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第145話 時紡

「馬鹿な…あのカラスは半人前のはず…!」


 芙蓉の動揺が声となって響く。どうやら、ヤトが真の八咫烏として覚醒するなど、完全に想定外だったらしい。ヤトの力の影響か、空間内は神々しい光で満たされ、金属が擦れ合うような鋭い音が反響していた。


 すると、ヤトはさらに高く舞い上がり、金色をまとった光の刃を芙蓉に向かって放った。


 芙蓉は一瞬遅れて反応し、瞬間移動で辛うじて逃れる。だが、姿を現したその時、ヤトが間髪入れずに光の刃を浴びせた。芙蓉は顔を歪ませながら、再び姿を消す。


 束の間の静寂。


 誰もが息を呑み、芙蓉が現れる気配に神経を尖らせる。その時、江藤の右斜め上。空間に僅かな亀裂が入った。


「江藤さん!後ろ!!」


 私は叫ぶ。

 江藤は一瞬も迷わず、冷静に振り向き、銃を構えた。そして、亀裂の隙間から現れた芙蓉の手に向けて、人狼の気がまとった銀の弾丸を次々と放つ。


 命中だ。


 しかし次の瞬間、芙蓉がぬっと亀裂から顔を覗かせた。額には銃弾の穴。だが、前頭筋が虫のようにうごめき、開いた皮膚がぞわりと閉じていく。数秒後、傷は跡形もなく消えていた。


 その異様さに江藤は目を見開くが、すぐに構え直して引き金を引いた。銀の銃弾が再び芙蓉の額を撃ち抜く。だが、芙蓉は不気味に笑いながら、じり、と江藤へにじりよる。


 鋭く光る、刃のような爪先。

 それは、江藤の首元に真っ直ぐ向けられていた。

 だが、江藤は怯まない。迎え撃つ気だ。


「よせ、江藤!下がれ!!」


 丹後の怒号が響いた直後、「バシッ」という鋭い音が空間を裂く。江藤の背後から鋭い閃光がほとばしった。ヤトだ。彼はまるで守り神のように、江藤の背後から芙蓉に光の刃を放つ。その攻撃に芙蓉は苦悶の声を上げた。


 だが、突然ヤトの体がぐらりと傾いた。

 私は慌てて目を凝らす。すると、ヤトの頬に裂け目のような傷が浮かんでいた。そこから微かに金の光が漏れている。呼吸も、先ほどより乱れているようだ。


 ──覚醒したヤトは本能で動く。でも、長くは持たない。過去へ行くには、今しかない。


 弥子の言葉を思い出して、私は拳を握りしめた。


「焔さん!!」


 焔がハッとこちらを向く。私はポケットから木箱──飛石を取り出し、焔に見えるよう高く掲げた。


 ──“過去へ行くには、今しかない”。


 そう視線で訴える。焔は一瞬ヤトに視線を投げ、懐から木箱を取り出す。彼が持っているのは境界石。過去へ導く、もうひとつの鍵だ。焔は木箱を握りしめると、私を見て頷いた。


 伝わった…!


 その時、芙蓉の低い声が響いた。


「……なるほどね」


 階段の上、SPTから少し離れた場所に、芙蓉が姿を現す。


「……あの八咫烏。さては過去に行く重要な鍵なのかな。例えば“座標”…狙った日時と場所に連れて行ってくれる、とか」


 その声にゾッとする。

 しまった、バレた。


「そんな秘密が隠されていたとはね。幸村藍子……最後の最後までコケにしおって。お前たち、今過去に行くつもりだな。いいことを知った」


 その後、ヤトは目を閉じ、息を吸う。そして、迷いのない軌道で私の方へ飛んできた。


 きっと今、ヤトは意識がない。

 本能に、光の導きに身を委ねているのだ。


 芙蓉はヤトを見てにやりと笑う。そして、僅かに彼女の輪郭りんかくが揺らいだ。それを見た私は、寒気が走った。


 瞬間移動で私のそばに来る気だ!

 ヤトや私と焔の力…すべてを利用して、一緒に過去へ飛ぶつもりなのだ。

そう確信した時…。


 ──パン!


