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第81話【念昂じて③】

 ◆


 山田の怒声が、広間の淀んだ空気を突き破るように響いた。


 佐々木は狂喜の笑みを浮かべたまま腕を振り回している。


 迂闊に近づけば弾き飛ばされてしまうだろう。


 だが、山田の動きはその間隙を突くかのように鮮やかだった。


 床を踏みしめた山田はわずかに腰を沈め、まるで大蛇が獲物に飛びかかるような低姿勢から一気に踏み込む。


「佐々木ッ!」


 山田は地を蹴り、佐々木の脇腹へ強引に切っ先を差し込んだ。


 鋭い突きが一度。


 さらに、連続する二度、三度の突き。


 飾り気のない、その分だけ徹底的に殺傷を目的としたナイフさばき。


 刃は筋繊維の奥へ躊躇なく滑りこみ、血とも膿ともつかない液体が飛沫を描く。


 ──腕だけじゃないかッ! 


 変容したのは腕だけ、そう見込んでナイフを突きこんだ山田だが目論見が外れた形だ。


 佐々木は人間とおぼしき部分も、もう大分“変わって”いた。


 山田は歯を食いしばり、なおも切り裂くように刃を押し込んだ。


 そんな山田の吶喊だが、それなりに効を奏した様だ。


「……ひいっ!?」


 佐々木は悲鳴をあげて一瞬体を硬直させた。


 隙ありと見た山田。


 抑え込み、喉を掻っ切ってやろうとするが、まるで別の生物の様に暴れまわる腕に体勢を崩される。


「くそ……! ──手加減しねぇぞ!」


 山田は気迫を全開に放ちながら、跳躍し、上段からナイフを振り下ろす。


 跳躍の勢いを借りて一気に勝負を決めてしまおうという肚だった。


 切っ先が大きな弧を描き、佐々木の肩を深く抉る。


 重い音と共に飛散する体液は赤黒く、血液と腐敗した樹液が混ざったような悪臭を放つ。


 ──ろくに防がないんだな


 “こうなる前”は戦闘巧者であった佐々木だが、いまは見る影もない。


「うあああッ……痛い……痛ぇ……ぐっ……!」


 佐々木は地を這うように声を絞り出した。


 先ほどの狂乱が一瞬引っ込み、自分の肩を押さえながら力なくうずくまっている。


「なんで、山田さん、俺を……」


 ──殺そうとするんですか? 


