目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第103話 熱と帰る場所 

 無機質なコンクリートの廊下を抜け、簡素な看板がつけられた扉をくぐる。小松は後ろ手で扉を閉めると空席の目立つデスクの間を通り抜け、室長室のドアをノックした。


「どうぞ」

「室長。じゃなかった室長代理。前回の裂け目から出てきた生物についてまとめた資料っす」


 小松はデスクの上に書類を置いた。室長と書かれた席札には黒いサインペンで“代理”と粗雑に付け足されていた。


「うん。ありがとう」


 宮之守は赤い髪を耳にかけなおすと、まず束の一番上の書類からとりかかることにした。予算、経費についての書類。封鎖部隊からの報告書がなどが積み上げられている。


「西島君は?」

「今日は広報の関係で不在っすね。直行直帰っす」


 宮之守は目頭を押さえた。

「そっか。そうだったね」

 ふとデスクに置かれた時計に目をやる。時間は午後七時になろうとしていた。


「小松君は帰らないの?」

「きりのいいとこまでと思って、あとちょっとっす。この前の異世界生物の組織サンプルが気になっちゃって」


「今日は帰りなさい。昨日もそう言ってたじゃない」

「でも本当にきりがいいんっすよ。たぶん、あと少し、めいびー?」


 宮之守は自分のした瞼に指をあてた。

「小松君の目のくま。すごいよ」


 小松は、でもとつづけたが宮之守はそれ以上の発言を許さず。小松にタイムカードを押させて追い出した。


「お疲れ様っす」

「うん。お疲れ様」


 宮之守は小松が扉の向こうへ出ていくのを見送る。欠伸が自然と漏れ出て体を伸ばす。書類仕事を切りのいいとこまで片づけるにしても体と脳に燃料がいる。オフィスルームを横切って給湯室へ向かうことにした。その途中、誰も座っていないデスクに目が留まる。佐藤とエリナの座っていたデスクだ。


 佐藤のデスクには裏返された書きかけの残業申請の書類がそのままとなっていた。エリナのデスクには未開封の菓子の袋が取り残されていた。宮之守はエリナのデスクから菓子の袋の裏面に目を通した。“期間限定、チョコ小豆味マフィン”の賞味期限はとっくに過ぎていた。二人がそろって消えた日より一週間後の日付がそこにあった。


 行方不明になってから四年が過ぎようとしている。宮之守の黒い力を受けて二人は跡形もなく消えさった。

 宮之守は一瞬躊躇い、決心して菓子をゴミ箱に入れ、改めて給湯室へ足を向けた。


 給湯室に置かれた電気ケトルがお湯を沸かすのを待つ間。持て余した時間でスマホに目を通す。最新映画の話題から、マンガ、世界情勢。それらを滑らせていくうちにある記事で目が止まった。宗主レニュが帰国する旨が誌面にでていた。それによると四年という歳月はエルフにとってはごく短いものらしい。


“二人の夫が帰って来いとうるさいのでな。一日ごとに積み重なる小言で潰される前に一度顔を見せてやろうと思ってな。まったく、たいして時間など経っていないというのに……。そなたには世話になった。また会おうぞ。”

 宮之守は別れ際のレニュの言葉を思い出した。


 植樹の儀は滞りなく進められ日本とツーナスの交流はこれからより深くなっていくだろう。その裏で埋立地で起きた事件のことを知るものはあまりに少ない。宮之守が一時的に異世界侵入対策室より抜けたという情報も、もちろん一般人が触れられるような場所に浮かび上がるようなこともなかった。


 これまでの働きが考慮され、室長代理という形で宮之守は対策室に繋ぎ留められる形となった。異世界から敵対的な侵入者はいまだ絶えない。宮之守の力は未だ必要とされている。

 頻度は時空の裂け目の出現する頻度は依然と比べれば減ったといえるだろう。それはエリナが消える前に世界の裂け目の歪みを正したからだであったが、完全でもなかった。宮之守がかつてはなった黒い力による影響はそれだけ根深いものだったからだ。


 宮之守は手の中で炎の薔薇を作り出した。炎の薔薇は手のひらの上で静かに回転し、儚げな火の粉が羽虫のように飛び出しては消えていく。宮之守の黒い力は恐れそのものであった。人への恐れ、自分の力への恐れ、怒り、恨み。


 宮之守は恐れを乗り越え、自分への怒りを受け止めた。佐藤とエリナが消えて以降、黒い力はなりを潜め暴走する気配はない。

 宮之守は炎の薔薇へ息を優しく吹きかけた。するとオレンジの花弁が舞い、蝶へと姿を変えた。蝶はひらひらと舞うとケトルから吹き出す湯気にあおられて消え去った。


 感情を乗り越える。たったひとつの単純にして困難な自分の問題を宮之守は解消した。力が今後蛇の形をとって現れることはない。そう宮之守は確信していた。もう誰の命も傷つけることはない。そして今後も誰かを守るために働き続けると誓った。それこそが自分のできる罪滅ぼしだと信じて。


 寂しいと思うことがある。空いたままのデスクに再びあの二人が座るのはいつになるのだろうかと思わない日はない。


 エリナがお菓子メーカーにクレームを入れると言った。佐藤が面倒だと言って必要な書類申請を怠った。エリナが勝手に職場に大量のアイスを届けさせた。佐藤がトレーニングルームにこもって出てこなかった。その全ての煩い記憶はるか遠くに感じられた。


 今や対策室の装備はかなり充実したと言えるだろう。封鎖部隊だけで今のころ、異世界からの危険生物の対応はできている。宮之守が現場に出て直接戦うことも以前より減った。


 ケトルからコーヒーカップに湯を注ぐ。どうしてだろうか。その日のコーヒーから立ち昇る湯気はどうしてかいつもより熱く感じられた。


「少し、寒いかな」

 宮之守はぽつりとつぶやく。

 そうだ。寒いいんだ。


 今は夏である。冷房が効きすぎているのかもしれない。ただどうしても宮之守は冷房のせいだとは思えなかった。コーヒーの熱い湯気が頬を温める。


 突然、オフィスの方から大きな物音が響いた。宮之守の目が瞬時に鋭くなり、赤熱した剣を呼び出して握りしめる。


 物音……いや、声が聞こえる。誰かが話している。小松であろうか。違う、彼はこんな大きな物音を立てるような人ではない。音川か。違う。彼女は今は日本を離れている。では唐田か。これも違う。


 侵入者であろうか。あり得る話だ。異世界の情報を多く扱う異世界生物侵入対策室は各国のスパイからすれば涎が出るほどに貴重な情報が眠る宝物庫に見えるはずだ。しかし、どのような侵入者であろうが宮之守であれば容易く無力化できる。


 給湯室を抜け出し、足音を殺しながら廊下を進むが、踏み出すたびに剣の熱が冷えていくことに彼女は気が付いていなかった。やがて剣は消え、足音を殺すことも忘れて、歩みは早くなっていく。


 対策室のオフィスから声が聞こえる。熱いものが胸の奥よりこみ上げてくる。長い長い冷たいコンクリートの廊下が今日ほど熱く感じられたことはなかった。目頭が熱くなる。頭が熱くなる。心が震える。やっと、やっと伝えられる。宮之守は異世界生物侵入対策室の扉を開けた。


「よう、久しぶりだな。すげー時間かかったわ。あー……今はいつ?」

「ここにあった菓子を知らないか? まさか、我の許しを得ずに勝手に食べたのか?」


 宮之守は目元をこすり、声を絞り出して、くしゃくしゃに微笑んだ。

「そういう時はただいまって言うんですよ」





おわり

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?