「信号が、途絶えた……。もう、追われてないみたい、です」
隣の市に移動しながら、逃亡を始めて約一時間ほどが経った頃。
手元のバングルの信号の変化を一点に見つめていた少女が、恐る恐ると俺に向かってそう報告する。
近くのコンビニエンスストアに車を停めた。
まだ慣れていない運転に、肩に力が入りっぱなしだった。
「疲れたからちょっと飲み物買ってくる」
「……あ、あの。付いていっていいですか?」
下車しようとすると座席から身を乗り出すようにして袖を掴まれ、そんなふうに呼び止められてしまう。
あまり気の回らなかった俺は、そっけない振る舞いをしそうになったが、彼女のその顔が妙に不安そうだったから嘆息一つ吐いて首肯する。
「いいよ」
そうして、コンビニ店内へ。
空調機のおかげで室内は暖かい。ホットドリンクを扱うケースの前へ移動すると、後ろからぴったりと少女が俺に付いてくる。
ぜんぜん離れようとしない。
コンビニ店員の視線がやけに刺さる。
こんな田舎に薄着で銀髪、包帯巻きの女の子だ。さすがに何か対策をするべきだったか?
「はあ……」
「……?」
色々と気が滅入る。
こいつは、なーんも分かってない。
他人の気苦労も知らないで、不思議そうな目をして見上げてくるこの少女を疎ましく感じ、俺は先ほどから地味に気になっていたことを指摘する。
「お前、自分の分は自分で買えよ」
我ながらみみっちい台詞だけれども。まさかそこまで俺が面倒を見てやることもないだろう。
それだけを告げた俺はスタスタと振り払うように店内を一周して、しばらく様子見したあと会計に移る。
……結論から言うと、彼女は俺のそばから一度も離れようとしなかった。
「お会計がこちらになります」
「………」
いやいや、冬場にワンピース一枚の少女を連れて自分用のホットドリンクしか購入しない男、さすがに世間体が悪すぎるだろう!
少女は何も感じていないみたいだが、他所様から見ればそのあまりの非道っぷりに自分でも居た堪れなくなってしまって、俺はムカムカとしながら適当なホットドリンクをもう一つ選び、会計する。
自意識の薄い彼女の手を強引に引っ張って、店の外に出る。
「お前もうちょっと気を遣えよ!?」
「え? す、すみません……」
思わず不満をぶちまけてしまう。本当に付いてきただけじゃねえか! いや、心細いのは分かるのだ。分かるが、もうちょっとこう、あるだろう。ただのコンビニだぞ? お前は俺の腰巾着か!
俺の荒らげた声を聞いた彼女は、ひくっと怯んだ態度で俯いてしまう。
や、やりづらい……。
とにかく、なんとか溜飲を下した俺は、ひとまず目立つ彼女の視線対策として上着のジャケットを「着るように」と投げ渡すと、車に乗り込んだ。
はあ……、と深々と息をつく。
「分かってる、冷静にならないと……」
その後、少し遅れて言われた通りにジャケットを羽織った少女が助手席に乗り込んできた。
しかしその表情は暗いまま、ホットドリンクは大切そうに両手に抱えるだけで、気持ちを切り替えてから合流するという発想はないらしい。
陰気なオーラに、こちらの気分まで引っ張られてしまいそうだ。
つくづく手のかかるやつだなと呆れながら、空気を変えるために俺は声を掛ける。
「……で、名前は?」
「………ホルン」
おお。まさか教えてくれるとは。
思わぬ素直な返答に、俺は嬉しくなって明るくリアクションを取る。
「ホルン? なんだ、いい名前じゃん。あるならもっと早く教えてくれよ」
「………」
気まずそうな顔をしたホルンが曖昧に首を傾げる。
自嘲げな苦笑いが印象的だ。
その態度の理由は気になるが、質問に答えてもらえるようになっただけ前進だと受け止め、俺は続けての疑問を投げかけてみる。
はてさて、どこから問い質すべきか。
「あー、その、ホルンは何者なんだ?」
「………」
これにはだんまり、と。
後頭部を掻く。なかなか話を進められない。
またも沈黙が訪れそうになるなか、仕方なく、俺は核心に迫る質問をする。
これでまた心を閉ざされたらどうしようもないが。
「あそこにいた理由は?」
「……っ」
半ば問い詰めるような形になりつつ、逃げ出す前に『全部教えてもらうからな』と約束したのが効いたのか、これについてはホルンは口を割ってくれそうだった。
彼女が話し出すのをじっと待つ。
「……巨獣を、追ってました。でも、私は、グズで、ノロマだから。一人だけ、攻撃を躱せなくて、墜落した。みんなの足を、引っ張っちゃった」
「お、おいおい……」
急に自分を卑下し出して狼狽える。自己評価が低いのか? そんなことを自分から言い出したって、いいことは何一つない。
語りながら苦しそうに背を丸める少女を、労ってやろうと手を伸ばしたが、軽率に女性に触れてなるものかと若干の理性が俺の善意を阻む。
ただ彼女が落ち着くまでを見守った。
「……とりあえず、話してくれてありがとう」
答えたくない質問だったろうに、答えてもらったことには感謝をする。
頃合いを見計らってそう伝えると、ホルンはこくりと頷いた。まだ枯れた涙が尾を引いているみたいだったから、その流れでホットドリンクを飲むことを勧めると、彼女は一口だけ口を付けて深呼吸をする。
その姿を見て、もしかしたらこの少女は思ったよりもずっと素直な子なのかもしれない――、と彼女に対する印象を改めながら。
気になることは、依然としてあるが。
続けて聞くべきは襲撃者の正体だと思った。
「それで、次の質問なんだけど。あの黒い女は何者なんだ?」
「………。……彼女は、私の姉です」