 そんな幻聴まで聴こえてきた山田は明らかな隙をつけなかった。


 一瞬立ち止まり、目を見開いて佐々木を見ている。


 といっても1秒やそこらの事ではあったが──佐々木が立ち直るには十分な時間でもあった。


 直後、佐々木の腕が筋繊維が破裂しそうなほど隆起し──


「がぁあああああ!!」


 絶叫。


 悲鳴と歓喜が入り混じったような濁流の声が、広間全体に響き渡る。


 山田は咄嗟に距離を取ろうとする。


 しかし、佐々木の巨腕は予想を上回る速さで横殴りの軌道を描いた。


「しまっ──」


 山田の叫びが最後まで続かない。


 猛烈な衝撃音。


 まるで巨大な柱に横から激突されたように、山田の身体は宙を舞った。


 吹き飛ばされた山田の体が壁に叩きつけられ、鈍い衝突音が響く。


 複数の仏像の残骸が散らばる床へ落下し、山田は膝をついたまま動かない。


「山田さん……!」


 連盟の隊員たちが悲痛な声をあげて駆け寄ろうとする。


 しかし、再度腕をぶん回した佐々木の動きによって、近寄れずに足を止めざるを得なかった。


「て、てめぇッ……何しやがる!」


 山田を慕うメンバーが怒声を上げる。


 押し寄せるように数名が佐々木に飛びかかろうとするが、絶え間なく暴れ回る巨腕に妨害され近づけない。


 振られるたびに空気が悲鳴をあげるような風圧を生み出していた。


「おおおおおっ!」


 仲間たちの咆哮が重なり、複数の武器が佐々木を襲う。


 ハンマーを構える者、斧を握る者、投射機を用いる者……。


 連盟の精鋭たちは何とかして佐々木を止めようとするが──


 佐々木は膨れ上がった腕を遮蔽物のように巧みに扱い、攻撃を防いでしまう。


 明らかに先ほどまでより戦闘の練度が向上していた。


「近寄れねぇ……!」


「くそっ、突っ込んだらこっちも吹っ飛ばされる……」


「山田さん……山田さん!」


 焦りや怯え、怒りが綯い交ぜになった叫びが飛び交う。


 広間の床には血と破片が散乱している。


「誰にも……邪魔させない……! 俺は……もっと強くなるんだ……! お前らみたいなモンスターには負けない!」


 佐々木は今度は明確に敵意を持ってこちらをにらみつけていた。


 ・

 ・

 ・


 ◆◆◆


 この腕を見てくれよ。


 こんなに太くてこんなに強くて、でもこれ以上ないくらい自然に動く。


 不思議だ。


 でも、最高だ。


 だって、こんなふうに自分が“強くなれた”感覚を味わうのは生まれて初めてだから。


 ちょっと前までは、大きなダンジョンに踏み込むなんて無謀だと思っていた。


 死ぬのが怖くて、危険に首を突っ込む気にはとてもなれなかった。


 周りの仲間は口々に「やるしかない」と言っていたが、俺はどこかで「ほどほどに稼げればそれでいい」と思っていた。


 大きな名声が欲しいとはいえ、命を捨てる気なんてなかった。


 だけど、今は違う。


 この腕を見ろよ。


 まるで、世の中の全てを薙ぎ払えるんじゃないかと思える。


 腕だけじゃない。


 身体の中を駆け巡るこの感覚は、一体なんなんだろう。


 痛みも恐怖も、全部ひっくるめて燃料に変わっているみたいだ。


 怖いものがないって、こういうことなんだな。


「自分は弱い」っていう意識に押し潰されて、今まで何もできなかった。


 実力者の探索者たちがすいすいと危険を乗り越えていくのを、ただ眺めるだけだった。


 でも今なら、俺は誰よりも強くなれる気がする。


 ──いや、もうすでに強くなってる


 どんなモンスターだって俺を阻めやしない。


 もっと試したい。


 どこまで強くなれるのか、まだ俺自身にもわからない。


 一歩踏み出すたびに筋肉が歓喜をあげているように感じる。


 ああ、山田さんはどこだろう。


 真っ先に報告したいんだ。


「俺、こんなに強くなりました」って言いたい。


 驚く顔が見たい。


 今まで「お前はビビりだ」とからかわれてきたけど、今の俺を見てどう思うのかな。


 きっと目を丸くするに違いない。


「やるじゃないか、佐々木」って、あのぶっきらぼうな声で言ってくれるんだろうな。


 それを想像すると、思わず笑いが止まらなくなる。


 俺はここまで来たんだって、胸を張って自信を持って言える。


 あれ……? 


 でも、山田さんの姿が見えない。


 あんなに近くにいたはずなのに。


 まさか……倒れてる? 


 どうしてそんなことになってるんだ? 


 信じられない。


 あの強い山田さんが、こんなところで倒れているはずがない。


 いま俺がいるこの場所は、危険なモンスターがたくさんいるから? 


 もしかして、何者かに不意打ちされたのか。


 そんなバカな……山田さんが油断するなんて考えられない。


 いったい、誰が山田さんをこんな目に遭わせたんだ。


 まさか、この周りにいる連中が……? 


 あいつら、顔つきがどこか妙だ。


 それに、さっき俺に武器を振りかざしてきたのは何なんだ? 


 まるでモンスターを殺すみたいな目をしていた。


 ふざけんなよ。


 俺は同じ探索者なのに、どうして攻撃されるんだ。


 やっぱり怪しい。


 あいつらは一見仲間のフリをしていただけで、本当はここの化け物なんじゃないのか。


 そうとしか思えない。


 さっきも俺に向かって「化け物め」なんて口走っていたし、何かがおかしいんだ。


 そうだよ、山田さんを傷つけたのはコイツらだ。


 絶対に許せない。


 俺が守らなきゃ、山田さんを。

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