
天界において、極刑は三種ある。無限期間の投獄が第三極刑。第二極刑は死なない程度の拷問を味わわせ続けるもの。
そして、第一極刑は。
「罪人よ。何か言い残すことはあるか?」
深緑のローブを纏った黒髪の処刑人が琥珀色の瞳に罪人の醜い姿を映す。罪人は罪人であるという証に、まず整った姿を奪われる。それが神より直接降される神罰だ。
天使も人間も悪魔も、基本はヒトの姿をしている。神の造形物である天使はより整った容姿を得る。神は自分の造形物の形を自在に変えることができる。
琥珀色の中に映る罪人は右目が額に、左目が口の横にずれ、皮膚は青く、唇は緑色で、肌にはうっすらと鱗が這っている。右腕が短く、左腕が細長い。異形と化した罪人にもう処刑から逃れる術はなかった。逃げるための足がない。下半身は始めからそうであったかのようにないのだ。
罪人は処刑人を見上げて、醜悪に笑う。下卑た唇の動きに釣られた左目は上手く笑みを描けなかったようだが。
「ぎゃっはっはっ! どうせ死ぬ身だぁ。あの間抜けで頓痴気で聖人ぶった神への罵詈雑ご」
びしゃっ
瞬間、処刑台にぴちゃりと何かが落ちる。処刑人がいつの間にか持っていた槍で切ったようだ。
それは舌だった。緑色に書き替えられた血で、青い色をしている舌。
「失礼。我らが神の悪口を叩く舌など、もう死ぬ身だ。あってもなくてもよかろう」
「ふがあっ」
処刑人は顔色一つ変えない。その槍の穂先が罪人の首に向けられる。てらり、と光り、炎を纏う槍。
「安心しろ。痛みすらなく処刑してやる」
「いいぃっ」
罪人は炎を灯したかのように緋色に染まりゆく処刑人の目を見て、歪な両腕でもがくが、悲鳴を上げたときにはもう、胴と首は泣き別れていた。
第一極刑。それは、即死刑である。
「お見事。さすが炎の断罪者殿でございますなあ」
ぱちぱち、と乾いた拍手が、一つの命が終わったばかりの空間を満たす。歩いてきたのは軽装の人物。美しい夜色の瞳にちぢれた黒い髪。神の遣いとは思えないほど、老化した醜い造形をしている。
処刑人は槍をかん、と突いて目を細める。
「管理人の役割はどうした、ラグエルよ」
ラグエルと呼ばれた人物は夜色の目を愉しげに細めた。ぴくりとも表情を動かさない処刑人とは対照的だ。
肩を竦め、何をおっしゃいますか、と告げる。
「刑が順調に執行されるのを見届けるのも、管理人の仕事ですゆえ。ウリエル殿は変わらず真面目でございますねえ」
「それは己が不真面目だと暗に明かしているようなものだぞ。それとも、今日は罪人が少ないのか?」
「いいえ、わんさとおりますよ。けれどほとんどは第二極刑の者ばかり。第一極刑は一切の苦しみもなく処されますからね。長い苦悶苦痛を与える方が罰になるというものです」
宵闇のような虚ろが、ラグエルの瞳の中に瞬く。愉悦に歪んだ眼差しの中でいやに綺麗な虚ろの瞳は不気味でさえあった。
ウリエルはそれを咎めることも、窘めることもしなかった。槍を一振りし、手の内から消すと、罪人の死体に背を向ける。
「第二極刑の者は檻に収容されているな?」
「ええ、抜かりはありません」
「では、檻に火を点す」
「ありがとうございます。ああ、ウリエル殿」
次の仕事に向かうウリエルをラグエルが引き留める。
「罪人を燃やしてくださいまし」
「あぁ、そうだったな」
ウリエルは振り向き、その手から炎を出した。火の粉が舞い、ぱちぱちと、ウリエルの琥珀色を赤く弾けさせていく。
醜い罪人の遺骸にその炎が点される。罪人は燃料でも浴びていたかのように瞬く間に燃え上がった。
「……ラグエルはこれからどうする?」
「この罪人が燃え朽ちるのをここで見届けましょう。あなた様の炎に焼かれ、意味を成さぬ塵芥と成り果てるまで」
「いい趣味をしている」
「お役目ですよ、お役目」
ウリエルは興味が失せたように、すたすたと去っていった。ぱちぱちと燈色がはぜる中、ラグエルがほう、と溜め息を吐く。
