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第83話「薬師大医王①」

 ◆


 城戸の左腕が溶けた。


 どろり、と金属光沢を帯びた義肢の表面が崩れ落ちる。


 それは熱によって融解させられたかのようにも見えるが、実際は違う。


 腕の輪郭が瞬く間に形状を変え、薄い液膜めいた銀色の“何か”が揺らめくように延びていく。


 薫子がかすかに息を呑んだ。


 右腕を膨れ上がらせた佐々木が狂乱の声をあげるなか、城戸の左腕は再編されていく。


 数秒とたたないうちに、それは細長い刀身のような形を取りはじめた。


 銀刀──しかも通常の刀とは違い、その刀には柄がない。


 城戸の左腕そのものが刀に変形したからだ。


 そして──


 片倉の目には薄暗い堂内に筋の銀閃が走ったように見えた。


 次の瞬間──佐々木は縦半分に割れ、二塊の血肉と化して嫌な音を立てて床に転がった。


「…………っ」


 斬られた佐々木はもはや呻きすらも出せずに、やがて茫とした視線を虚空に漂わせた。


 死んだのだ。


 ◆


「あれは……岩戸の……」


 薫子が呆然とした口調で呟く。


 城戸は左腕をゆるやかに振り払いながら、片眉を上げる。


「おう。IWT-TS-023──通称“カムド”ってやつだ。岩戸重工が開発した新式の義肢でな」


 その声にはわずかな自嘲が混ざっている。


「形状記憶液体金属を使った代物よ。使用者の意思に呼応して形を変える。ただし、何でもかんでも自由に変身できるわけじゃねえ。製造段階であらかじめ“覚え”させておいた一種類の形態にしかなれねえんだ」


 床に伏した佐々木の血がじわりと広がり、薄暗い堂内に鉄の臭いがこもる。


 だが城戸はそれを一瞥するだけで、必要以上の感慨は抱いていないようだった。


「ナノ単位の薄さまで鋭利化できる割に、妙に頑丈だ。義肢としての感覚も生身と遜色ねえし……ま、便利は便利だけどよ」


 城戸が淡々と説明している間、薫子は佐々木の無残な姿へ視線を落とす。


 既に完全に事切れている。


 大きくせり出した筋肉も、怪物のような腕も、すでに生者の力を失ったただの肉塊だ。


 倒された直後こそ微動していたが、いまは体液を垂れ流したまま沈黙している。


 ひどくあっけない幕切れだった。


「でも、あまり使いたくはねえんだよな。こうやってバッサリやると、腹が減っちまう」


 城戸は苦い顔で左腕を凝視する。


 刀の形に変化していたそれが、じわりと輪郭を元に戻し始めた。


 筋肉のように収縮していくその様は、まるで生きているかの様だ。


 それを眺める片倉は、どこか違和感を拭えなかった。


 城戸ならば本来であればもっと鼻息荒く自慢してもおかしくないシロモノだ。


 “どうだ、すげえだろう”と胸を張る姿を想像できるだけの、規格外の義肢──液体金属の剣。


 しかし城戸の声音には、嬉々とした調子がまるでなかった。


 あくまで「仕方なく使った」というニュアンスだけが浮き彫りになる。


 むしろ「こんな力など要らん」と言わんばかりの、薄ら寒い距離感さえ感じさせる。


 それに違和感はまだある。


 なぜわざわざ性能を明かすのか。


 岩戸重工の新式の義肢──片倉が知る限りそんなものは市場には流通していない。


 であるならば、テスターのような形で実地での性能試験ということで城戸に与えられたのだろう。


 ──そういった契約を結んでい゙るなら、ここでぺらぺらと喋るのは何か引っかかるな


 そんな事を思う片倉だが、その当の片倉にせよ企業と個人の契約に精通しているわけでもないし、ましてや岩戸重工の方針について何か知っているわけでもないため、違和感を掘り下げるという様な事はできなかった。


「佐々木……」


 壁際にいた連盟メンバーの一人が、死体へ駆け寄り膝をつく。


 人ではない何かに変わってしまっていても、佐々木が彼らの仲間だったという過去、記憶は消えない。


 だが佐々木は暴走し、仲間を攻撃し山田を負傷させたのだ。


 ならばこうなってしまっても仕方はない──連盟の誰もがそう思い、だからこそ城戸を責める者は一人もいなかった。


 城戸は口を噤み、そっと視線を遠ざけた。


「……悪かったな」


 わずかにそう呟くと、城戸は床に落ちた自分のナイフを拾い上げる。


 誰が悪いわけでもなく──ただ、ダンジョンの歪んだ“意思”が佐々木を喰らい、利用したにすぎない。


「おーい、山田のおっさん! 生きてるか?」


 城戸は床に膝を突くように倒れていた山田を探す。


 すると堂の隅から、連盟メンバーの焦った声が返ってきた。


「山田さんは大丈夫だ! 気を失ってるが、それだけだ! 今手当をしている!」


 彼らは二人がかり、三人がかりで山田の体を担ぎ、堂内の壁際へ運び込んでいた。


 山田の意識は戻らないが呼吸は安定しているらしく、命に別状はなさそうだ。


「まあ、よかった。死なれちゃ困るからな」


 城戸がそう呟き、片倉と薫子もほっとした表情を浮かべる。


 安堵の空気が、堂内にわずかに広がった。


 ◆


 山田が生きているという事実は、連盟にとっても大きな救いだ。


 連盟のメンバーたちが集まり、あちこちで無言の手当や回収作業が始まる。


 もともと負傷者もいたため、戦闘続行は不可能だというのが残った連盟のメンバーの総意であった。


 確かに早期撤退が妥当だろう。


 一旦撤退し、そして態勢を立て直してから再度チャレンジするというのが合理的な判断と言える。


 城戸、片倉、薫子の三人も山田のもとへ行き、まずはどれほどのダメージかを確認しようと歩み寄る。


 不穏な真言の声はいつの間にか止んでいる。


 金色の如来像は相変わらず沈黙し、そこにあるだけ。


 まるで何事もなかったかのような冷たい佇まいだった。


 と、そのときだ。


 片倉の脳裏に、女の声が響いた。


 ──『後ろ』


 その声は、どこか沖島 瑞樹の声に似ていた。


 身体中の毛穴が逆立つ。


 背骨に氷柱を突き立てられたかのような悪寒が一瞬で走り抜ける。


 「散開しろ!」


 片倉は条件反射のように叫び、前方へ飛び込むように転がる。


 城戸も薫子も、理解が追いつく前に敏捷な動きで左右へ跳んだ。


 瞬間──三人が先ほど立っていた床へ、何かがたたきつけられた。


 小さな破片が宙を舞い、ぬらりとした液体が飛散する。


 ぱしゃん、という音とともに、赤黒い粘度の高い液が堂の床を覆った。


 鼻を突く嫌な臭いが立ちこめ、あっという間に泡立ち始める。


「これは!?」


 薫子が目を見開く。


 見れば、泡立つ液体の表面がずぶずぶと陥没し、そこから無数の“何か”が蠢いていた。


 小さい口、あるいは指のようにも見える無数の突起。


 「アアア……」とか「い゙い゙い゙い゙──」だとか、何とも形容しがたい呻きとも嘆きともつかない声を発している。


 ぞわり、とこの世のものではない悪寒が広間を包む。


 無数の赤黒い口と手が、血の塊じみた粘液の表面で伸びたり縮んだりしており如何にも悍ましい。


 片倉たちは後ろを振り返った。


 視線の先には──薬師如来像。


 閉じた両の瞼から伝う赤黒い液体は涙にも似て。

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