目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

家族

 ヨウマとジクーレンは、向かい合い、目を閉じて座っていた。座布団の上で、結跏趺坐。二人だけには広い訓練場。そこが、修行の場だった。


「これ、ほんとに効果あるの?」


 ヨウマが問う。


「ケサンのコントロールは一にも二にも集中力だ。まずは精神を落ち着かせる。話はそれからだ」

「……ま、いいけどさ」


 それだけ返事をして、瞑想に戻る。


 浮かんでくるのは、様々なこと。この間テレビで見た爆破テロのこと。キジマも呼べばよかった。深雪はどうしているだろう。優香は本でも読んでいるのだろうか。


 そこまで考えて、彼は頭を横に振った。優香のことを考えるのが、妙に気恥しいのだ。しかし、穏やかな心にもなる。知らない感動だった。


(何も考えない、何も……何も考えないを考えちゃうな)


 そういうことを思いながら、意識をより深いところへ持っていく。


 ケサンは、完全にして純粋なエネルギーだという。それを目に見える形で現象とするのがクリムゾニウムの性質だ。意志の力に呼応する鉱石──しかし万能ではない。


 確かに、ケサンはあらゆる形態へと変化するポテンシャルを秘めている。術者の知識と意志次第で、どんな傷も治すことができる。莫大なケサンが必要だが、完全に切断された部位を繋ぐなども可能だ。しかし、一般人では自然治癒力をブーストする程度が限界とされる。事実、ヨウマもグリンサも医学に明るくないため、応急処理でいっぱいいっぱいというのが現実だ。


(この傷も完璧に治ったわけじゃないし、力んだら痛いし。便利だけど何でもできるわけじゃないのが辛いなあ)


 ゴーウェントにつけられた、脇腹の傷。敗北の象徴だ。負けは負けとして次に進めばいいと、そういう割り切りができるほど年はとっていなかった。


 だが、引きずり続けるわけでもない。剣の腕が足りなかったというリアルは、しかと受け止めていた。


(ヘッセを使うと疲れるから使わなかったけど、これからはそういうわけにもいかないのかなあ)


 思索の内に、眠くなる。舟を漕いでいるのが自分でもわかる。


「寝てはいないだろうな」

「全然! そんなことないよ、そんなこと」


 慌てて姿勢を正す。見えてはいないだろうが、見透かされているように思える。そういう気迫がジクーレンの姿にはあった。


「まあ、そろそろいいだろう」


 ジクーレンが重々しく立ち上がる。3メートルの背丈というのは、230センチから260センチの間に大体が収まるフロンティア7のニェーズとしてはかなり大柄な部類になる。太い指にはヨウマと同じ赤い指輪が嵌めてあった。


「ヘッセを使うぞ」

「オッケー」


 体を持ち上げながらヨウマは答えた。


「ケサンの流出を抑えることは、何もイニ・ヘリス・パーディになる時でなくとも、ヘッセの発動タイミングを読まれ辛くなる、という点で役に立つものだ」

「そうなの?」

「ヘッセを使う事前動作として、魂の出力を一時的に上げる瞬間が必ずある。それは知っているだろう?」


 ヨウマはこくんと頷く。


「その際に体から漏れるケサンも増えるわけだ。したがって、ゴス・キルモラを習得しているヤツを相手取るなら、精神を閉ざすという手段は有効な手段となる」

「そのゴス・キルモラってさ、僕でも使えるようになる?」

「特定の感覚器官を強化し続けていれば、だんだんとわかるようになる。十年単位の修行が必要だがな」

「へぇ~」

「話が逸れたな。──お前ならわかっているだろうが、魂から発せられたケサンは体に張り巡らされた精神の糸を伝って広がる。その精神という水路の先端を閉じるのが大まかなイメージになる」

「なんか昔似たようなことした覚えがある」

「ヘッセを効率よく使うには必要な技術だからな。今回はより上を目指すことになる」


 ジクーレンは、時折ヨウマの右腕をちらりと見る。その感情を感じ取る鋭敏さはヨウマにはないが、さすがに視線には気づき、


「どうしたの?」


 と尋ねた。


「いや……とにかく、まずは自分の精神の働きに意識を向けねばならない。軽く術を使ってみろ」


 ヨウマは腕を振り上げ、掌に雷の槍を生み出した。


「その時、掌に独特の感覚が起こるはずだ」

「ぞわぞわってしたよ。これが水路を開いている状態なんだよね」

「そうだ。その水門を少しずつ閉じてみろ」


 掌の中に水が流れている様を、ヨウマは思い浮かべる。それを堰き止める。水門に関わる訓練は、何も初めてではない。ヘッセを習得する際に、精神の水門を開く訓練をしたのだ。今度はその逆をする。少しずつ、少しずつ──それに合わせて掌に送るケサンを減らしていく。簡単なことだ、量を維持したまま水門を閉じれば勢いが増して、やがてコントロールできなくなるからだ。


