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0343 対立

大殿を見る伊藤様の顔は、目に涙が一杯で唇が微かに震えているようにみえます。

大殿は、伊藤様から視線を代官尺樽の方へ移しました。


「さて、代官尺樽!」


「ひゃっ、ひゃい!!」


悪代官様はすっかりおびえています。

悪くすれば死罪とでも思っているのでしょうか。

でも、大殿が死罪にする事は無いと思います。

どうするつもりなのでしょう。


「人間の欲望には限りが無いと言われているが、今の世の中で偉い奴がそれをすると民が苦しむ事になる。欲を捨てよとまでは言わねえが、もう少し控えてはくれねえかなーー」


大殿は、普通に話しかけました。

さっきまでは、おびえた顔をしていましたが、死罪で無い事が分ると、安心して悪代官の顔に戻り始めています。


「そう言われますが、大殿も美女をそんなに従え、贅の限りをしつくしておられるのでしょう? 俺ばかりにそれを望むのは、筋違いというものではございませんか?」


悪代官は、悪い笑顔を大殿に向けました。

背筋が寒くなるほどの嫌な笑顔です。


「ふむ、そうか……」


ふむ、そうかではありません。

何を言い負かされているのでしょうか。ガッカリです。

大殿は他人にはそう見えているのか、とでも考えているのか悲しげな表情になりました。


「な、何を言うのですか!! 恥を知りなさい!! 大殿はこれまで私の知る限り、あなたのような欲望の赴くままに、何かをするところを見た事がありません! 美女を連れていると言いましたが、無理矢理連れてこられた人など一人もいません。自ら望んでここに居ます。何も知らないあなたごときが、馬鹿な事を言わないでください!!」


私がガッカリしていると、見かねて響子さんが怒りをあらわにしました。

温厚な菩薩のような響子さんが怒ると迫力が違います。

でも、それは普段の響子さんを知っている私達だからこそのようです。

悪代官は、薄笑いを浮かべています。悪代官の心にはまったく響いていないようです。


「ひゃははは、権力を持った者が、より多くの金を手にして、いい女を力ずくで手に入れるのは権利なのだ。やらねえ奴はふぬけだ。権力者にとって貧乏人の暮らしなど、どうでもいい事だ!! かつての政治家や金持ちは全員結託して弱い者から搾取していただろう。お前は知らないのか」


ふてくされた表情で吐き捨てるように言いました。

とても憎たらしいです。


「貴方こそ知らないの? 木田の大殿は、今では一円の収入も取らず、自分の持っている物は多くの人に分け与えるばかりで、私利私欲になど一切とらわれていない事を!! 弱き人の側に立ち清廉潔白に生きる事の方があなたより余程尊いわ!!」


今度はカノンちゃんが怒りをあらわに言いました。

キリリと引き締まった美少女の怒りの表情は美しさに磨きをかけます。


「だまれ、小娘!! お前ごときに俺の何が分るというのだ!! 清廉潔白だと笑わせる。俺がどれだけ苦労をしてこの地位にまで昇ったと思うのか!! 昇ったからには好きにするのが人間だ!!」


「尺樽、もういい。お前の言い分はわかった。

だが、俺は底辺にいた人間だから、お前が切り捨てる底辺の人の生活がとても大切だと思っている。

底辺の人がさらに貧乏になるような重税をかけ、搾取するなどと言う事はあってはならないのだ。

木田家は俺が大殿でいる間は、お前がいう貧乏人が豊かな暮らしが出来る様に努力する。

その上で余ったお金が、権力者の収入になるのだ。

お前の考えとは真逆に感じるなあ。

俺の考えが受け入れられないのなら仕方が無い、お前は新政府に行くといいだろう。

そこではお前が言うような国作りがなされている。

きっと、思うままに生きられるだろう」


そうですよね。権力者の方から富をむしり取っていったら、残ったわずかな物を大勢で分ける事になり、庶民の暮らしが豊かになるはずがありませんよね。

その上、税金が底辺の人に重くなる仕組みを作り、苦しい生活がさらに苦しくなっていく、そんなことはあってはならないことです。

たしか以前の日本という国では、わずかな年金で暮らしている人にまで重い税金がかかっていましたよね。本当におかしな国でした。


また思い出しました。その昔、ハウルス ハーンでしたっけ、車の会社の社長なんか、会社が赤字だというのに何億円も給料を取り、社員を大勢くびにしていましたよね。

あれは、酷いと思ったものでした。

社員の首を切る前に自分の給料を返上しろと思ったものです。


「ふはははっ!! ならばそうさせてもらう! おい、お前達の中で俺と共に来る者はいないか? 一緒に連れて行ってやるぞ!!」


代官尺樽は、悪びれる様子も無く笑いながら言いました。

この言葉に数百人の兵士が立ち上がりました。

代官子飼いの兵士達でしょうか。


「ふむ、いいだろう。行くのも行かないのも当然自由だ。

家族を連れて行くのも許そう。

但し、残りたいという家族を無理矢理連れ出す事はゆるさんからな。

出て行くお前達には何もしてやれないが、せめて日向から出るまでは護衛をつけよう、達者でやってくれ」


そう言われた尺樽達は、振り返る事もなくこの場を後にしました。

尺樽の後ろ姿を、伊藤様は険しい表情で見送ります。


「大殿よろしいのですか? もし、お許しを頂けるのでしたら、討ち取って参りますが」


伊藤様が、拳を振るわせて言いました。


「いや、いい……」


大殿は、つらそうな顔をして、何か言おうとしましたがそれを飲み込みました。


「だれか、尺樽を監視して下さい」


私は大殿に知られないように、近くの部下に小声で命じました。


「では、桃井様。私達が行って参ります」


「ええ、お願いします」


「はっ!」


部下達も極小さな声で返事をし、誰にも知られる事無く行動を開始しました。

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