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第11話 龍虎飯店

 実家へ帰省している真田姉弟さなだきょうだいをたずねて、ウツロは大衆食堂・龍虎飯店りゅうこはんてんへと足を運んだ。


「あ……」


 のれんをくぐって扉を開くと、一番奥の小上がり席、壁を背もたれにして、姫神壱騎ひめがみ いっきがチャーハンを食べている。


「やあ」


 彼はレンゲを止め、ウツロをほうに笑顔を送った。


 びっくりしながらも中へと入って、そちらのほうに歩を進める。


「おお、ウツ……佐伯さえきくん、よく来てくれたな」


「ウツ……悠亮ゆうすけさん、いらっしゃい」


 真田龍子さなだ りょうこらの父・真田恭次さなだ きょうじと、真田虎太郎さなだ こたろうが厨房から声をかけた。


「おやっさん、虎太郎くん」


 すると奥のほうから、母である真田静音さなだ しずねも顔をのぞかせる。


「あら、ウツ……佐伯くん、いらっしゃい。龍子は出前に行ってるから、座ってちょっと待っててちょうだい?」


「あ、はい……」


 一連の様子を横目に、姫神壱騎はニコニコとしている。


「モテモテだね、ウツ……佐伯くん?」


「あ、いや……」


 少ないがほかの客も何人かいたから、一同はウツロの本名を呼んでしまわないように配慮した。


 もっとも姫神壱騎だけは、わざと間違えそうになったフリをしたのだが。


「なんでえ、知り合いだったのかい?」


「ええ、ちょっとしたね」


 ウツロは答えながら、姫神壱騎の向かいに座った。


「この春から黒帝大学こくていだいがくへ入学して、教育学部にかよってるんだ」


「そうなんですね。どうしてまた、教育学を?」


「保育士になりたくてね。子ども、好きだから」


「はあ……」


 あれほどの実力を持つ剣士が、保育士志望とはちょっと意外というか、そのギャップにウツロはポカンとした。


「実家のある岩手も人が少なくなってね。将来は地元へ戻って、家業の道場と二足のわらじって感じかな」


「それは、すごいですね」


 雲をつかむような感じがする。


 ひょうひょうとしてはいるが、父上を殺害されているからか、一挙手一投足にどこか、深い悲しみがかいま見られる。


 ウツロはそんなふうに考えていた。


「しばらく前からうちで働いてくれてるんだよ。まさか龍子や虎太郎だけじゃなく、佐伯くんとも知り合いとはな」


 真田恭次が中華鍋を振りながら語りかけた。


 ウツロは「は~ん」という表情をする。


 そして小声で話しかけた。


「探りを入れるためですか?」


「謝るよ、ごめんね。どうしても君たちのところへたどりつきたかったんだ。やっぱりっていうか、森に近づくためにね」


「……」


 ウツロは内心悲痛だった。


 そこまでして、父上の仇を……


 目の前の少年の人生を想像し、彼は複雑な心境をいだいた。


 俺とどこか似ている。


 そんなふうに思索していると――


「あれ、ウツ……悠亮?」


「龍子、おかえり」


 デリバリーを終えた真田龍子が、スニーカーをキュッキュッと鳴らしながら、店の裏口から入ってきた。


 かっこうはいつもどおり、ジャージの上着にロングスパッツ姿である。


 何の気なしにあいさつをしたウツロであったが、


「てめぇ、悠亮! 親をさしおいておかえりたぁどういうことだ!?」


「す、すみません……」


 父・真田恭次から怒号をおみまいされた。


 店内にいる数名の客たちは驚いて、一斉に彼らのほうへ目を向ける。


「なんだ? 龍子ちゃんの彼氏だったのかい?」


「やったな、恭ちゃん。亡くなったオヤジさんも安心するだろうぜぇ?」


「これでこの店も安泰だな、うんうん」


 いずれも古くからの常連ばかりだったから、こんなふうにして店主をからかってみせた。