どこかうっとりとしたような、艶かしい吐息。ラグエルの夜色の中にゆらゆらと、炎が揺れる。
ラグエルは愉悦に歪めた唇で紡ぐ。愛しい詩でも謳うように。
「ああ、なんて美しいのでしょう、この炎は。まさしく神の炎と言える。罪人の塵芥すら残すことを許さない無慈悲な炎。まるであなたは最初から、断罪者と定められて生まれたようだ、ウリエル殿」
ラグエルの独り言は闇の静寂の中に溶けて消えた。
ここは煉獄。天界からは遠く、人界と魔界の狭間に存在する罪人の流刑地である。天界にも罪人を投じる牢獄は存在するが、罪人の多くはこの煉獄の地にて、第一、第二、第三極刑のいずれかを行う。
特に第一極刑はそう定められた瞬間から必ず成し得なければならない極刑であり、処刑人にも力が求められる。そのため、煉獄にはウリエルという番人がいる。
ウリエルは本来、四大天使であり、神YHWHに最も近き高貴なる存在だ。それが何故煉獄という僻地にいるのかは、様々な事情があるが、その一つが処刑人としての腕を認められているためである。
第一極刑はもちろんのこと、神の炎を与えられたウリエルは第二極刑を施行する才もあり、煉獄に居着いている。
第二極刑は拷問。生かさず殺さず、罪人の悲鳴に耳を貸さぬ無慈悲さが求められる。
檻に収容されているのは、天使の名残を残す者たちばかり。先程第一極刑を受けた異形とはかなり扱いが違う。
何故ならば、彼らはヒトの形をしたまま罰を受けることに意味があるからだ。神罰が軽い代わりに、永劫の痛苦を味わうこととなる。
ウリエルは檻についた名札を確認する。人数が揃っていることを確認すると、鉄の檻に火を点けた。
ウリエルの操る神の炎は人間たちの間で炎と呼ばれているものの概念の殆どを無視する。その一つとして、鉄を熱するのではなく、鉄格子を伝って炎が燃え広がり、中の罪人たちの手足に火が点くのだ。
「あああああ!?」
「いだい、あづいっ」
「ぎゃあああ」
「消えろ、消えろ」
罪人たちが檻の中で、喚き、暴れ、命を乞う。
それにウリエルが耳を傾けることはない。
「安心しろ、痛いだけで死ぬことはない。永劫にな」
神の炎は消えない。風が吹こうと、雨が降ろうと。神の炎を消せるのは
「ウリエルっ! ウリエルがあっ! 堕天の烙印を押された天使が!! どうせ同じ穴の狢だろうに!!」
気概のある罪人が一人、ウリエルに叫ぶ。それに対し、ウリエルは顔色一つ変えることはなかった。
ゆっくりと、瞬きをするだけ。すると、その罪人が叫んだ口から、炎が体内へ入っていく。声にならない悲鳴が空間を震わせ、罪人は喉を押さえ、じたばたともがく。
ウリエルはすうっと、まるで幽霊であるかのように、炎の檻の中へ入り、涼しい顔でその罪人へ歩み寄った。懐から小瓶を出し、それの中に入った液体を罪人に一滴しする。
すると、罪人の体が、ふわり、と青い光に包まれ、その罪人の炎が消えていく。
「やった、たすか」
がっとウリエルは罪人の頭を掴んだ。女人のように華奢な腕からは想像もつかないほどの膂力で、罪人をずずず、と持ち上げ、手から炎を罪人の体へ伝わせていく。
「よかったな。今のはラファエルの癒し薬だ。もっと苦しめるぞ」
「ぎいぃああああああああっ!!」
頭髪が燃え、皮膚が爛れていくのはさぞや苦痛なことだろう。ウリエルはその罪人を無造作に放って、檻から出ていく。
ある罪人はウリエルの後を追って檻から出られないか試すが、神の炎がそれを阻む。皮膚が焼け爛れ、けれど炭化しない。痛みがじわじわと蓄積されていくだけ。鉄格子に触れたら、その痛みが増えるだけ。鉄格子は到底罪人たちが通り抜けられる幅ではなかった。
「第二極刑を免れたくば、神にでも祈るとよい。第一極刑であれば、永劫の苦しみも終わることだ」
罪人は全て、神への信仰を捨てた者たち。ウリエルの言葉はさぞ皮肉に響いたことだろう。ウリエルは第二極刑場の重たい扉から出ていく。
炎を操る絶対的な断罪者。それが煉獄の番人ウリエルであった。