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真祐は目を覚ました後、しばらくぼんやりとしていた。
──朝、かぁ
鳥の声がする。
長い夢を見ていたような気がした。
内容は思い出せないが、息苦しくて──そして酷く哀しい夢だったように思う。
ベッドから降りて窓を開ける。
四月の生ぬるい空気が入ってきた。近所の子供の声。
いつもの朝だ──なのに妙に新鮮に感じる。
真祐はクローゼットからシャツとジーンズを出して着替えた。
「くそ、ちょっと走らないと間に合わないかな」
ぼやきながら外に出る。
陽が眩しさに真祐は目を細めた。
通学路の桜が満開で、風が吹くと花びらが散る。
大学は新入生でごった返していた。
その活気の中を、真祐は目的もなく歩いた。
「おーい、真祐」
振り返ると武がいた。
「よう、武。今日は早いな」
自然に言葉が出た。
万田武──真祐の数少ない友人の一人だ。
「ああ、少しな。雪も一緒だ」
武が親指で後ろを示す。
少し離れたベンチに小柄な少女が座っていた。
黒髪、白い肌。膝に熊のぬいぐるみ。
真祐に気づいて小さく手を振る。雪だ。
「おはよ~。あれ? 昨日眠れなかったの?」
雪の間延びした口調は相変わらずだ。
「あ~、うん。変な夢を見たせいかもしれない」
真祐は雪の隣に座る。武も窮屈そうに座った。
◆
三人で話す内容はとりとめがなかった。テレビ番組のこと、講義の課題、サークルの新勧。
まあ要するに、いつも通りの内容という事だ。
しかし──
──なんだか、楽しいな
そんな思いが真裕にはあった。
普段と何も変わらない、些細な日常会話がやけに楽しいのだ。
その理由は真祐にもさっぱりわからない。
「あ、そういえば」
雪が思い出したように言った。
「澪ちゃんが君のこと探してた。カフェテリアにいるんじゃないかな」
「澪が?」
その名前を口にした瞬間、胸の奥で何かが音を立てた。
何の話だろう、と真祐は妙に緊張してしまう。
というのも、ここ最近真祐は恋人である澪と将来の話をよくするようになっていたからだ。
まあ在学中にどうこうという事はないが、それでもやけに意識してしまうというところであった。
「ちょっと行ってくるよ」
真祐は立ち上がり、カフェテリアへ向かった。
◆
ガラス張りの空間は学生でいっぱいだ。
食器の音、談笑、コーヒーの香り。喧騒の中を歩きながら、探す。
──いた
澪は窓際の席に居た。
ぼんやりと窓の外を見て、何かを考えている様子だった。
真祐は立ち尽くした。
見ているだけで、乾いた心が潤っていく。
長い旅の終わりに、ようやく辿り着いた──そんな気がした。
──なんなんだよ、この気持ちは
別に長い間離れていたわけでもないし、と真祐は自分の気持ちの動きに首をかしげる。
と、そんな事をしていると澪が真祐に気づいた。
大きな瞳を見開き──次の瞬間、顔に笑み。
花が咲くような、人懐っこい笑顔だった。
「真祐! こっちこっち!」
大きく手を振る澪。
「あ、ああ」
呆けたような返事を返しながら、真祐は小走りに澪の元へと駆けていく。
◆
「なんだか眠そうな顔してるじゃん」
澪が苦笑しながら言うと、真祐は「うん、ちょっと変な夢をみてさ」と答えた。
「へー、どんな夢?」
「いや、それが覚えてなくって」
「駄目じゃん! まあいいや、それでね……ちょっと話があって……」
話? と真祐が首をかしげると、澪は頷く。
「私さ、ほら、登山サークル入ってるじゃん?」
「……もしかして」
真祐は顔を露骨に顰めた。
というのも──
「そ! 真祐もどうかなっておもってさ……ってそんな顔しないの! いくら運動が嫌いだからってさぁ」
「別に、嫌いってわけじゃ……」
「先輩たちがごっそりぬけちゃってさ、なんか随分寂しくなっちゃってさ~。先輩たちを慕ってた後輩の子たちもね、辞めちゃったりして……。実はもう私と薫子しか残ってないんだよね」
「薫子──ああ、友達の?」
「うんうん、髪の毛がきれーなの! モデルさんみたいなんだよ」
「うーん……だったら、どうせならあいつらも巻き込んじゃおうか」
「雪と武のこと?」
真祐はにやりと笑う。
それにつられるように、澪も笑う。
「そうだね、そうしよ! サークルメンバーが3人以上居ればサークルも存続できるしね」
「サークル名ってなんだっけ?」
「『登山部』だよ! ちょっとダサいし、サークル名かえちゃう?」
「別に登山部でもいい気はするけど……」
「せっかくメンバーほとんど入れ替わるんだし。うーん、じゃあ……『far away』とかは?」
遠くへ、という意味だ。
真祐は何度か頭の中で繰り返し、うん、と頷いた。
「良いかもな」
「でしょ?」
澪はそういって笑った。
その笑顔の美しさに、真祐は一瞬ぽーっとなり「綺麗だな」と口走ってしまう。
それを聞いた澪の頬がみるみるうちに紅くなり──
(了)