 いっぽう妻の真田静音は、ガサツ丸出しの亭主に嫌気がさした。


「あんた、お客さんの前で! 龍子のフィアンセをどなるんじゃないよ!」


「そうなの? ねえ?」


 いつの間にやらそうなっていたのかと真田龍子はギョッとし、照れくさくなってジャージのすそをいじった。


「うるせぇ! 大事な娘の股ぁ開かされて、親として看過できるかい!」


「つべこべ抜かすな! やっとこさ捕まえた優秀な種なんだよ!? 文句があるならてめぇが股でも開いてな!」


「なんだと、このあばずれが! パリコレだかチ〇ブラ違反だぞ!?」


「それを言うならポリコレにコンプラだろうが! この類人猿! てめぇなんざ間違って人間になったんだよ!」


「ほざくな、サル女房! そういうてめぇはそのエイプさまの種を宿したくせに!」


「言わせておけばぁ! 表へ出ろやぁっ!」


「望むところよおおおおおっ!」


 真田夫婦は延々と、このように昭和臭漂うえげつない会話劇を繰り広げている。


 さすがの常連客たちも、これには失笑を禁じえない。


「サルだってさ」


「ここは惑星だったのか?」


「虎太郎くん、あんな人間になっちゃダメだかんな?」


 真田虎太郎は恥ずかしくなるいっぽう、にぎやかなやり取りにほっこりとした。


「楽しいね、ここ」


 姫神壱騎はあいかわらずニコニコとしている。


 これは本心からだった。


 居場所があるのはよいことだ。


 自分の故郷、そして家族や仲間たちのことを思い出し、ちょっぴり気持ちが楽になったような気がした。


「ウツロ、姫神さん、なんだかごめんね? ゆっくり食事したかったはずなのに……」


「いや、いいんだよ、龍子」


 口ではそう言ったが、彼女が向かいの相手のほうに立ったことに、ウツロは少しムカッと来た。


「ラブラブだよね、二人とも」


「え、いや……」


 かつがれた両者は顔を赤らめた。


「ウツロくんさ」


「はい?」


「龍子ちゃんが自転車に乗ってるとことか、想像してた?」


「は?」


「ピチピチのスパッツがサドルにこすれるところとか――」


「貴様っ! 俺の龍子を侮辱する気か!?」


 もちろんわざとやったのであるが、挑発を受けてウツロは激高し、思わず叫んでしまった。


 真田夫婦をくちびるをタラコにしている。


「俺の? いま、俺のって言った? ねぇっ!?」


「あ、いや……」


 いくら娘の彼氏とはいえ、それはないでしょう。


 そんな態度を二人はぶつけた。


「てめぇ、悠亮! 二度と立たねぇようにしてやる!」


「バカか貴様っ!? 龍子にしこめなくなるでしょっ!」


「百年立ったらまた来たよっ!」


「ジュウミンヤっ!」


 ウツロへ襲いかかろうとする夫と、それを止めようとする妻。


 まるで昭和の漫才であるが、姫神壱騎はプッと吹き出してしまった。


「なんかいいね、ここ。久しぶりに笑った気がするよ」


「姫神さん……」


 涙をこらえる彼であったが、ウツロはそこに、この先輩剣士が置かれた状況を察し、胸がしめつけられた。


森花炉之介もり かろのすけ、いったいどうやって探すおつもりですか?」


 単刀直入にそうたずねた。


 当然、姫神壱騎へ向き合う気持ちの表れである。


 それにきづかない当事者ではなかった。


「ありがとう、ウツロ。どうやらやつはいま、ここ朽木市くちきしにやってきているらしい。こうなったら手当たり次第に――」


「その必要はありませんよ?」


「……」


 一同は店の入口を見た。


 そこには羽織袴姿の中年男が立っている。


 杖を持ち、まなざしは動かず、瞳孔の形状はさびた鉄パイプの断面のように見えた。


「森っ、花炉之介えええええっ!」


 色男の顔面はたちどころに崩れ、悪魔のおたけびのように咆哮した――

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