 やがて槍は消え失せる。しかし、ヨウマはわからない。本当にケサンが止まっているのか。ゴス・キルモラというものが便利であることを、彼は思い知った。


「どう? 漏れてる?」


 彼は左手をジクーレンに見せた。その瞳は赤くなっていた。


「左手からは流れていない。後はこれを全身でやればいい」

「全身……か。確か手とか足とか、そういうところからケサンって出やすいんだよね」

「ああ。無論それ以外の場所からも流出はするが、それだけ抑えれば十分効果があるだろう」


 話を聞きながら、ヨウマは体の末端部に意識を向ける。真ん中に穴が開いていて、そこから出てくるものを堰き止めるイメージ。


「流石だな」


 ジクーレンは下手くそな微笑みを見せた。


「あっという間にケサンコントロールを完璧にしてしまう。恐ろしいほどに」

「ありがとね」


 右手がない分、意識することが少ないな──なんてことを、ヨウマは思う。


「僕と親父って、似てるのかな」


 唐突すぎる問いに、ジクーレンは眉を1ミリほど動かした。


「顔が動かんところが似ているとはよく言われる。俺のよくないところだ」

「いいとこだよ、きっと」


 ヨウマは父親の腹を小突く。


「なあヨウマ。久しぶりに一緒に飯を食わないか」

「いいね。深雪と優香も呼んでいい?」

「いいぞ」


 ジクーレンは息子の頭を軽く撫でた。


「ジンの店に行こう」

「いつものとこじゃん」

「不服か?」

「嬉しいんだよ」


 彼は頭から手を離す。


「午後の7時に迎えに行く」

「わかった。待っとくよ」


 二人は拳をぶつけ合わせる。表情の読めない二人だが、確かに通じ合っていた。





 ジュウッ、という鉄板の上で小麦粉の生地が焼ける音。クレープのような薄いそれの上にキャベツや豚肉が乗せられ、ねじり鉢巻きのニェーズの手でひっくり返される。日本から持ち込まれた、広島お好み焼きだ。


「広島ってなんだっけ」


 座敷に小さな椅子を持ち込んで座っているヨウマが言った。その右隣には優香、左隣には深雪。向かいにはジクーレンとその妻のムパがいた。うら若いムパは、ショートカットの黒髪に、腹に押されて膨らんだ黒いトップス、灰色のスカートという見た目だった。テーブルの傍では店長のジンというニェーズがお好み焼きを焼いていた。


「地球にそういう地名がある。俺も詳しいことは知らんが」

「地球かあ。この食材って全部輸入品なんだよね」

「ええ、そうですよ」


 ジンは答える。前髪が後退している、優しそうな顔のニェーズだ。


「どこから仕入れてるの?」

「ユーグラスの輸入ルートを頼っています。ここで商売しようと思ったら、ユーグラスは無視できませんよ」


 ジンは焼きそば麺の上にお好み焼きを乗せた。


 ユーグラスというのは鍛冶を中心としたグッスヘンゼだが、その扱う範囲は広い。1000年の昔に鍛冶屋の相互扶助団体として始まったそれは、やがて鍛えられた武具を使う戦士団を取り込み、狩猟・戦争と金属加工を主とするよう変化した。600年前には経済活動全体に関わる巨大な組織となり、そして、地球との交流が始まると開拓地の治安維持を委託されるだけでなく、皇国政府の要望でニェーズ向けの輸入を取り仕切るユーグラス輸入会社を立ち上げた。


 概して、ユーグラスはフロンティア7においてニェーズの生命線であり、総督府からすれば決して無視できない存在だった。そうした片棒を担いだのは総督府であるというのは言を俟たないが。


「でも、こっち開拓地で食べられるとは思いませんでした。懐かしいです」


 優香が目を輝かせて言う。


「食べたことあるの?」

「広島に旅行に行った時にね」


 会話をバックグラウンド・ミュージックにして、ジンはソースのかかったお好み焼きを切り分けていく。


「わぁ……」


 深雪が声とも息ともつかない音を出した。分割されたそれの一切れをヨウマは皿に乗せて、彼女に渡した。


「こ、こここんなの奢ってもらっていいんですか?」

「家族だ、気にすることはない」

「でも、私までご馳走になってしまって──」


 優香の言葉に、ムパが微笑んで返す。


「ヨウちゃんの家族は私たちの家族です。ご一緒してくれること、嬉しく思います」


 丁寧な物腰が、優香には好意的に映った。


「ヨウちゃんって呼ぶんですね」


 優香が言う。


「やめてよ、恥ずかしいじゃないか」

「私も呼んでいい?」

「えぇ? なんていうか……うーん……」


 ヨウマは顎に指をあてて思案してみせる。


「嫌?」

「嫌ってわけじゃないんだけど……」


 うまく言葉が纏まらない。あだ名、というのはあまり経験がなかった。親を除いて一番付き合いの長いキジマでさえヨウマと呼ぶ。そもそも短縮する意味もない名前だ。それをわざわざ『ヨウちゃん』とすることを理解はできない。


 だが、彼の思考の最もウェイトの置かれた部分は、それをしようとしているのが優香である点であった。なぜそうなのか、彼にはわからない。しかし妙に面映ゆいのだ。


 距離が縮まる感覚。それは嬉しい。どうして嬉しいのかははっきりとしない。その恥ずかしさと喜びとを包括的に表す単語は彼には思い浮かばなかった。


「ヨウちゃん」


 いたずらっぽい笑顔で彼女はそう呼んだ。


「ま、まあ、いいけどさ」


 頬を赤くし、掻きながら、ヨウマは答える。結局出てきたのはいつもの口癖だった。


 ジンに一番近い席に座っていた深雪が、切られた料理の乗せられた皿を渡していく。こういう光景なんだ──ヨウマは思う。殺し合いの道を選んだ理由だ。恩返しもそうだが、今目の前にある細やかな幸せがほんの一突きで壊れることを知っているからこそ、貴く思えた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?