数十メートルは離れているのだが、新政府軍内のそれは恐怖以外の何ものでも無い。
恐れが、俺の所にまでビンビン伝わってくる。視線は全てこちらに向けられている。いったい何に、そんなに恐怖しているのか?
――まさか、山の向こうに巨大な何かがいるのだろうか。
俺は走る足を止めて、ゆっくり振り返った。
島津隊は先頭の俺の行動を見て、全員足を止めて恐る恐る後ろを振り返る。
少しずつ、少しずつ頭を動かしていく。何がいるんだ。背中に冷たいものが流れ落ちた。
ゆっくり視線が真後ろになる。
後ろには、煙係が遅れて走っている。
慌てているために何度も転んだのであろう、服がドロドロに汚れている。
足の早い者を選んだので、すでに最後尾にたどり着きそうだ。
何とか、新政府軍に捕らえられずに済みそうだ。よかった。
ちがう! そんなものを見ている場合じゃない!
俺は、ゆっくり視線を山上にむけてあげていく。
山の中腹には、まだ煙が幾筋か消えずに上がっている。
そして、山の上。山の向こう。
――うわっ!!
やられたーー!!!! 何もいない! だまされたーー!!!!
どうやら新政府軍の策略だ。
よく戦いの最中に「あっ、UFO!」「どこどこ?」って奴だ。
まんまと引っかかってしまった。
大きな隙を与えてしまった。
「……????」
いや、おかしい。
もう一度振り返って、視線をもどし新政府軍を見たら、まだおびえている。
いったい何があるんだ?
「ア……アンナメーダーマンだーーーー!!!!!!」
「うわあああああああーーーーーーーー!!!!!!アンナメーダーマンだーーーー!!!!」
「うおっ!」
俺は新政府軍の絶叫に驚いてしまった。
どうやらアンナメーダーマンという、恐ろしい奴が現れたらしい。
「あ、あんなだめだーまん?」
「あんた、あめーだーまん?」
歳久殿と家久殿が、何の事か分らないらしい。
つーかアンナメーダーマンって俺じゃねえか。
そうか、俺は今ヘルメットをかぶって黒いジャージだ。
「うろたえるなーー!! 九州雄藩連合の策略だーー!! アンナメーダーマンが九州にいるわけがねえ。だまされるなーー!!」
ザワザワしながらもパニックは収まった。
さすがは、ナカキュウだ。
「ナカキュウ!! もし本当ならどうする?」
「ナカキュウじゃねえと、さっき教えたばかりだろう。てめーは馬鹿なのかーー!! この偽物野郎!! 化けの皮を剥がしてやる!!」
ナカキュウは、櫓から俺の方へ跳躍した。
あー、ナカキュウじゃねえのか。だったら本当の方を言えよな。
何だったかおぼえてねーー!!
「すげーー、何メートル飛ぶんだ!」
「ですなあ、人間業じゃないですなあ」
歳久殿と家久殿が驚いている。
確かに十メートル以上飛んでいる。
「うおおおおおーーーーーーー!!!!!!」
ナカキュウが、まるで緑色の水をかき分けるように突進してくる。
水しぶきのように緑色の葉っぱが飛び散る。
「すげーなー、滅茶苦茶はやいなー」
「はあーっはははは、俺は新政府軍の隊長の中でも身体能力だけなら誰にも遅れをとらねえ、覚悟しろーー!!!!」
ナカキュウは間合いに入ると次々攻撃してくる。
だが、隊長クラスなら、俺は余裕で戦える。
ナカキュウの攻撃をすべてギリギリで何とか、かわしているフリをした。
「うわあっ、し、しまった」
だが、俺は足下の草に足を取られてバランスを崩した。
「ひゃあーーはっはっはーー!! 死ねーー!!」
ナカキュウは、渾身の一撃を放った。
俺はこの瞬間を待っていた。
バランスを崩したのはこの一撃をさそうためのふりだった。
ドンッ!
低く鈍い音がした。
俺は、なるべくダメージを軽くするため、手のひらを目一杯広げ両手でナカキュウの胸を押した。
「げぶううぅぅーーーー」
ナカキュウは、なんだか口から汁を飛ばしながら飛んで行った。
汁が腕に少しかかった。
「き、汚えー」
「ぐはっ!!」
ナカキュウは、櫓の上まで飛んで行った。
そして、櫓の上で弾んで止まった。
「うわあああああああーーーーーーーー!!!!!! ほんものだーー!!!! 逃げろーーーー!!!!」
兵士達が一目散に逃げて行く。
「おい、おい。いいのか?」
俺は兵士達の心配をした。
「ふふっ、俺達新政府軍はアンナメーダーマンにあったときは逃げろと、桜木様から命令されている。心配には及ばないさ」
犬飼隊長が、俺の独り言に答えてくれた。
「ふふっ。なるほど」
「十一番隊、撤退だーー!!」
犬飼隊長が声を上げた。
「くっ! ぜんぐーーん撤退だーー!!」
ナカキュウも苦しそうに胸を押さえて大声を出した。
「おい、ナカキュウ!」
「だから、俺はナカヅイだーー!!」
「おお、ナカヅイだった。旗に読み仮名をつけておけよなー」
そうだった。やっと思い出した。
「いっぺんで憶えきれねえのはおめーぐれーだ! じゃねえ。なんでアンナメーダーマンが九州にいるんだよーー?」
「俺は、正義のヒーローだ。自由に日本中どこでも現れる。ところでナカヅイちょっといいか」
「だから、なんだ?」
「うむ、俺は一ヵ月ほど九州にいるつもりだ。侵略戦争はやめてくれないかなあ。その代わり、九州雄藩連合が新政府軍に攻め込んだら今度は俺が新政府軍に味方する」
「なるほど、正義のヒーロー様は侵略を許さないと言う事か」
「うむ、話が早いな」
「いいだろう。一ヵ月だけ停戦してやる」
「うむ」
「ぜんぐーん! 町まで引き上げだーー!!」
「すげーー。八兵衛さんすげーー!! 一人で新政府軍を撤退させてしまったー! すげーー!!!!」
歳久殿と家久殿が子供の様に目をキラキラさせて驚いている。
純真な瞳だなあ!
「うおおおおおおおおおーーーーーーーー!!!!!」
島津隊から歓声があがった。
キラキラした目の、歳久殿と家久殿の横で久美子さんが頬を赤らめて俺を見ている。
いつもは吊り上がったおっかない顔をしているが、今は柔らかい良い表情だ。
常にそういう表情ならきっとモテモテになるのだろうになあと、豚顔の俺が美女の顔に余計な心配をしている。