ソラス四階。
かつては衣服店が多数集まっていたその階に、俺達は移っていた。
逃げた元『名ばかりの吉田』百余名も、今は『贄』だった連中と合流していた。
「パパ!」
「秀和、よかった……!」
初代皇帝にボコされていた親父さんも、無事息子と一緒になれたようだ。
周りを見渡せば、そこかしこで同じような光景を見ることができた。
そして俺はといえば、身を震わせて激しく戦慄していた。
軽い調子であいさつをしてくる、目の前の女に。
「どもどもー!
音夢の妹の玲夢だ。
三歳下ということで、今、十六か十七くらい。女子高生ド真ん中である。
っていうか、見た目、お姉さんと違いすぎてンだが、この娘。
いや、顔立ちとかはよく見れば音夢によく似てるんだけど、格好とか服装がね?
やや短めの髪を明るい茶色に染め、顏には薄いながらも化粧をしている。
髪はショートボブ。髪先辺りがチョンとはねているのが特徴的だ。
唇にはリップを塗ってあってつやがあり、これがなかなかに見る者の目を引く。
服装は、薄ピンクのジャケットの下に黒いシャツと短めのスカート。
肩から提げている鞄は、そこに何を入れられるんだってくらいに小さい。
で、初めて見たときにこれが一番驚いたんだけど。
背が、姉の音夢より高い。目算ではあるが、多分10センチくらいは。
「お姉、がんばったんだってねー! えらいえらい!」
「やめなさいって!」
妹が姉を撫でている。姉は、顔を真っ赤にしてその手を払った。
そんな姉妹のやり取りを眺めて、俺はこう思わずにはいられなかった。
これが、陽キャか……!
と。
何でそう思ったかっていうとさ?
「え~、だって一人で外出てたんしょ~? そこでトシキセンパイに助けられたって、ヤバイよね~。どー考えてもうんめーじゃん、うんめー。いいなー!」
そう言いつつ、玲夢はチラリとこっちを見て一気に間合いを詰めてくる。
「ねぇねぇ、トシキセンパイはぁ、お姉のことどう思ってるんです? 外にいるお姉を見つけて、つい助けちゃったとか? 考えるより先に体が動いて~、とか?」
「お、おぉ……」
こんな感じで、この子スゲェグイグイ来るんだよ!
俺、こういうタイプとはあんまり接したことなくて、あたふたしてしまうわ!
「ねぇねぇ、センパイったら~?」
玲夢が、ニコニコしながらさらに俺に近づいてくる。
わざわざ頭を低くしてこっちに上目遣いをする辺り、完全にわかってやってる。
だが、笑顔が溌溂としていて人懐っこく、なれなれしい感がないのがすごい。
陽キャな小悪魔、というのが玲夢への第一印象だ。こいつはあざと手ごわいぜ。
「やめなさい、玲夢! 初対面なのに、失礼でしょ!」
「え~、いいじゃ~ん。お姉だって、いっつもセンパイのこと話してたクセに~!」
「玲夢ッ!!!!」
真面目堅物の姉が叱ろうとするが、陽キャ小悪魔な妹はそれをスルリとかわす。
何というか、日常のやり取りが容易に想像できる姉妹だわぁ。
「でもさ~、すごかったよね~。イセカイ。初めてでビックリしちゃった~」
神域アルテュノンのことを言ってるんだろうが、マジでノリが軽いな、この子。
音夢の方は、何とも難しい顔をしてるってのになぁ。
「トシキセンパイってイセカイでユーシャ様やってたんでしょ? ヤバイよねー!」
「……ええ、そうね」
妹のノリに対して、そこで一気に表情を重く沈ませるのやめろや、姉。
これからアルスノウェでのことを話す俺まで、気分が重くなってくるだろうが。
音夢のリアクションがある程度予想できるだけに、マジで気が重い。
助けて、ミツ!
俺と音夢とが揃ってるのに、何でおまえはこの場にいないの!?
