多くの市民によって撮影された謎の巨大生物。
その映像を取り上げる情報番組のコメンテーターは、「巨大なウォンバットみたいですね、白いけど」と見たままの姿形を例えて口にした。
番組アナウンサーの女性は、神妙な面持ちで頷きを見せ、モニターの画像を切り替えて報道を続ける。
「こちらの正体不明の巨大生物、いま議論されているのは消失の目前まで見せていた謎の予備動作です。一見すると遠吠えの前触れのような姿勢を取ろうとしているように感じられますが、映像の上部をよくご確認ください。分かりますか、奇妙な光の輪が発生しているんですね……」
その現象を、正しく説明できる人間などどこにもいない。これが仮に怪獣ゴジラのような熱線を吐く前触れだとしたら? 現実にはあり得ないそのふざけた憶測や不安の芽を、完全に否定することは誰にもできなかった。
「もしも
▲▽▲▽▲▽▲
――逃げ出してからすぐに二発の銃砲が鳴った。
これはじっちゃんによる攻撃だと思った。
思わず振り返っては、信じられない光景に目を丸くし、すかさず足を止めて声を張り上げる。
この状況下で攻撃するなんて何を考えているのか?
このまま逃げることによる俺の生存確率と、引き返すことで発生するリスクを天秤に掛けて、この愚かで血気盛んな祖父を見捨てることなど到底できない俺はやはり引き返すことを決意する。
「やめてぐれ! じっちゃんも早く逃げっぞ!」
「なんだぁ、おらぁこの町を守らねばなんねぇんだ! あんデカブツが降りでぎたらどうすっと!? 誰ぁれも戦えん! 銃持ってんのはおらだけだぞ!」
「無茶言うなって!!」
威勢ばかりが先走って、何も分かってくれない祖父に苛立ちを覚えながら、半ば羽交い締めにするような勢いで強引に連行することを決める。
アドレナリン全開の祖父は暴れ出して言うことを聞いてくれない。これまで鳥獣の被害から人や農作物を守ってきた祖父。その勇ましい姿は、俺の大好きなじっちゃんそのものではあるけど、こんなところでまで体を張ってほしいわけではないのだ。
じっちゃんにまで置いていかれてはたまらない。
――そのさなか。
「しっ、志久真ぁっ」
「なんだよ!」
「あそこに、人がおる!」
じっちゃんが指差すほうを見て、息を呑んだ。
「はっ!?」
巨獣の足元付近に昏倒した少女の姿が見える。服装が白を基調としているから目立つ。この池は朝方であれば別の猟師とバッティングすることならままあるが、一般人が立ち入ることはない。
ましてや銃を扱う際は、誤射のリスクをなくすために周辺をよく確認するから、あんなところに少女がいるはずはないのに――。
確かに、そこには少女がいる。
「救わんと!!」
「――ッッ、ああもう仕方ないな! 俺がやるから! だからじっちゃんも早う逃げろッ!!」
正義感の強い祖父を押し退け、俺は必死に駆け出した。
巨獣の真下を抜けるように走るなか、気が早いが走馬灯のようなものが脳裏を掠めていく。特撮かハリウッド映画でしか見ないようなスケール感、造形物やVFX(視覚効果)とは全く異なる
馬鹿なことをしている自覚はある。何もかも見捨てて、素直に逃げていればよかったのに。
でも、だからと言ってじっちゃんを恨みたいわけでもない。俺にだって正義感はあるし。
猟師という生業を通じて学んだじっちゃんの教えが、俺の体には染み付いているわけだ。
「――担いだ!!」
〝誰かのために奮闘しなさい〟
人を守るため。農作物を守るため。被害を減らすため。自然と人のバランスを維持するため。
猟師がいたずらに動物の命を奪うことは絶対になく、その背景には、人の生活を守るという大切な使命があるのだ。
そのために奮闘する祖父を見続け、学んできたのだから、俺にだってその度胸くらいはある。
まるで援護射撃をするように、銃砲が一発鳴った。
――フッ―――
その瞬間だった。
頭上にあった閉塞感があっさりと消え、阻まれていた陽光に照らされて視界が思わず白む。
さながらトンネルを抜けたときみたいに。
「……あえ?」
素っ頓狂な声が出る。巨獣はどこへ行った?
まさか、じっちゃんがやったのか……?