 乾いた銃声が響き、銀の弾丸が芙蓉の額を正確に撃ち抜いた。天宮だ。片腕で上木を抱きかかえたまま、その目は冷静に、鋭く芙蓉を見据えている。


「走れ!焔!」


 天宮が叫ぶ。

 焔は声を受け、私に向かって全力で駆け出した。芙蓉は瞬間移動する間もなく、天宮の銃弾を浴び続ける。そして──。


 ──カチンッ!


 銃弾の一発が芙蓉の首元を撃ち抜いた。彼女が首からぶら下げていた飛石のネックレスの鎖が千切れ、「カラン」と床に転がる。


「…っ、ちぃっ!」


 芙蓉は悪態をつきながら飛石に手を伸ばすが、天宮は隙を与えまいと精密な射撃で芙蓉を牽制し続けた。飛石の僅か数センチ手前で、彼女の手が止まる。芙蓉は鬼のような形相で天宮を睨みつけた。


「邪魔するな!SPTがァァ!!」


 咆哮ほうこうと共に、芙蓉は床に膝をつく。だが…。


「…くそ!!」


 天宮の銃が沈黙した。弾切れだ。彼はすぐに新たな弾倉を取り出し、差し込もうとするが、芙蓉の方が早かった。彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、飛石にそっと手を伸ばした。だが、その時──。


 ──パンッ!


 乾いた銃声が再び空間を裂いた。上木だ。


「行かせない!絶対に!」


 上木はそう叫ぶと、間髪入れずに引き金を引いた。狙いは正確で、一発は芙蓉の目を撃ち抜く。だが、芙蓉は再生を繰り返す。邪魔な虫を払うように、怒りと憎しみの入り混じった声を上げながら。


 そして数秒後、上木の銃弾も尽きた。芙蓉は笑いながら立ち上がるが、突如彼女の体がぐらりと揺れた。雷閃刀が彼女の右肩を貫いたのだ。


「……がッ……!」


 芙蓉は苦悶の表情を浮かべ、悲鳴とも呻きともつかない声を上げる。

雷閃刀を放ったのは上木だった。彼女が勢いよく投げ放った雷閃刀は、勢いそのままに芙蓉を石壁に突き刺した。


 上木は唇を噛み、芙蓉を睨みつけた。その瞳は赤く染まり、涙が頬を伝う。


「貴様にはない……!過去に行く……資格など!瓜生隊長の心を散々えぐった罰を今、その身に受けろ!」


 芙蓉は右手を震わせ、雷閃刀の柄を握り、引き抜こうとする。だがその時、「パン!」という銃声と共に、芙蓉の右手が弾き飛ばされた。撃ったのは天宮。すでに装填を終えていた。


 さらに──。


 ──パンッ!


 今度は江藤の銃弾が芙蓉の額に命中。彼は表情ひとつ変えずに、静かに銃を構えている。そして銃声のすぐ後、今度は二つの閃光が芙蓉に向かって放たれた。


 丹後と財前。

 彼らが放った雷閃刀は、芙蓉の右胸と左胸を正確に突き刺した。


 芙蓉は体を痙攣させながらも、傷口を再生しながら執念で飛石に手を伸ばす。だが、血で染まった彼女の手は、ほんの数センチ届かない。芙蓉は苦悶の表情を浮かべ、私を睨みながら叫んだ。


「く…そ……くそおおおおおおお!!!」


 狂気に満ちた叫びが響く中、私は陽の気をまといながら、焔に手を伸ばした。


 対なる気──陰の気をまとった焔は私の手を取り、抱き寄せる。

 私たちは同時にヤトを見つめ、めいっぱい手を伸ばした。


「ヤト──こっち!!」


 その時、閉じられていたヤトの瞼がぱっと開いた。見慣れた漆黒の瞳に一瞬だけ私たちが映る。ヤトを抱き締めた時、彼の口から美しい口笛が放たれた。


 すると、私と焔の手にあった飛石と境界石が音もなく交わり、金色の光を帯び始めた。光は陽と陰の気を巻き込んで、円を描きながら私たちをまゆのように温かく包み込んでいく。


 それが「時紡石じぼうせき」だと気づいた瞬間、すべての音も、色も、重力も、光に溶けていった。


 過去への扉が今、拓かれたのだ。


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