「あっ、姉? 姉!?」
予想外だ。思わず大きな声が出てしまった。
いや、俺が質問したとき、ホットドリンクを握り込む両手にぐっと力が込もったのを見ていたから、何か訳アリなんだろうなとは思っていたが……。
言葉を交わすこともなく、真っ先に槍で刺し穿とうとしてきたあの女が実の姉であると言うか。
詳しいことは分からなくても、これだけで込み入った事情があることは分かるし、ホルンがずっと暗い顔をするのにもなんだか頷ける。
思ったより事態は深刻なのかもしれない。
彼女を追い詰めないように、俺は慎重に言葉を選んで尋ねる。
「……どうして、命を狙われることになったんだ?」
「私が、掟を破ってしまったから」
確かにあの女も似たようなことを言っていた。
『掟破りを発見、最重要任務期間中につき速やかに処罰する』
……と、そう言って奴はバングルを槍に変え襲いかかってきたのだ。
「掟って?」
「人と触れ合わないこと」
―――。思わず、息を呑む。
いや、それは無茶だろう。それで命を狙うのはやりすぎだろう。点と点が一本の線で繋がる感覚。
だからホルンは俺たちに救われたことを後悔し、自暴自棄になりかけていたのか。
意図せず人に触れられ、掟を破ったことになり、命を狙われてしまうからと。
じっちゃんの憤りがなければ、彼女が生きたいと言えることはなかったかもしれない。
それほどまでに理不尽で、あの状況下じゃどうしようもない話だ。
「そんなのって……」
責任の一端が自分にあることを知らしめられ、言葉を続けるのが難しくなった。ホルンも状況は理解しているようで、ここで俺を責め立てるような真似はしてこない。だからこそ俺は行き場のないぐちゃぐちゃとした感情を覚える。
それって……どうなんだ?
背もたれに一度身を預け、頭を整理させた頃に会話を再開する。
「ホルンは、これからどうするんだ?」
「………分かりません。でも、私は死にたくなくて……」
そう言って彼女は膝を折りたたみ丸くなる。その姿を見て、心臓がきゅっと痛んだ。
だよな、答えは出せるものじゃない。
ここまで話して、ようやくこの少女の精神状態が分かってきたような気がする。
道理でずっと浮かない顔をするわけである。
死にかけたと思ったら助けられ、助けられたかと思ったら今度はそれが原因で命を狙われるようになり、誰かを責めることもできなければ、あとに残るのは後悔の感情だけ。
過剰な自責は褒められないが、それだけ責任感があって思い詰めやすい性格なのも分かる。
「………」
もしもこのまま放っておいたら、彼女は実の姉に命を狙われ続けるのだろうか?
ただ、人に触れられただけで?
それとも見殺しにしてやればよかったって? 掟はそんなにも大事なものなのか?
生きたいと願う少女の気持ちを、追い込むだけの理由がそこにはあるのか??
馬鹿げてる。そんなことはおかしい。
「うん……。分かった、そうだよな」
自分のなかで一つの結論を出すとき、声に出して本当に納得できるのかどうかを自問自答してしまう節がある。
答えは是。腹をくくる覚悟ができた。
もう少しこの少女に付き合う心構えが。
「んじゃあ、作戦を練ることにするか。いつ次が来るか分からないし、俺もしばらく協力するからさ」
「え……」
張り切って俺がそう口にすると、彼女は驚いた顔でこちらを見上げる。
ようやくまともに目が合った。
いままではどこか伏目がちで、しっかりと目と目を合わせて会話をすることがなかったから。
まるで本心を探るように、まっすぐと俺の顔を見つめるその瞳。つぶらで大きくて、純粋で、宝石のような輝きがあって。
本当に現実離れした――美少女だなと、認識する。
「い、いいんですか……?」
「ホルンの話が本当なら、俺にだって助けた責任はあるだろ? その後がどうなろうと知ったこっちゃないなんて、そんな薄情な人間のつもりもないんだよ、こちとら」
震えた声で発言を確かめられ、俺は見栄を張った返答をする。まあ、この言葉は嘘じゃない。
じっちゃんの安否は早めに確認させてもらいたいところだが、彼女のために車を運転してやるくらいならいまの俺にだってできるだろう。
命を狙ってくる実姉に対して、彼女がこの先和解か対決か逃げ続けるのかは俺には分からないが、次の当てを見つけるくらいまでならぜひ手を貸してやりたいと思う。
「さっきは冷たく当たって悪かった」
「い、いや、そんな……」
俺がそう言うと、ホルンはふりふりと強く首を振りながら、態度に反して気弱な声で否定する。
彼女が内気で人見知りな性格なのもよく分かったから、きちんと付き合い方を考えれば、今後も良好な関係を築けるはずだ。
いくら余裕がなかったとはいえ、さっきまでの俺は大人気なさすぎた。
見たところ彼女は俺よりも三つ四つ下の年齢には見えるし、年長者としての気配りは心掛けたい。
「……ありがとう、ございます」
「うん」
ほっとした顔をこちらに向けてくれるホルンに俺も安心する。
相互理解はコミュニケーションの基本。
つい数分前は何を考えているのか分からなかったこの少女も、人一倍悩んで苦しんでいただけなのだと分かると、どうにかしてその気持ちを明るくさせてやりたくなった。
「そうと決まれば腹ごしらえはしないとな。ここはダメ、別のコンビニで簡単な飯でも買おう」
「えっ、は、はい……?」
シートベルトの着用をお願いして、俺は慎重にハンドルを切る。
何はともあれ、現状最大の懸念点としては、俺が初心者マーク必須のペーパードライバーであることくらいか。