いやいや、まさかそんなはずはない。
夢から覚めたような不思議な感覚。唐突な静寂。駆け出していた足の動きが急速に衰え、目を白黒とさせながら俺は立ち尽くす。
状況の変化に、まるで理解が追いつかなかった。
「大丈夫かぁ、志久真!」
血相を変えてこちらへ走ってくるじっちゃんを迎える。ぼうっとする頭を目覚めさせるように振るい、乾燥した口内を潤すように唾を呑み込んでから答えた。
「う、うん、とりあえず……。ひとまず、帰ろう。この女の子が心配だ」
抱えている少女を見下ろす。この子が何者なのかは分からないが……ひどい怪我だった。
意識はなく、額には流血の痕がある。
「こりゃ
頷く。俺たちは安全な場所で、状況把握に努める必要があった。
――その後、場所を移動して。
じっちゃんの家は、町外れにある木造の古民家だ。
約百二十坪の面積の庭があり、無造作に車を停めることができる。猟にも使われるこの軽トラは祖父の車で、もう一台、使われていない小綺麗な軽ワゴン車が敷地内にはある。
こちらは父から相続した(祖父が代理で手続きをしてくれた)俺の車で、免許取り立ての頃に数回動かしたきりだった。
「……だめだ、病院は繋がんねぇ。やっぱ騒ぎんなってるみてぇだ」
「一応手当ては済ませたけど……。寝かせておくしかないか」
じっちゃんが掛け合ってくれたみたいだが、やはりダメみたいだ。
テレビとスマホ、両方を駆使して情報収集をする限り、巨獣出現でパニックになった人や衝撃の余波で立てなくなった、怪我をしたという人が地元の病院に殺到しているらしい。
近くの山では土砂崩れもあったのだとか。
仕方なく、少女は隣の居間で寝かせることにする。
SNSではこの一件が瞬く間にトレンド入りしており、テレビでは緊急速報が行われている。
いずれも情報の正確性には欠けるし、この現象を誰も説明できていないが、その緊迫感は十二分。
先ほど、自衛隊入りの報道もあった。
テレビでは『慌てるな』という懸命な呼びかけと視聴者からの情報提供を募っているみたいで、詳しいことが分かるのはもう少し先のことみたいだ。
「おっかねぇ……おっかねぇな……」
「じ、じっちゃん……」
じっちゃんは威力の低いエア・ライフルから散弾銃に持ち替え、護身のために抱き抱えている。流石に物騒すぎるから控えてほしいところだが、無理も言えない。
この状況下では用心に越したことはないだろう。
「……あん娘はなんだと思う?」
じっちゃんが険しい顔で問うてくる。情報が極めて少ないなかで、見るからに
こんな田舎でまず見ることのないキラキラとしたナチュラルボブの銀髪に、両サイドの三角形の髪留め。
線が細い体型で、銀装飾のあしらわれた丈の短いワンピース。両腕に嵌め込まれた、厚みのあるバングルは奇妙なデザインをしている。
全体的に色素の薄い女の子で、ずっと見ていないと幽霊みたいに薄れて消えていってしまいそうな、そんな危うさがあった。
もしも彼女が目覚めたら、あの巨獣の正体も知れるのだろうか?
「傷の形が刺されたり、切られたりしたものに見えた。それでこの画像を見てほしいんだけど、巨獣にはムチみたいな尻尾があるんだよ。先端が膨らんでいて、トゲトゲしているんだけど」
巨獣はずんぐりむっくりとした毛深い動物っぽくて、怪獣みたいな荒々しい姿をしているわけではないけれど、その尾には十分な攻撃性が秘められているように見える。
もしもこの少女が巨獣と戦っていて、尾に薙ぎ払われて墜落したのだとしたら?
もしそうなら、人類の敵ではないのは確かだ。むしろ正義のヒーローの可能性もあって。
「どっか逃げるか……どごさ逃げだらいいがも分がんね。急に現れて急に消えっちゃがらなぁ」
じっちゃんが、疲れたように息を吐く。
俺もそう思う。
あの巨獣は対策のしようがない、まさしく災害のような相手だった。
「あ」
と、先に気付いた祖父が少女を寝かせていた隣の居間を指差した。
どうやら目覚めたみたいだ。
猟銃を抱える祖父が真っ先に近付くのは悪いだろうと思い、まずは俺が慎重に声を掛けることにする。
「ひっ……」
青ざめた顔で避けられ、接近する足が止まった。
どうにも近付けずにいると、少女は状況の変化に追いつこうと周囲を見渡したり自分の体を確かめるように触る。
自身が寝かせられていた来客用布団や、腕と頭の包帯。応急処置の痕跡を見つめ、やっと理解したところで、さぁーっと血の気の引いた顔を浮かべた。
その反応があまりにも気の毒だったから、俺は彼女を落ち着かせるようにゆっくりと歩み寄りながら丁寧に言葉を掛ける。
「だ、大丈夫だ。もうあのでかいやつはいないから、まずはゆっくり深呼吸をして――」
「だっ、ダメなの! 近付いちゃダメなの、ダメなのにっ……!」
拒絶される。でも彼女が恐れているのは俺自身ではなくて、何か別ののっぴきならない事情があって俺を遠ざけようとしているみたいに見えた。
潤む瞳は救いを求めたままで、彼女は自責の念に苛まれるように、苦しそうに必死に言葉にする。
「わ、私、これじゃあ殺されちゃう……!!」
塞ぎ込むように丸くなる姿。
あまりにも可哀想で、気の毒な姿。
得体の知れない少女の悲痛な叫びが、古びた民家のなかにこだました瞬間だった。