「あの……」
ここにいないダチに思いを馳せていたところ、ふと声をかけられた。
俺は振り向く。そこに、俺が助けた親父さん他、数十人が揃って俺を見ていた。
そして、その数十人が一斉に頭を下げて、言ってきた。
「「「これからよろしくお願いします、勇者様!」」」
「…………あ?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
橘利己が『天館ソラス』で頭を下げられているのと同時刻、別所。
そこは、ソラスと百貨店と同じく『天館の三角』を形成する三大高層建築の一つ。
――『天館市庁舎』。
天館市の行政の中核であり、数多の公的サービスを取り扱っていた建物だ。
もちろん、サービスについては過去の話。
黒い雨が降り、ゾンビが跋扈する世の中となって以降、行政機能は失われている。
二週間前までは多くの市民が訪れていたこの庁舎も、今は閑散としている。
職員の姿はなく、入り口が開けっ放しの一階には多数のゾンビが入りこんでいた。
一階部分はゾンビに踏み荒らされ、二階から上は誰もおらず静寂が支配している。
だが、そこからはるか上層、最上階近くに、何者かの姿があった。
「……そうか」
照明はついておらず、窓から入る陽光だけを光源とした薄暗くて広い部屋。
そこで、報告を聞き終えたスーツ姿のその男は、小さく首肯した。
「なかなか、意外な結果になったようだね」
立派な部屋だった。
明るい赤茶色の絨毯が敷き詰められ、木張りの壁が見た目に高級感を与えている。
部屋の中には、執務机に応対用のテーブルとソファ。さらに会議用の長机。
ガラス張りの棚には幾つものトロフィーや盾が並んでいる。
壁の高い場所には、絵画や『世界平和』と書かれた額縁が飾られていた。
ここは、天館市庁舎の市長室だ。
壁の一角が丸ごと窓になっていて、駅周辺の景色を一望することができた。
「黒い雨から二週間、僕が吉田君に助言をしてから十日。……早かったなぁ。帝国が瓦解するまで、最低でも三か月はかかるかと思っていたんだけどね」
窓から景色を眺めながら、男は小さく息をついた。
「何が原因か、わかるかい? こんな早期での帝国の滅亡は、都市実験としては大失敗だが、その失敗の要因には興味がある。吉田君が度を超えて横暴すぎたのかな?」
「いえ、横暴なのは横暴ですが、それが直接の原因ではないようです」
男に報告を寄越した女秘書が、軽くかぶりを振った。
「では何があったのかな? 吉田帝国は、その内容こそお粗末でも、吉田君のアイディアに僕が助言を加えて、最低限ながらも共同体として成立していたはずだけど」
「それを、暴力でブチ壊した男がいるようです」
女秘書が言うと、背を向けていた男は「へぇ」と小さく声を漏らした。
「ゾンビを操る能力の持ち主に、暴力で対抗を? すごい度胸だね」
振り返った男の顔には、薄い笑みが浮かんでいた。
それが、純粋な興味からのものであることを、女秘書はよく知っている。
「それで、どうなったのかな? 普通の人間じゃ『タスキの吉田』をけしかけられて、噛まれて終わりだろうに。帝国が滅亡したってことは、それを凌いだんだろ?」
「申し訳ございません。現時点では不明です」
女秘書の報告に、男は心底残念そうに「そうかぁ」と眉根を寄せた。
「まぁ、仕方がないね。所詮、盗聴器なんかじゃ掴める情報にも限界がある」
「そうですね。ですが、録音できた音声の中に、面白いものがありました」
「ほぉ?」
片眉を上げる男に、女秘書は取り出したスマートフォンを見せた。
画面を操作して、音声記録を再生する。市長室にノイズ混じりの音声が響いた。
『ザッ、ザザ……は、……る正義の味方じゃな……。俺は『俺の正義』の味方……』
聞こえたのは、それだけだった。
しかし、ただそれだけで十分だった。男の瞳が、歓喜によって見開かれる。
「――なるほど、そうか」
のどの奥から絞り出したかのような、かすれた声。
笑みを抑えきれないままに出したから、そんな声になってしまった。
「そうか、そうか、そうか、そうか。帝国を潰したのは、彼か」
「どうやら、そうらしいですね」
「きっと帝国の中に身内がいたんだな。それなら仕方がない。帝国は滅ぶさ」
それまで、何も帯びていなかった男の気配に、にわかに熱が生じる。
それを感じとりながら、女秘書が彼に促す。
「どうなさいますか、市長」
「そうだね。今すぐ会いに行きたいところだけど、まずは準備を優先しよう」
「では、市政府軍の編成を急がせます」
「そうだね。そうしてくれ。兵の数が足りなければ、嶽村君にお願いしよう」
「わかりました。それでは失礼いたします」
一礼し、女秘書が市長室を出ていく。
そして一人残されたスーツの男は、笑みが浮かんだままの口許を手で押さえた。
「そうか、こんなにも早く機会が巡ってくるとはね……」
男の表情は、まるで夢見るようであった。
あるいは、強く強く、恋焦がれるようでもあった。
「少しだけ待っていてくれ、すぐに会いに行くよ。トシキ」
天館市庁舎を占拠している集団――、天館市政府。
その頂点に立つ、天館市長の名は、三ツ谷浩介といった。